印度學佛教學研究
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スティラマティ『五蘊論釈』が論及する三世実有説について
清水 尚史
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2017 年 65 巻 3 号 p. 1193-1197

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抄録

2013年にJowita Kramer博士によってサンスクリット語の校訂テキストが出版された『五蘊論釈』(Pañcaskandhakavibhāṣā)は,アーラヤ識の注釈箇所において説一切有部の三世実有説の批判を展開する.本稿では主に『俱舎論』(Abhidharma­kośabhāṣya)と比較することで,作用説の観点から両議論の違いを明確にする.

『俱舎論註』(Abhidharmakośavyākhyā)に従うと,説一切有部は『俱舎論』において,作用(kāritra)をkarmanとは解せず,与果・取果という原因としての作用を立てた.スティラマティの『五蘊論釈』において有部は,従来の作用の定義である与果・取果に変更を加え,作用を取果のみとする.それによって,『俱舎論』などにおいて指摘されていた過去の作用が存在してしまうという不合理を乗り越える作用説となっている.

『五蘊論釈』の中で論及されている有部の作用説は変更が加えられたことにより,問題の焦点は作用と法との関係性となる.過去の作用が存在しない以上,「同じもの」とも言えなければ,時間設定の根拠となる作用と法とを「異なるもの」とも言えず,「異ならないもの」という曖昧な表現をすることになる.そして,作用と法自性との関係性から同一であるとか別異であるという点から作用と法との関係性は示されないことを主張するが,無自性となってしまう矛盾をスティラマティが指摘することになる.

眼が暗闇の中で作用を為しているかどうかというような作用説の問題は,睡眠から覚醒する時や滅尽定から出る際の問題にも繫がる議論である.一見,アーラヤ識の存在論証において三世実有説批判が展開されるのは不思議ではあるが,その背景思想には作用説の問題があった可能性もあると考える.

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© 2017 日本印度学仏教学会
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