抄録
飛騨山脈の山頂と山麓とを結ぶ鍵は,洪積世の火山活動および氷期の氷河の消長と段丘との関係にある.神通川流域における洪積世以降の河谷地形の発達とそれに対応する山麓の地形変化は,段丘の火山活動に伴う流水堆積層を追求することによって,明らかになった.飛騨山脈とその山麓の地形形成期は,神通川の下流域の段丘と常願寺川流域の段丘とを対比し,さらに,海侵期を考えて, PD期・Dl期・Dm期・Du期・A期に区分した.飛騨山脈の山頂付近の侵蝕面は, PD期までに形成された.飛騨山脈は, PD期末からDl期末までの幾度か行われた造構運動または断層運動によって,成長発達した.そして,山麓に最高位の扇状地が形成された.飛騨山脈は, Dm期のはじめから急速に隆起し,黒部川は,この隆起によって,峡谷を形成した.山麓においては,さらに扇状地が形成された.飛騨氷期直前頃の山形は,早壮年期の状態を示していた.このような時期に氷期が襲来した.氷河の最大拡張期の山麓対比層は,部分的な気候毅丘をのぞけば,白馬山麓北股の高位段丘層・粟巣野段丘層などである.河谷の低位段丘群上位の砂礫層の堆積層は,上位モレーン形成期に相当する可能性があり,その下位の岩石段丘および巨礫の堆積は,それ以後の氷河の後退期にあたる.この堆積と侵蝕は,気候変化と山地の隆起と相和して形成されたと考えた.この山麓における段丘・扇状地面の収斂状態は,増傾斜的地盤運動の結果である.