1986 年 28 巻 p. 234-222
日本に於ける著名な哲学者の一人,特に美学者の第一人者として知られる,「九鬼周造」は,パリでの三年間の勉学を含む約八年ヨーロッパに,留学した。
1926年の,最初のパリ留学の間に,彼の帰国後,1930年に出版された「いきの構造」の土台となった作品「いきの本質」が執筆された。
九鬼周造と,フランスの哲学並びに文化との出合いは,日本固有の個人的趣味といえる範囲の「いきの精神」の美学的な価値を,分析的,理論的な構造に結晶させる触媒になったと言える。
フランスの環境が彼に与えた影響は,そこで書き上げられた「いきの構造」の原文に数多く反映している。
九鬼は生きて「生きているシーク」に,ベルグソン哲学に直感的に没入し「いきの構造」の序説の論証にある如く,フランスの概念である「シ—ク」を通して「いき」の意味の構成を考えた。
欧米語に訳し得ない,日本語の「いき」の説明のために「いき」自身の語原学的背景を用いず,欧米の語原特にフランス語に在る言葉によって構造を明らかにしようと した。
そうして,フランスの思索者達の文やことばに言及されながら,彼等のそれぞれの思想を鏡にうつすようにしつつ「いき」の本質を知覚し取り扱い方を明確にした。
「いきの構造」という作品に於て,全く異る東洋の質料因と,欧米の形相因が完全に,組立てられ織り上げられた美学の体系は「九鬼周造」の比類ない功績といえると思う。