地理学評論
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荒廃河川における侵蝕過程—常願寺川の場合—
町田 洋
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1962 年 35 巻 4 号 p. 157-174

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抄録

富山県の常願寺川流域を対象として,過去およそ100年間の侵蝕,堆積とそれによる地形変化の過程を追
究した. 1) 常願寺川上流部にある河岸段丘(第2図)は,主として土石流砂礫層から作られており,土石流で埋積された谷がふたたび刻まれて生じたものである.この土石流砂礫層は, 1858年の「大鳶崩れ」といわれる変災時の絵図記録を検討してみると,このときに発生した大土石流の堆積物である.
2) 1858年の土石流は,地震のために源流部の立山カルデラの一部(鳶崩れと本文で呼んだ部分)が大規模に崩れて生じたもので,下流部の扇状地,三角州まで流下形態をほとんど変えずに流下した・しかし土石流の主要な部分は上流部(海抜550m以上の部分)にとどまり,谷を深く埋めた.このため埋積谷の縦断形の傾斜は増した.
3) 1858年の変災以後,崩壊地から供給される岩屑が少なくなるにつれて,埋積谷の侵蝕は,上流部,とくに,谷の合流により流量がかなり増し,しかも河床傾斜の大きい部分から始まつた.崩壊地から4km以下の高位段丘で,土石流砂礫層の上にのり,やや円磨され,成層した砂礫層はこの開析初期の土石流砂礫層の2次的堆積物である.この上流の部分から始まつた下方侵蝕はさらに上流へ谷頭を後退させたばかりでなく,下流へも進行した.回春谷の上流部の河床は土石流の堆積直後から急速に低下し,下流部の河床は一時2次的堆積物によつて上昇した後に,相対的にはゆつくりと低下した.
4) 1858年に発生した土石堆積物の量はおよそ4.1×108m3,それ以後100年間の侵蝕物の量はおよそ2.1×108m3,このうち約10%が扇状地に堆積し,天井川を作つた.
5) 常願寺川における過去100年間の,山地の大崩壊を契機とする谷の侵蝕は,谷底部の著しい地形変化をひき起して,急速に進んだ.そしてこのことがこの川の砂防を難しくした.

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