1974 年 17 巻 p. 132-115
幕末から明治も三十年代くらいまで、種々のアメリカ系の教科書が使用されたことは周知の事実である。いわゆる英学の時代である、筆者がここで問題にするのはもちろん英語学習用の各種リーダーと英文学教科書である。ある外国の教科書がこんなに長く使用されたという実例は外国でもおそらくそんなに多くないことであろう。そしてこれらは国民の多くの人々に使用されたのであるから、その影響力は絶大なものと考えられる。つまりこの場合は文学だけでなく、倫理、思想、歴史、科学などの日本社会に与えた影響ということになる。この影響を測定することは筆者一人の能力では及ばないことである。しかしアメリカではRichard D. Mosier; Making the American Mind : Social and Moral Ideas in the Mc-Guffey Readers (1947)とかDaniel Roselle Samuel Griswold Goodrich, Creator of Peter Parley (1968)などという本もでているくらいだから、筆者もこの影響関係の調査をいつかは手がけたいと考えていた。この拙文はブライアント、ロングフェロー、ホーソーンなどがこれらの教科書を通じてどのように受容されてきたか、その一端にふれただけになってしまったが、筆者のこれからの調査の方向を示すものである。これらの作家は現在の日本人一般の関心から遠い所にあるような感じがする。ひとりホーソーンだけは研究者があとをたたないようである。しかしある時期の日本人の精神形成に大きい役目を果したと考えられる。それはキリスト教的道徳感、文学観などが日本そのものの前進と背馳せずにうけとめられた時期であろう。この点はこれからの調査によってもっとはっきりさせねばならない所である。ロングフェローについてはJames Taft Hatfield; New Light on Longfellow (1970)のように、そのドイツとの関係を比較文学的に調査する必要も起ってくる。アンダーウッドやスウイントの英文学教科書については他の論文でもふれたので、資料として提出したにとどめたが、資料の7で見るように、その推薦書を見るとまるで明治の英学界を見るような感がするのである。いずれにせよ諸先輩の御叱正、御指導を得て、これらの資料を有効に生かした研究をしていくつもりである。