抄録
筆者は遠州平野の扇頂部に位置する畑作村の北部と南部の地域社会の間に自然,経済,社会にいちじるしい差のあることに着目し,それを総合した.すなわち,北部は,水・旱・霜害がはなはだしく,北部の人々に,刺戟的役割を果たした.経済的には.土地生産力がひくく,地主が商業・高利貸を兼ねることは稀薄で,明治10年代に大きな土地所有の階層変化があつた.社会的には,寄留者が多く,また,神社・寺院の関係で,南部にたいする対立意識が強いため,同族を中心に,南部とははなれて独自に行動をおこした. 1880年代に丸山教,のちに天理教が北部に入り, 1920年代の産業組合運動も,北部から起こつた.南部は.相対的に.自然・経済・社会が安定しており,地主は商業高利貸的色彩が強く,北部の創めた宗教・経済運動に反動的であつた.このような地域構造の差は,農業生産組織の漸進的な変化過程における.村の諸々の事象を説得しうる.これはシーグフリートの方法に当ると思う.小稿は,以上のことと合せて,日本における宗教の果す役割について述べた.