2017 年 65 巻 3 号 p. 1205-1209
Akutobhayā(ABh)と青目釈『中論』(青目註)はいずれもMūlamadhyamakakārikā(MMK)の注釈書であり,MMK注釈書の中でも最古層のものとされている.ABhはチベット語訳のみが現存しており,青目註は鳩摩羅什による漢訳のみが存在する.この両注釈書はチベット語訳と漢訳という言語上の相違がありながらも,その内容に多くの共通点が見られる.
また,ABhと共通した記述が見られるのは青目註だけではなく,Buddhapālitaの注釈(BP),Prajñāpradīpa(PP),Prasannapadā(PSP)においてもABhが広く引用されている.さらに,そのようなABhの引用パターンを類型化するとBP,PP,PSPに共通してABhと同様の記述が認められ,漢訳である青目註にのみ相違が見られるという例が少なからず見受けられる.
そのような青目註の独自性については同書の序文において,羅什が青目註を漢訳する際,その内容に加筆,修正を施したと僧叡によって記されている.そのため,青目註に見られる独自の解釈については,訳者である羅什の意図が反映されている可能性も考えられる.
よって,今回は上記の類型に該当する例としてMMK第18章第6偈とその注釈を挙げ,考察を試みた.この偈頌に対する注釈ではBP,PP,PSPがABhの解釈を援用している.このことからABhは中観派においてMMKを注釈する際の伝統的解釈の典拠として扱われていたという結論に至った.
他方,青目註のみがABhとは異なった独自の解釈を示している.これについては偈頌の漢訳に明らかな意訳が認められることから,その注釈部分についても訳者である羅什によって書き換えられているという可能性を検討した.