Geographical review of Japan, Series B
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オーストラリアの大陸砂丘地帯の地形と第四紀環境変遷
ワッソン ロバートJ
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1986 年 59 巻 1 号 p. 55-67

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抄録

本稿はオーストラリア乾燥・半乾燥地域における人間活動に伴なう環境変化に関する日濠共同研究の一環として,オーストラリア砂丘地帯の地学的背景や特徴ならびに,原住民およびヨーロッパ人と砂丘活動との関係について概説したものである。
大陸の約40%は砂丘で覆われるが,バルハンを除く各種の砂丘が分布する (Figure 2). これらの砂丘はシンプソン砂漠のように広域にわたって,単純な線状砂丘が広がる場合から,グレートビクトリア砂漠西部のように基盤地形の複雑さを反映して,モザイク状に分布する場合まで,その分布状態は変化に富んでいる。また,砂丘砂の給源も,基盤岩石をはじめ,河成堆積物など多種にわたる。
砂丘堆積物の性格は2つに類型化される.1つは石英砂を主としたもので,砂質河成堆積物を給源とする。他の1つは粘土と石英粒の混合したものである。後者の堆積物には粘土微粒子が含まれる.この粘土微粒子は比重が小さいため空中を長距離運搬されてきたものである.粘土微粒子の形成は地下水位の低下や日射による塩類晶出および藻類やバクテリア等の生物起源と考えられ,環境変化の指標になる。
砂丘砂層の年代測定は14Cおよびサーモルミネッセンスによって行なった.オーストラリアの砂丘形成開始期はスターレット砂漠で20万年B.P.までさかのぼる.マリー地域(大陸南部の現在の半乾燥地域)では40万年B. P. より若いと推定され,古地磁気の検討からも, 70万年B. P。よりは新らしいと考えられる。したがって,オーストラリアの砂丘形成はナミビ砂漠やサハラ砂漠に比べて,きわめて新らしい時期に始まったと言える.最終氷期の砂丘形成は3万年B.P.前後から始まり, 2.5万年~1.4万年B. P. の最終氷期の極相期に最も活発であった (Figure 3). 完新世後期に砂丘形成は再び活発になり,半乾燥地域では1,000年B.P.まで,乾燥地域では現在まで活動が続いている.
河成,風成,湖成堆積物および地形の検討からは,内陸地域の環境は5万年B. P.~3万年B. P. の湖沼が拡大していた時期と3万年B. P.以降の湖水位が変動する時期とに分けられる.後者の時期には砂丘が活発に形成された.現在の風向・風速,日射,蒸発量およびミランコヴィッチの曲線から推定される最終氷期の日射量等を考慮して,上記の地学現象を検討すると,次のような環境が復元される.すなわち,砂丘形成が活発であった最終氷期の極柑期には,夏には風速が強く,強い日射でもあったため,現在よりも蒸発が盛んで,乾燥していた・冬は低温で,植生の生育;期間は短縮される傾向にあり,雨水の流出は高まっていた.
なお,氷期の砂丘の伸長方向と現在の風向との検討から,氷期には亜熱帯高圧帯は現在より50程度北上していたこと,大陸北部では,モンスーンが弱まっていたため南東貿易風が卓越していたことが推定される (Figure 1).
アボリジニーズの砂丘形成に対する影響は火(野火)の使用によって引き起されると考えられる.しかし,砂丘形成の主たる原因は気候であることを示す証拠が多く,アボリジニーズの影響を示す証拠はほとんど知られていない.
ヨーロッパ人入植後,土地の劣悪化が急速に進み1915~1945年の間に砂丘の活発な再活動もあった・この時期には,気候の乾燥化および風速の増加があり,ヨーロッパ人の入植に加え,気候悪化が生じたため,砂丘活動が発生したと言えよう.一方,1945年以降・オーストラリアの降水量は増加している。しかし,砂丘活動は引き続き継続している.それ故,少なくとも一部の地域では・農耕行ニ為が砂丘活動に大きな影響を与えているものと思われる.(文責・大森博雄)

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