抄録
日本におけるセメント工業の立地につき,市場地域の分析を通して研究を試みた,セメントエ業の立地は明治5年の官営工場にはじまり,士族授産を目的とする民営工場がこれにつぎ,次第に一般民営工場が設立されるようになつた。セメントの生産は単純工程で行なわれ,重量物の高熱処理を主体とするために,非常に自動機械化され関連工業および筋肉労働力をほとんど必要としない.しかし原料および製品の運賃負担力が弱く原料地または消費地への指向性がきわめて強い点にその立地論上の特性が見出される.セメント工業発展の初期の段階では,生産規模が小さく,原料および製品の輸送費は問題にならなかつたが,海上運賃が陸上のそれと較べて非常に低廉であつたため,工場の多くは臨海地に立地した.明治20年代に入ると,各地で立地条件を考慮した立地が行なわれるようになり,原料と海運の便にめぐまれた九州地区への集中がめだつてくる.それとともに需要を上廻る生産能力の増大は,慢性的過当競争を惹起し,その対策として生産カルテルから販売炉レテルへと進んだ.その過程では自由競争にもとつく工場立地は大きく歪められる結果となつた.他方,日本セメントK. K. 小野田セメントK. K. および磐城セメントK. K. のいわゆる大手3社の独占化が行なわれ,それに伴つて市場の地域的独占がいちじるしく進行した.すなわち日本セメントは東京地区にはじまり,本州から北海道,四国,九州地区へと販路網を全国にひろげた.これに対して,小野田セメントは海外進出を社是とし,輸出や工揚の海外設立に力を入れたが,国内では中国,九州地区を中心とてし東進傾向を示している.また磐城セメントは東北地区の一隅におこり,関東地区から次第に西進傾向を見せている.戦後,セメント工業の立地条件に大きな変化があつた.まず,輸送面では,陸上運賃に比較して海上運賃の高騰,技術革新によつてもたらされた石炭原単位の減少と重油による代替,消費市揚の全国的拡大などである.これによつて,分散立地の傾向は一段と強まり,内陸部や東部へ新工場が次第に立地するようになり,相対的に原料と海運の便にめぐまれていた九州地区のウエイトは減少してきた.このように戦後セメント工業の立地は市場指向性が強まり,また全国的に消費市場が拡大されてきたので,その立地はレッシュ理論の市場地域の分析または地域的独占の所産として理解する方がより妥当となり,またそれによつて将来の立地もある程度予想することが可能となつた.