日本の割替慣行は,私有制度を基調とする農地所有形態から見て変則的であるので,明治後期から昭和初期にかけて多くの先学の注目をあつめた.日本の各地に分布するこの慣行は,地域的に各種の形をとるが,中世に成立した部落とともにあらわれ,江戸期に最も広い地域に拡大した.明治政府の成立により,その新政策によってこの慣行は廃滅したが,多くの村落で昭和期まで継続し,現在も実施中の場合もある.
鷹巣盆地では, 3つの中世的機構をもつ部落で, 1948~1960年の間にこの慣行が成立した.部落共有地の確保と,部落生活の平等性を求めて,組分けによって,部落全員が参加して耕作に当り,部落生活によい効果を発揮し定着している.部落の生産の場所的差異の平均化によって所期の目的を達成するための割替慣行の創設である.
この慣行は,何等の権力的支配なしに,部落会議の決定によって,自然的に成立した.この種の慣行は,部落の土地空間の利用形態の一つとして理解せらるべきであり,生産性の低いアジア的な稲作農業の展開過程にあらわれる土地利用形態である.
したがって従来の地域を無視したこの問題の研究には,多くの訂正さるべき問題を含んでいる.