比較文学
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論文
Connecting the Past and the Present:
A Reading of Amitav Ghosh's In an Antique Land
小沢 自然
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2007 年 49 巻 p. 248-233

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抄録

一九九二年に出版されたアミタヴ・ゴーシュの『古の国で』においては、語り手であるインド人の文化人類学者が一九八〇年代にエジプトにフィールドワークに赴いたときの体験と、十二世紀のユダヤ人商人ベン・イージュとその「奴隷」の物語とが交互に語られる。前者は実験的なエスノグラフィーとして、後者は同じくらいに実験的な歴史を語る試みとして、英語圏文学の分野におけるゴーシュに対する評価の高まりを背景としてこれまで多くの議論がなされてきた。しかし、エスノグラフィーや歴史といった、多かれ少なかれ「事実」を扱うジャンルの作品として読まれてきたため、文学作品としての『古の国で』に対する考察はややなおざりにされてきた感がある。そこで本稿では、特に語り手である「私」の描かれ方に焦点を当てながら、この作品のテーマである「文化的越境の詩学」について分析する。

伝統的なエスノグラフィーにおいては、語り手は記述の対象となる文化を客観的に判断、記述する権威を備えた存在として描かれることが多い。しかし『古の国で』においては、インフォーマントとの関係に「私」がいかに影響されるかが強調される。一方、ベン・イージュの物語では、中世の中東、インド圏世界がいかに文化的に異種混淆性を許容するものであったかが描かれることになるが、「私」が彼に寄せる並々ならぬ関心の背後には、中世の異文化交流の精神を追体験、継承したいという願望がある。このナイーブな願いは必然的に、ナショナリズムや硬直化した宗教に大きく規定されている今日の世界にあっては打ち砕かれることになる。しかし、「私」がエジプトで知り合ったナビールという青年との友情は、エジプトとインドのあいだの異文化交流の精神が今日なお生き続けていることを示唆している。そこにこそ、文化的越境の可能性に対するゴーシュの信念が読み取れるだろう。

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