抄録
都市の機能的分類にみえる「鉱山町」の研究は,各分野からの都市研究において,最も遅れているものの1つである.本稿は本邦鉱山町を事例に展開してみた,「鉱山町」の地理学的研究に関する1試論である.
(1) 明治後の資本主義体制下における本邦鉱山町をとりあげる場合,近世封建社会以来鉱山町域としての桟能を連続的または断続的に維持している,いわゆる歴史的鉱山町と,明治期以降の資本主義体制下になつてはじめて急激に発達した近代鉱山町とがある。本稿では前者の歴吏的鉱山町について,その地域的性格を追求してみた.なお資本主義体制下における本邦金属鉱山町の多くは,かかる歴史的鉱山町であつた.
(2) 歴吏的鉱山町の地域的構成は,封建社会以来の集落域と,明治期以降形成のCompany Settlementsを中核とした集落域とからなつている.一応前者を歴史的集落域,後者を近代集落域と規定した.この両集落域の配置形態は,鉱山業近代化の過程に対応する,その鉱山地域の地域的条件によつて規定され,いわゆる「生野型」と「大森型」のごとき対照的な地域的配置をもつた.
(3) 近代集落域・就中Company Settlements域は近代的鉱山企業プランに基いて形成されたことを明確に示している.しかし歴史的集落域の計画性については, 16C.~17C. にかけての貴金属鉱山町の画期的な形成期に遡つて検討を試みたが,史料的に容易ではなかつた.ただ秋田藩阿仁新町の鉱山町プランについては,史料的にかなり追跡ができ,現在の町並形態からもその計画性が推察しえた.封建権力による鉱山町支配体制の確立が鉱山町プラン施行の前提であつた.
(4) 歴史的集落域の町並を,プロツク形態・街村的形態・不規則的形態の3形態に分類し,その機能的性格ならびに顕著な寺院分布などから,歴史的鉱山町におけるその集落域の位置づけを試みた.特に町並をなす歴史的集落域は,近来Company Settlements域のサービス機能と相対しながらも,その異的な側面から,歴史的鉱山町におけるサービス機能地域としての伝統を維持している.
(5) Company Settlements 域の内部構成をみると,形態的・機能的には均質性が強いが,その構成者自体の間の本質的な性格には異質的側面(例えば宗教・出身地など)もかなりみられ,歴史的集落域とは橦々の面で異なつた性格をもつている.これら両集落域の本質的な相違は,鉱山の休山後にみられる集落衰退度の地域差となって明確に表現されている.