比較文学
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論文
Waldemar Bonsels und Japan
北垣 篤
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1980 年 23 巻 p. 180-170

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抄録

序文

 ボンゼルス(一八八〇-一九五二)の小伝と《ミツバチ・マーヤの冒険》、《天国の民》、《インド紀行》と《マリオと動物》などは日本の各種の事典にものっている。マ—ルホルツ著《独逸新浪派序説》(一九四二・道本訳)は彼の文学傾向と作品を暖かい目で解説している。《ミツバチ・マーヤ》も日本のラジオ、テレビの電波にのり、木馬座はミュージカルで上演した。

Ⅰ二つの動物メールヘン

 長尾訳《蜜蜂マアヤの遍歴》(一九三五)は仏語版からの重訳で、本邦初訳と信じていたが、筆者はボンゼルス夫人宅で、大原訳《マヤ子の冒険・一九二三》を発見。実吉訳《蜜蜂マアヤ・一九三七》がこれにつづき、高橋健二訳(一九五三)の訳者あとがきは注目に値する。石川淳の《蜜蜂の冒険》は素材を《ミツバチ・マーヤ》から借りた短篇で、《文藝》(一九五二)に発表。当時の不安な社会情勢を風刺している。

 《天国の民》は《蜜蜂マアヤ》の姉妹篇で、そのうちの六篇が南江堂の教材テキストとして、はじめて紹介された(一九三五)。その一篇《ひばり》の初訳は雑誌、動物文学(一九三七)にのった。《森の草原》と《ひばり》の対訳書が大学書林からでた。(一九四〇)完訳《大空の種族》(吉村訳・創文社・一九六〇)は優雅な文体で、作者を《自然詩人》と呼んでいる。北垣訳《天国の民》(朝日出版社・一九六二)も完訳ながら、反響がなかった。著者の他の作品の紹介が特色かもしれない。

Ⅱ動物小説《マリオと動物たち》

 その中の三篇が実業之日本社から小学生用に《少年動物文学》としてでた(一九六〇)。《イノシシと少年マリオ》は三年生むけ。訳者によって、マリオが森に入る前の悲しい運命が書きそえられている。《マリオと小ガラス》は五年生むけに、《ノロジカと少年マリオ》は六年生のために訳されている。

 鈴木正治訳《マリオと動物たち》(白水社・一九六四)は冗長な個所を簡潔で美しい日本文に直した労作。原作者の生年、一八八一年はレンアルツの《ドイツの詩人と作家》の誤りをそのまま採ったことが明らかである。北垣の同題名の翻訳は《動物文学誌》に七年間連載されたが、理論社からでる改訳は本題をはずれた、冗長な表現を省いてスタイルを統一した。《マリオと動物たち》はT.マンの《主人と犬》とともに、ドイツの動物小説としてたかく評価されている。

Ⅲインド旅行記

 中岡訳《美しき印度》(一九四二)の《解説》で、訳者はボンゼルスを新ロマン派の作家と規定して、動物の世界に逃がれ、そこに真理をみいだしたと書いている。実吉訳《インド紀行》(一九四三)も全訳だが、原著者のすすめで仕事を引受けたという。村田氏はその著《私の世界旅行》(一九五九)のなかで、ボンゼルスが書いた、インドを舞台にした物語はフィクションだとしている。これに関心を持って著者に問合せると、ボンゼルスの件は米国の力レッジで教わった地理学のプロフェッサに聞いたことで、文献上の確証を持つものではないという、謙虚な答えに接した。著者は一九七四年、ボンゼルス夫人の口から、主人が若いとき、商人としてバーゼルのミッションと共にインドへ渡ったことを聞いたけれども、記録はえられなかった。日本に帰ってから、バーゼルのミッションに問合せると、一九〇三年から翌年にかけて、ミッションの奉仕者としてインドを旅したという記録を送ってきた。その後入手したボンゼルスの小さな自伝からも、彼がインドに滞在した事実をつきとめた。

W・ボンゼルスの作品》に関する四篇の論文(茨城大学•文理学部紀要)

 タイトルは《ワルデマル•ボンゼルスの作品》で、ボンゼルスの主な作品の内容を紹介し、幼稚ながら批評を加えている。 1 W・ボンゼルスの作品(一九五七) 2  W •ボンゼルスの作品(一九五九) 3  W •ボンゼルスの作品(一九五九) 4 W・ボンゼルスの作品(一九六二)

まとめ

 このドイツ語の小論をまとめるまでに、四十年の歳月がすぎ去っている。全集がないので長年にわたって著作を買い集めたからである。ボンゼルス研究の機縁は、学生時代に青木教授が使った、南江堂のテキスト《天国の民》に感激したことによる。ボンゼルスの伝記についてご教示をたまわり、《マリオ、森の中の一生》等、貴重な著者を送ってくれたボンゼルス夫人と、《天国の民》の不明な表現を説明して頂いたドイツ人宣教師、ベック氏に心からお礼を申しあげる。

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© 1980 日本比較文学会
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