抄録
現在の亜高山帯域は,最終氷期最盛期には植被の乏しい環境であった。晩氷期末期になると高山帯下限は,現在の亜高山帯の下限付近に位置していた。本州系の針葉樹林は中部山岳の一部をのぞき衰退し,東北地方南部まで分布していた北方系針葉樹林も姿を消した。後氷期になると,山岳上部に植物が進入・定着し草原的な景観の植生が形成された。北海道ではグイマツをのぞき針葉樹林が継続して存在した。本州では針葉樹林の増加開始時期は地域により異なる。白馬岳-苗場山-至仏山-鬼怒沼山をむすぶ北緯37 度付近では約2500~6500 年前までの様々な年代以降に,これ以北では約2500~3000年前から,以南では約6500年前あるいは氷期から針葉樹林は増加を開始した。気候温暖期にブナ帯上限が現在よりも上昇していたことは疑わしい。日本海側山地や東北日本において針葉樹林帯を持つ山岳と持たない山岳の植生の違いは,約2500年前以降の針葉樹の増加と森林形成の有無を通して形成された。冬季の積雪や強風を避けることができる適地に生育していた針葉樹が,森林が未発達であった現在の亜高山帯域に侵入・定着した。気候変化の速度に植物の分布・移動が追いつかないことや,地理的な積雪量の多寡あるいは季節風の強弱,山岳部の平坦面の大きさ,土壌の未発達などの個々の山岳の条件や分布していた針葉樹林の規模によりこれらの侵入・定着時期が左右されたとみられる。