日本ハンセン病学会雑誌
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総説
ハンセン病患者から生まれた子供たち
-奄美大島における妊娠・出産・保育・養育のシステムの軌跡-
森山 一隆菊池 一郎石井 則久
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2009 年 78 巻 3 号 p. 231-250

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抄録
ハンセン病療養所において、妊娠・出産が可能であった国立療養所奄美和光園について、時代背景などを追いながら考察した。
 和光園の創設は1943 年と新しく、1946 年から1953 年までの米軍占領を経て、日本のハンセン病行政体制に組み込まれた。
 1949 年頃より、松原(のちの和光園事務長)の和光園でのカトリックの宣教、1951 年からのパトリック神父の宣教は入所者の妊娠・出産の考えを変えた。また、松原、パトリック神父、ゼローム神父、星塚敬愛園の大西園長などの指導のもと、療養所自治会、子供の親、大平園長などによって出産後の子供の養育に道筋が作られ、「夫婦舎の内則」としてまとめられた。実際面では、1953 年から1954 年まで新生児を看護婦ないし松原の家族が保育し、1954 年11 月からは保育所(「こどもの家」、後に「名瀬天使園」に名称変更)での保育が始まった。さらに2~3歳からは「白百合の寮」で養育が行われた。両親との面会は限られていたが、成長し、現在では立派な社会人となって社会で活躍している。
 らい予防法のもとで療養所入所者の妊娠・出産は困難であったが、カトリックを中心とした妊娠・出産・保育・養育の制度を確立することで、和光園においてはハンセン病患者が子供をもつことが可能であった。
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© 2009 日本ハンセン病学会
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