比較文学
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外国における日本学
Les deux séjours en Angleterre de Saint-John Perse avant la Première Guerre mondiale
―Au sujet de son amitié avec Valery Larbaud―
須田 満
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1979 年 22 巻 p. 188-155

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抄録

 一九七二年、サン=ジョン・ペルスの生前自らの手で編集されたプレイヤード版《全集》の刊行によって、この外交官・詩人の生涯に関する不明な点が解明されるようになった。特に《伝記》と題された年譜や二百五十頁に及ぶ《註》は有益である。

 ところが、晩年病苦と闘いながら編集された《全集》だけに、必ずしも正確な記述ばかりとは思われない。特に一九四〇年のアメリカへの亡命以前に関しては、ほとんどの資料が紛失しているだけに、サン=ジョン・ペルスの記憶に負うところが多いからである。

 《サン=ジョン・ペルス書誌》を精力的に編纂しているロジャー・リトル、サザンプトン大学教授は、同書誌の《追補(1)》の中で、《全集》に収められた書簡の日付等に関する不審な点を指摘している。また、一九七八年四月に《全集》が増刷された折には、いくつかの誤りは訂正され、それらの訂正箇所は《カイエ・サン=ジョン・ペルス》第二号で明らかにされている。

 本稿では、サン=ジョン・ペルスという筆名を用いる以前のアレクシ・レジェついて、一九一四年前の二度のイギリス滞在をテーマに論じている。無名の青年詩人《サンレジェ》を早くから評価したヴァレリー・ラルボー側などからの資料を用いながら、《全集》の曖昧な部分を正すことも目的のひとつである。

 レジェは、外交官試験の準備のために、この二度のイギリス滞在をしたのだが、その間にジョーゼフ・コンラッド、G・K・チェスタトン、ヒレア・ベロック、アーノルド・ベネットらとの交友を持ち、アリス・メーネルの力トリック文学サロンにも出入りしている。そして、三度目の訪英中で《ギータンジャリー》の英訳を終えたばかりのラビンドラナート・タゴールと出逢ったのもこの時である。

 イギリス滞在中、レジェは《かって、ロンドン…》と題した一連の詩を旅行帳に書き綴っていたのだが、現存している作品は、《ヴァレリー・ラルボー氏に棒げる詩》一編だけである。この詩の制作年代は、従来一九一二年とされて来たが、一九一三年と訂正されるべきものである。

 第一次大戦前の英仏間の友好的雰囲気を十二分に味わったレジェは、ラルボーやタゴールの願望する《コスモポリティスム》をこの時期に体得することになる。そしてこの二度のイギリス滞在は、レジェにとって生涯忘れ得ぬ憶い出となったのである。

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© 1979 日本比較文学会
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