印度學佛教學研究
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バーヴィヴェーカの無自性性論証
田村 昌己
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2009 年 57 巻 3 号 p. 1236-1240

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抄録

中観派の学匠バーヴィヴェーカ(ca.490-570)は,世俗における諸法の有自性性を認める一方,勝義においてその有自性性が否定されることを論証している.その論証の一例として,「【主張】色は勝義において眼根の把握対象ではない.【証因】八事が集合したものだから.【喩例】声のように」(『中観心論』第3章第40偈)という論証がある.この論証は「およそ八事が集合したものは勝義において眼根の把握対象ではない」という遍充関係を前提とする.確かに色と声は共に八事の集合したものであるが,「声は眼根の把握対象ではなく,色は眼根の把握対象である」ということが経験的に知られている.本稿は,いかなる論理を通じて声という喩例からこの遍充関係が導かれるのかを明らかにした.『思択炎』によれば,その論理とは「ある二者が共通の性質を有するならば,その二者は互いに区別され得ない」という論理である.色と声は八事の集合である点で等しいが故に,声が眼根の把握対象でないならば,色も眼根の把握対象ではないことになる.チャンドラキールティによれば,上記論証式に則して言うならば,色の属性<八事の集合性>と声の属性<八事の集合性>は区別できないこと,属性保持者である色・声とその<八事の集合性>という属性は存在のレベルで不異であることがこの論理のポイントである.色と声は区別されない<八事の集合性>と不異であるため互いに異ならないと見なされる.この論理は,有自性論を否定する帰謬法の論理として,古くは『方便心論』に見られ,ナーガールジュナやアーリアデーヴァ,チャンドラキールティ等の中観派の学匠たちによって用いられている.よって,バーヴィヴェーカは,彼の無自性性論証において,このような中観派に伝統的な帰謬法の論理を用いていることになる.ただし彼は世俗における諸法の有自性性を認める.その同じ彼がこの論理を用いるならば,「色は世俗において眼根の把握対象ではない」という不合理な帰結が彼自身に生じてしまう.この問題を回避するために,彼は論証に二諦説を導入し,「勝義において」(paramarthatas)という限定句を用いたのである.

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© 2009 日本印度学仏教学会
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