抄録
余は熊本市中より捕獲せる277例(536眼)の鼠癩に就て、其の眼領域の組織學的の研索を企て次の結論を得たり。
(1) 鼠癩の眼疾患は、536眼中5眼(10.4%)に來り。主として眼瞼の浸潤にして、周圍組織の癩性浸潤部より、連續的に波及せるもの多し。而して浸潤は漸次眼瞼結膜下及穹窿部の内方に古居し、前方は眼球結膜下及角膜輪部に浸潤竈を形成し、後方は眼球周圍の結締織部を傳はりて、視神經周圍に浸潤竈を形成するものあり。涙腺にも相等の癩性變化を認む。
眼球に來る癩性變化は極めて輕度にして、僅かに7眼(1.3%)に過ぎず。而して最も病變多きは球結膜下にして、此の部が鼠癩眼球の第1に病變を起す部位なりと思惟す。而も穹窿部の癩性浸潤部と連絡するもの多く、從て周圍の癩性浸潤部より連續的に傳播し來るものと解せらる。角膜の癩性變化は極めて輕度にして、何れも輪部の結膜下に相等の浸潤細胞を認むれども、數個の癩細胞が角膜層板間に迷入せるのみにして、人癩に於ける如く孤立游走せる癩菌が、角膜層板間の淋巴腔に沿ひて浸入し來ること少なし。尚輪部より遠く離れたる角膜中央部に於て、眞の癩性浸潤並に癩菌を認めたるは、僅かに1例にして、血管新生相等著明なりしかど、癩菌は極めて輕度なりき。鞏膜に癩菌を認めたるものも極めて少く、何れも輪部表層に之を認め、結膜下の浸潤竈より波及せるものにして、後方に行くに從ひて消失せり。唯1例に於て鞏膜深部の、シユンンム氏管附近に、2,3の癩細胞の游走せるを認めたり。之恐らく結膜下及上鞏膜部の浸潤竈より游走し來れるものなるべく、鼠癩眼疾患の傳染徑路を物語るものなりと思惟す。其の他の内眼組織には、何等の癩性變化を發見する能はざりき。
(2) 自然に捕獲せる鼠癩中には、眼瞼線部及結膜角膜等に於て、相等著明なる非癩性浸潤あり。其他に注意すべき疾患は眼球の萎縮にして、全例中18眼(3.3%)を認めたり。而して何れも癩性疾患に因て失明せりと云ふ確實なる根據を見出し得たるものなかりき。
(3) 鼠癩にして、身體表面に相等の脱毛を認めたるもの93例(33.6%)に達せしが、之等は必ずしも皮下の癩性浸潤を伴はずして且つ眼領域に癩性變化を見出し得たるもの少なかりき。而して眼領域に癩性變化を認めたるは、皮下組織及び内臓等に癩菌を證明したるものに多かりき。
(4) 鼠癩の一般組織と人癩のそれとの異同に就て一言すれば、(1) 組織標本に於ける鼠癩菌は人癩菌に比して、稍〃繊細にして、殆ど細胞内にのみ存在し、巻煙草束状を呈すること少し。(2) 癩細胞中に空胞を認むること稀なり。(3) 血等壁に癩菌の侵入すること絶無にはあらざるも、比較的少し。(4)神經に於ける變化は人癩に比して、著しく僅少なり。(5) 鼠癩組織は壞疽に陥ることあり。(6) 鼠癩は筋肉層に多く寄生す。
(5) 鼠癩眼疾患と人癩眼疾患とを比較するに、鼠癩に於ては病變極めて輕度にして殆ど同日に談ずる能はず。殊に人癩に於て、病變高度なる角膜及び葡萄膜系統に變化極めて僅少なる理由は次の如し。即ち鼠癩は總じて命數短く又何等の治療を受けざる爲に病變輕度なる中に死亡するもの多く、又鼠癩菌が主として細胞内にのみ存在する故に角膜層板間に迷入すること少なく、又血管壁を侵すこと少なき爲に葡萄系統を侵すこと少なかるべしと思惟す。鼠癩眼疾患も人癩眼疾患と同様に病變が赤道部前半部に於て著明にして、後半部の綱膜及視神經には殆ど認むる能はず。
尚人癩眼球に於ける病變の初發部位は、角膜輪部に接する粘膜下部なることとシユレンム氏管周圍或は毛様體根部等なる場合とあれども、鼠癩に於ては殆ど結膜下部を第1病變部と見做して支障なきが如し。尚人癩眼疾患の傳染徑路として、内傳説と外傳説とありて、此の鼠癩眼球の病變状態は外傳説に於ける病變と殆ど同1なれども、眼球と周圍組織との關係を見るに、何れも密接なる關係あり。故に余は鼠癩の眼疾患は周圍組織の病變部より連績的に傳播し來れるもの多くして、主として内傳染に因るものと解せらるる爲に、人癩眼疾患の内傳説を裏書する1論據たり得べしと思惟す。