抄録
岳南地方の工業化を資本の面を中心にしてとらえ,工業化を促した資本の性格が,工業化の型をどのように規定してきたかを考察した.本稿は地理評35巻9号に発表した論文の続編で,昭和年代の考察を主体としている.
当地方の工業化には従来地元地主層の果たした役割が大きかったが,昭和初期の大恐慌期になると,工業経営の主導権は地元小商人の手に移行した.同時にその頃から他地方資本の進出が大規模に始まる.太平洋戦争中には軍需工場が成立して,それが当地方の工業業種構成を多様化する契機となった.大企業の進出によって景観も急速に変化しつつあるが,なお従来の古い景観をまったくかえるまでには至らない.労働力市場は拡大しているが,まだ地元への労働力依存度は大きく,当地方若年層の就職先は地元工業が圧倒的に多マ.かような状況下で,農家の兼業化はますまず進行し,とくに東海道線沿線部ではげしくなっている.このようなことは,地場資本中心の工業化段階ではみられなかった.