近代歴史地理学の創始者小川琢治は,ヴァローの「集団事実としての景観」概念をその地理学の直接の立脚点としたが,めざすところはフンボルト地理学にあった兜かれの歴史地理学は歴史的考察を重視する人文地理学そのものであり,ヘットナーの「時の断面の地理学」とはちがう.まず「垣内集落」や「孤立荘宅」などをはじめとする集落研究にすぐれた業績をあげ,日本集落地理学の源流の一つを形成した.いっぽう,中国に関する歴史地理学研究に精魂をうちこみ,まずリヒトホーフェンの中国研究を検討し,『山海経』から中国最古の地理的知識を復原したほか,孜々として中国地理書の実証研究の途を開拓して,中国学にも大なる寄与をなした.かれの地理学には,現代の地理学本質論からみても再評価すべき内容が多い.中でも自然環境決定論的立場をさけたこと,生態学と政治地理学的立場を綜合して,集落から国家に至るまで,地表全体の体系的把握につとめたことなどが,とくに注目をひく.歴史時代から現代にわたる地理的事象の計量的理解にも先駆的な成果をおさめた.以上の点からみて,明治後期から昭和初期における小川地理学の学術的価値は,かれのすぐれた自然研究を除外しても,なお無双のものというべきであろう.