植生史研究
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東京都下宅部遺跡から出土した縄文時代後半期の植物利用に関連する 遺構・遺物の年代学的研究
工藤 雄一郎佐々木 由香坂本 稔小林 謙一松崎 浩之
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2007 年 15 巻 1 号 p. 5-17

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抄録
関東平野西部,狭山丘陵にある下宅部遺跡は縄文時代後・晩期を中心とした低湿性遺跡であり,水場遺構やクルミ塚,トチ塚などの,植物利用に関連する遺構や遺物が検出された。本研究では,これらの遺構や遺物の放射性炭素年代測定を実施して,関東平野の古環境変遷との時間的関係および下宅部遺跡における植物利用,特に種実利用の変遷について年代学的な視点から検討を行った。下宅部遺跡の遺構・遺物は縄文時代中期中葉から晩期中葉の約5 00 〜 800 cal BP の間に形成され,年代的に5 つのグループが認められた。縄文時代中期中葉の勝坂式期に対応するS-1 期(約5 00 〜 800 cal BP)と縄文時代中期後葉の加曽利E式期に対応するS- 期(約 800 〜 00 cal BP)ではクルミ塚が形成され,クルミ利用の痕跡が顕著であった。トチノキの利用はS- 期から明確に認められ,縄文時代後期中葉の加曽利B 式期に対応するS- 期(約 800 〜 00 cal BP)には,トチノキ種子の利用が顕著であった。縄文時代後期初頭から前葉のS- 期(約 500 〜 900 cal BP)からS- 期にかけてはトチノキ種子以外にもアカガシ−ツクバネガシ果実,クヌギ節果実などの多様な食料資源が利用され,トチノキ種子やクリ果実は縄文時代後期末葉から晩期中葉に対応するS-5 期(約 00 〜 800 cal BP)まで利用されていた。下宅部遺跡での種実利用の変化は,従来言われていた縄文時代中期から後・晩期の「クリからトチノキへ」という変化よりも複雑で,関東平野西部の気候・植生変化に応じて植物質食料資源を多角的に利用していたことが明らかとなった。
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© 2007 日本植生史学会

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