人間科学
Online ISSN : 2434-4753
研究論文
職場ストレスと心血管病発症リスク
村谷 博美
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2019 年 1 巻 p. 96-103

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Abstract

職場ストレスが心血管病発症リスク(CVリスク)を予測するかを調べた。某私立大学の従業員466人を対象に,平成29年度の健診成績を用いて,久山町研究のデータに基づいたリスクポイントとFramingham研究に基づいたリスクポイントを算出した。さらに,ストレスチェックの成績を用い,ストレス反応が17点以下(比較的高ストレス)の群と18点以上(低ストレス)の群に分けた。ストレス要因や周囲からのサポートについては,両者の評価点の合計が26点以下の比較的高ストレス群と27点以上の低ストレス群に分けた。男女別に各年齢階級で検討したが,ストレス反応を見てもストレス要因や周囲からのサポートを見ても,比較的高ストレス群と低ストレス群のリスクポイントには有意差がなかった。職場ストレスはCVリスクの予測因子ではなかった。CVリスクの低減を目指した生活習慣改善指導や受療率の向上を目指した活動とストレス軽減の方策を独立したものと捉え,それぞれを推進するのがよい。

1. 緒言

一般に,職場ストレスは脳卒中や冠動脈疾患のリスクを上げると考えられている1)。ストレスチェック制度と特定健診,保健指導を組み合わせることにより,心身の両面での早期からの健康管理が可能になるという期待もある2)。筆者が勤務する私立大学では,平成26年6月19日に成立した「労働安全衛生法の一部を改正する法律」に基づき,平成27年から定期健康診断と同時期にストレスチェックが実施されている。先年,筆者は心血管病発症における最大の危険因子と考えられている高血圧と職場ストレスとの関連を検討した3)。しかしながら,平成28年度における各従業員のストレスチェックの結果および定期健康診断の成績と高血圧の関連性は認められず,大学職員という職域では,職場ストレスは高血圧の危険因子でないと考えられた。

一方で,精神的ストレスと高血圧の関連については様々な見解が表明されている。日本高血圧学会は,高血圧治療ガイドライン2014で,職場や家庭における精神的ストレスが関与した昼間高血圧に言及した4)。Spruillも,職場ストレスが慢性の血圧上昇を惹き起こすとしたが5),アメリカ心臓協会(AHA)は,ストレスによる血圧上昇は一過性で,ストレス要因が去れば降圧すると述べている6)

ただ,個々の従業員の心血管病発症リスク(CVリスク)は血圧値のみによって規定されるものではない。喫煙をはじめとする生活習慣や糖尿病や脂質異常症などの生活習慣病も関与する7)。本研究では,大学職員において職場ストレスが高血圧のリスクを増していなかったにも関わらず,CVリスクを増大させている可能性を検証するために,ストレスチェックで算出された職場ストレスの高低とCVリスクの関連を分析した。

2. 対象と方法

今回の分析対象は,筆者の勤務する私立大学で平成29年度の定期健康診断とストレスチェックを両方とも受けた30歳以上の従業員466人(男317人,女149人,最高齢者は73歳の男性)である。

CVリスクはArimaらの方法8)とD’Agostinoらの方法9)を用いて算出した。前者は久山町研究に基づき,日本人のリスクを反映すると期待されるが,39歳以下には適用されない。後者は米国人対象のFramingham研究に基づくが,30歳以上のCVリスクを算出できる。このように両者には一長一短があるので,それぞれの方法で算出したリスクポイントについて分析した。

職場ストレスは東京医科大学が開発した職業性ストレス簡易調査票10)に基づいて厚生労働省が定めた方法11)によって評価した。この調査票は自記式で,57の質問項目からなり,素点換算表を用いてストレス反応とストレス要因,周囲のサポートの3つのドメインについての評価点を算出できる。厚生労働省のマニュアル11)によれば,①ストレス反応の評価点が合計で12点以下の場合,あるいは②ストレス要因および周囲のサポート評価点の合計が26点以下で,かつ,ストレス反応の評価点が17点以下である者を高ストレスとする。今回は②の基準に準じて,ストレス反応が17点以下(比較的高ストレス)の群と18点以上(低ストレス)の群に分け,両群間で心血管病発症リスクを比較した。さらに,ストレス要因や周囲からのサポートの評価点を合計した値が26点以下でストレス要因が多い割にサポートは不十分な比較的高ストレス群と,そうではない低ストレス群を比べた。

結果は全て表計算ソフトEXCELに入力し,アドインソフト「エクセル統計2015」を用いて統計計算を行なった。平均値の比較は2群間ではt検定によった。3群以上の多重比較は目視により平均値と標準偏差を検討した結果,ストレスチェックの結果についてはDunnetの方法で60歳以上と他の年齢階級を比較し,他のパラメータに関してはBonferroniの方法で各年齢階級間を比べた。比率の偏りはχ二乗検定により統計学的な有意性を調べた。いずれもp値<0.05を有意とした。

本研究の実施計画は九州産業大学の倫理委員会の審査を受け,その実施について承認された(H27-0007号)。

3. 結果

男女別,年齢階級別にみた対象者のプロフィールを表に示した。この表1には久山町研究8)とFramingham研究9)に基づいてCVリスクを算出するのに用いた指標と算出されたリスクポイント,さらにストレスチェックで得られた成績を記載した。

表1 対象者の男女別,年齢階級別プロフィール

リスク指標を見ると,治療中の高血圧者の比率は男女間に差がないこと,女性には喫煙者が殆どいないこと,男性では糖尿病者の比率が高く,血清HDL-コレステロール値は低いことが分かった。また,50歳代あるいは60歳以上で悪化する指標が多いが,拡張期血圧に関しては男女ともに50歳代でピーク値を示し,血清HDL-コレステロール値には男女とも年齢の影響がみられなかった。CVリスクは久山町研究に基づいて算出された値もFramingham研究に基づいて算出された値も,各年齢階級を通じて,明らかに女性の方が低リスクであったが,男女ともに年齢が進むと増加するのは共通していた。

Framingham研究に基づいて計算された血管年齢と実年齢の比較でも,男性では40歳代以降は血管年齢の方が実年齢をはるかに上回るのに対し,女性ではどの年齢階級を見ても,血管年齢と実年齢に殆ど差がないか,むしろ血管年齢の方が若いという結果であった。

ストレス反応には男女間に有意の差は見られなかったが,ストレス要因と周囲のサポートの評価点の合計は40歳代の男性では同じ年齢階級の女性に比べて有意に(p<0.05)低値を示した。50歳代の男性でも女性より低い値を示し,60歳以上では逆に女性の方が低かったが,これらの差は有意ではなかった。

このように,CVリスクにも労働者が感じている職場ストレスにも性差があり,年齢の影響も明らかであったので,比較的高ストレス群と低ストレス群の比較は男女を分け,さらに年齢階級別に実施した。図1と図2は久山町研究に基づいて算出されたリスクポイント(=CVリスク)を比較的高ストレス群と低ストレス群の間で比べ,図3と図4はFramingham研究に基づいて算出されたリスクポイントを比較的高ストレス群と低ストレス群の間で比べたものである。

図1

職場ストレスと久山町研究に基づくCVリスク値7)の関係:男性

図2

職場ストレスと久山町研究に基づくCVリスク値7)の関係:女性

図3

職場ストレスとFramingham研究に基づくCVリスク値7)の関係:男性

図4

職場ストレスとFramingham研究に基づくCVリスク値7)の関係:女性

本人の示すストレス反応から見ても,ストレス要因+周囲のサポートから見ても,職場ストレスがより高い群と低い群の間に,リスクポイントの差は有意ではなかった。これは男女に共通しており,どの年齢階級でも同じであった。ストレス要因+周囲のサポートの合計点が26点以下を示した従業員は少なく,特に60歳以上の男女では1人ずつであった。女性では60歳以上の従業員の総数も8人と少なかった。したがって,60歳以上の男性でストレス要因+周囲のサポートの高低とCVリスクの関係や,同じく女性で職場ストレスの高低とCVリスクの関係については,有意差を検討できなかった。図や表には詳細なデータを示さなかったが,ストレス反応の評価点が12点以下の高ストレス群と13点以上の非高ストレス群を比べても,リスクポイントの差はなかった。

4. 考察

これまでの多くの検討は,職場ストレスや長時間労働,短時間睡眠が心臓血管病の発症や死亡のリスク要因になることを示している12)~16)。このリスク増大は,他のリスク要因を持たない対象者でも認められた16)

今回検討した私立大学の教職員ならびに従業員という職域集団では,高い職場ストレスは将来の心血管病発症を予測するリスクポイントの増大をもたらしていなかった。先行研究12)~16)は職場ストレスが心血管病発症や死亡のリスク要因であることを示しているが,これらはメタアナリシスやシステマティックレビューといった手法を用い,複数の論文をまとめて数千人から数万人の対象者を長期にわたって追跡した結果として報告している。例えばあるメタアナリシスでは13の研究から197,473人の長期追跡データを抽出してまとめている12)。得られた結果は 149万人を1年間追跡して2,358例の虚血性心疾患発症が認められたのと同等と考えられ,職場ストレスはその発症リスクを1.23倍高めたという成績である12)。この影響は統計学的に有意であっても,今回のように466人という小さな集団では検出できないであろう。さらに今回は,健診成績を用いて算出されたリスクポイントを目的変数とした横断調査であり,心血管病の発症や死亡といったハードエンドポイントを設定した追跡調査ではない。これらの違いが,先行研究12)~16)と今回の調査の差を生み出した可能性がある。ただ,ストレス反応の評価点が12点以下の高ストレス群と13点以上の非高ストレス群を比べても,リスクポイントの差は検出できなかったので,今回の結果自体は安定したものだと考えている。

ストレスチェック制度と特定健診,保健指導を組み合わせることで心身の両面での早期からの健康管理が可能になるという期待があるが2),今回の検討では,少なくとも単一の職域集団でストレスチェックの成績とCVリスクの間に密接な関連を見出すことは出来なかった。これは,単一の職域集団における健康管理では,心血管病リスクの低減を目指して生活習慣の改善を指導したり受療をすすめたりする活動と,職場ストレス軽減の方策とを独立したものと考えて,それぞれを推進すべきことを示している。

ただし,今回の研究で用いたストレスチェックの成績については,さらに分析を加える余地があろう。職場ストレスを構成する要因として,業務量(Job Demands)と裁量の余地(Job Decision Latitude),そして精神的な緊張度(Mental Strain)があるという見解17)が広く受け容れられている。HattoriとMunakata18)は,全国の労災病院の非管理職の男性事務職員113名を対象にした検討で,job strain及び,job demand,job controlと血圧の関連を検討し,正常高値を主とした軽度血圧上昇群において,許された裁量度の低い群は,高い群に比べて共変量を調整しても拡張期血圧が7 mmHg高値であり,この差は有意であったと述べている。一方,正常血圧群では有意な関連を示さなかった。今回の研究では,ストレスチェックの回答を業務量,自己裁量の余地,精神的な緊張度の3つの側面に分けることはできなかった。今後は,このような方向での検討や,リスクポイントの算出式に含まれない生活習慣―例えば,食生活や睡眠,運動習慣と職場ストレスの関連に関する分析も試みたい。

また,Liら19)の指摘するように人生を通して職場ストレスを考えることも重要であろう。本研究では,年齢階級毎に職場ストレスとCVリスクの関係を見たが,ストレスの蓄積については検討していない。今回の検討対象となった私立大学の従業員は,2018年にやっと3回目のストレスチェックを終えた。ストレスの蓄積についてデータが得られるのは,これからである。

5. 結語

今回検討した職域集団では,職場ストレスはCVリスクの高低を予測する因子ではなかった。職域における健康管理において,心血管病リスクの低減を目指して生活習慣の改善を指導したり受療をすすめたりする活動と,職場ストレス軽減の方策とを独立したものと考えて,それぞれを推進すべきである。

謝辞

本論文に関して開示すべきCOI状態にある個人や企業はない。

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© 2019 九州産業大学
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