抄録
足利の工業がみせた戦後の動きは,伝統工業地の変化の一類型とみられよう.第二次大戦中に絹の着尺「足利銘仙」はほぼ消滅し,戦後はトリコット産地として再出発し,全国の3分の1の生産をあげる程になった.これと並行して他の繊維工業も伸び,今や総合的な繊維工業地となった.この近代化された繊維工業と,軍需から戦後民需に転換した機械・金属・プラスチックなどの工業とによって,昭和41年には北関東内陸都市中最大の出荷額をあげた.その後,京浜などから進出工場が相次ぎ,首都圏の工業化の波がややおくれて両毛地域におよんできた.この結果,伝統的な繊維工業地としての足利の性格は急速に弱められている.また工業生産の伸びにかかわらず,人口は大きく増加しない.これは労働力が繊維工業から進出工場に移動するためと思われる.