2020 年 68 巻 3 号 p. 1237-1242
本稿では,ダルモーッタラとジュニャーナシュリーミトラにおけるアポーハ論,特に語の対象に関する思想的対立が,分別知・語の対象に関する二つの異なる見解―〈三区分説〉と〈二区分説〉―に起因するものであることを明らかにする.〈三区分説〉とは対象の存在領域として認識内部・非内非外・認識外部を認めるもので,〈二区分説〉とは認識内部・認識外部のみを認めるものである.ダルマキールティは,Pramāṇavārttika (PV)において,分別知に関しては三区分説を,語に関しては二区分説を採用しているが,Pramāṇaviniścaya (PVin)において,分別知と語のいずれに関しても二区分説を採用している.ダルモーッタラはダルマキールティのPVにおける分別知に関する三区分説を継承し,それを語に対しても適用している.彼は語の対象を〈発話行為の原因・結果となる分別知の対象〉と同一視している.これによって,語の対象に関しても,内にも外にもない(=非内非外)ものとして,その非実在性を主張することが可能になる.一方,ジュニャーナシュリーミトラはPVinにおける二区分説を継承し,〈非内非外〉という存在領域を前面に押し出したダルモーッタラの見解を批判する.さらに彼は,語の対象に関して世俗のレヴェルと勝義のレヴェルを設定することで,世俗のレヴェルでは〈認識内部〉にある把捉対象と〈認識外部〉にある判断対象を語の対象として認めながらも,勝義のレヴェルでは語の対象となるものは何もないとして,語の対象の非実在性を主張している.以上のことから,ダルモーッタラとジュニャーナシュリーミトラにみられる思想的対立は,彼らがそれぞれダルマキールティから相異なる見解を継承していることに由来するものであると言えるだろう.