稲盛和夫研究
Online ISSN : 2436-8261
Print ISSN : 2436-827X
研究ノート
社内報に見る稲盛経営哲学
―「敬天愛人」の内容分析を通じて―
北居 明
著者情報
ジャーナル オープンアクセス HTML

2022 年 1 巻 1 号 p. 93-110

詳細
Translated Abstract

In this paper, I studied what kind of organizational culture Kazuo Inamori tried to foster in Kyocera by analyzing the message of him published in Kyocera’s in-house newsletter “Respect the Divine and Love People (Keiten-Aijin)”. Through the quantitative text analysis, it’s found that since 1973, his remarks have increased dramatically, and he tried to convey a lot of messages to employees in response to changes in the environment inside and outside the country.

What is characteristic of the content of the remark is the large number of words “heart (Kokoro)”. It is probable that Kyocera’s values, which Inamori himself called “heart-based” management, were reflected in the in-house newsletter. The content of the remarks varied from year to year, and there was a change in the relative frequency of mentions, especially in the 1970s and after 1981. In the 1970s, there were relatively many references to issues, policies, and goals within the company, but since 1981, there has been an increase in references to the inside of people. It seems that this is because Inamori tried to extract Kyocera’s values and management principles from his own experience and pass them on to employees before he retired from the front line.

At the same time, the meaning of “heart” seems to have become more multifaceted and fertile. In addition to the good intentions and sincerity that form the basis of people’s relationships of trust, the “heart” has come to represent the criteria for decision-making and the driving force for realizing aspirations. Finally, I mention some future issues.

1. はじめに―組織文化形成におけるリーダーの役割―

ある企業の組織文化を形成する上で、リーダー特に創業者の影響は大きい。殊にスタートアップ期における企業では、通常創業者が非常に大きな影響力を持っているため、その企業の文化的特徴には創業者の信念や仮定、価値観が色濃く反映される。Schein(1999,邦訳128)は、創業者やリーダーが文化を創造するメカニズムについて、リーダー自らの行動が最も重要なメカニズムであると主張している。彼は、特に重要なメカニズムとして、リーダーがどのようなことに注意し、評価し、報酬や制裁を与えているかなどを挙げている(Schein, 1999,邦訳129)。また、リーダーがメンバーに行うストーリーテリングには、行動規範を伝え、適切な知識や行動を伝達し、未来のビジョンを共有する効果がある(Brown et al., 2005,邦訳10–15)。つまり、リーダーの言動に着目することで、どのような組織文化を形成しようとしているのかを分析することができるのではないだろうか。

本稿では、京セラの創業期から成長期に至るリーダーの言動に注目し、リーダーがどのような組織文化をつくり上げようとしたのかについて議論する。本稿で着目するのは、京セラの社内報「敬天愛人」である。稲盛和夫名誉会長が社長を務めていた時期の社内報における発言を分析することで、彼がメンバーに何を伝え、どんな組織文化を創造しようとしていたのかを考察する。

2. 組織における文物への注目

Schein(1999,邦訳21)は、組織文化には1)文物、2)標ぼうされている価値観、3)無意識の当たり前になっている信念や認識、思考および感情の3つのレベルがあるとしている。Schein(1999,邦訳27)によれば、組織文化の最も本質的な部分は、最も深層にある第3レベルであり、彼はそれを基本的仮定と呼んでいる。われわれがある組織の文化を理解しようとするならば、この深層部分に対する理解は必要である。しかし、文物を体系的に注意深く分析することで、当該組織における組織文化の変化や再生産プロセスを記述することはできるのではないかと考えられる。文物とは、組織の中で目にしたり耳にしたりするあらゆる人工物を指している。文物を直接分析した研究は決して多くはないが、先行研究を見ると、トップ・マネジメントがデザインした文物(たとえば、アニュアル・レポート、ニュース・レターやミッション・ステートメント)を研究したものが多いように思われる。

たとえば、Tinker and Neimark(1987)は、1917年から1976年にわたるGeneral Motorsのアニュアル・レポートを分析し、アニュアル・レポートがGMで働く女性イメージをどのように伝えてきたかを分析している。また、Mills(1996)は1916年から1990年代のBritish Airlineのニュース・レターを分析し、同社における女性に対する差別的イメージの再生産を研究した。

また、Anderson and Imperia(1992)は、1986年から1990年のアメリカ航空産業のアニュアル・レポートに掲載された写真を分析した。Dougherty and Kunda(1990)は、アメリカのコンピューターメーカー5社(DEC, Digital General, IBM, Burroughs, Honeywell)の1975年から1984年の間のアニュアル・レポートに掲載された写真を分析し、それぞれの企業が持つ顧客組織および顧客組織との関係に関する信念を比較した。

ミッション・ステートメントや経営理念も、文物研究の対象となりうる。Kemp and Dwyer(2003)は、世界の国際線企業50社のミッション・ステートメントを分析している。彼らによれば、国際線企業のミッション・ステートメントに多い構成要素は、自己概念、哲学、および顧客の3つであった1。また、Babnik et al.(2013)はスロベニアの企業222社のミッション・ステートメントの分析を行っている。彼らは内容分析と因子分析を通じ、ミッション・ステートメントを構成する5つの因子(ステークホルダーへの関心、安定志向、協働と革新志向、成長と発展志向、顧客志向)を抽出している。わが国の研究を見ると、齋藤・武田(2014)は「ミッション・経営理念 社是社訓 2004年版」(生産性出版)に掲載されている企業983社の経営理念を分析している。彼らの分析によれば、経営理念は「和」という内部重視の内容から、「顧客」などの外部重視の理念へと変化しているという。

Babnik et al.(2013, 613–614)は、ミッション・ステートメントは企業の戦略の方向性を示すだけでなく、メンバーが企業やミッションに対する情緒的な結びつきを形成するための手段でもあると述べる。効果的なミッション・ステートメントは、明確な価値観を提示し、それに共感する従業員から情緒的なコミットメントを引き出す効果がある。このようにしてメンバーに受容された価値観は、当該組織で共有された組織文化となっていく。ミッション・ステートメントを始めとした、リーダーやトップ・マネジメントによってデザインされた組織の文物を研究することで、組織文化や組織イメージの変遷および再生産のプロセスの分析、あるいは組織文化の組織間比較が可能になると考えられる。

3. 社内報への注目

上述の先行研究を見ると、社内報に着目した研究は少ないように思われる。しかし、社内報はトップが注意深く作成した文物として、研究の価値は高いと考えている。曲沼(2008、59)によれば、明治30年代後半に、紡績業を中心にわが国の企業で社内報ブームが到来したという。当時、紡績会社がM&Aで巨大化し、近代的な経営が模索されていた時期であり、現場の意識をまとめ、トップの意志を伝える手段として社内報に注目が集まった2。すなわち、社内報はトップが望む組織文化をメンバーに伝える媒体としての役割が期待されていたと言える。社内報を分析することで、トップがどのような組織文化を形成しようとしていたのかについて、示唆を得ることができると考えられる。また、定期的に発行される社内報は、ミッション・ステートメントや経営理念に比べて情報量が豊富であり、時系列的な分析に適していると言える。後述するように、京セラでは創業当時から社内報が発行されており、社長を引き継いだ稲盛氏は社員やその家族に伝えるための多くのメッセージをそこに残している。本稿では、稲盛氏が社長を務めていた時期の社内報に着目し、彼が残した文章の分析を通じ、彼が形成しようとした京セラの組織文化について、何らかの示唆を得ることを試みる。

4. 分析方法:計量テキスト分析

社内報の分析を行う方法として、われわれは計量テキスト分析を用いることにした。樋口(2018、15)によれば、計量テキスト分析とは、計量的分析手法を用いてテキスト型データを整理または分析し、内容分析を行う方法である。計量テキスト分析の実践においては、コンピュータの適切な利用が望ましいとされている。樋口(2018、7–9)は、計量テキスト分析では量的方法と質的方法が循環的に用いられ、量的方法が整理段階に留まる場合もあれば、分析結果として報告されることもあるとされている。

計量テキスト分析の特徴として、樋口(2018、3)は①人間や社会を成立させるのに不可欠なコミュニケーションの内容を分析する方法であること、②長期間にわたって保存・蓄積されてきた「内容」を分析対象とすることが可能であること、③インタビューやアンケート調査と異なり、調査対象者には調査意図が気づかれにくい方法であること、④再現可能性が高い信頼性のある分析方法であること、⑤調査者の印象に左右されない方法であること、⑥文脈から言葉を切り離すことにより、データの「潜在的論理」を発見できる可能性があることを挙げている。上述のミッション・ステートメントの研究(Kemp and Dwyer, 2003; Babnik et al., 2013)やわが国の経営理念の研究(齋藤・武田、2014)でも、計量テキスト分析が用いられている。大量のテキストデータを前に、調査者の印象に左右されない網羅的な分析を行う上で、この方法は適していると言えよう。

テキストの内容分析の前提は、人間の認知における言葉の重要性である(Duriau, Reger and Pfarrer, 2007, 6)。つまり、文書には、それを書いた人物の認知的スキーマ、すなわち体験や知識の体系が反映されていると考える。たとえば、ある言葉の言及頻度は、作者の認知的中心性や重要性を反映する。言及頻度の多い言葉には、作者が重要視し、注意を向けている物事や概念が反映されている。また、語と語の共起性には、概念間の関係性が反映されていると考える。社内報を分析することで、リーダーが重視している物事や概念、およびそれらの関係性から重視しているテーマが推測できると考えられるのである。

5. データ

分析に用いるのは、京セラの社内報「敬天愛人」巻頭言である。稲盛氏は、京セラの第3代社長として、1966年5月から1985年10月まで就任した。京セラが2004年に発行した「社内報 敬天愛人 巻頭言集(上巻)」(以下、『上巻』)には、1964年8月発行の第3号から1985年11月発行の第100号までの稲盛氏の発言が網羅されている。この期間は稲盛氏が社長に就任していた時期とほぼ重複するため、「上巻」に記載された稲盛氏の巻頭言を分析対象とする。この「敬天愛人」の中で、稲盛氏は社員やその家族、関係者に対して会社や会社をとりまく環境の現状、会社の方針、社員に対する感謝の言葉や叱咤激励の言葉を機会あるごとに発しており、稲盛氏が京セラをどのような会社にしようとしたかを知る上で格好のデータを提供していると思われる。われわれはまず巻頭言をテキストデータに落とし込み、そのデータに対して主にKH Coder3を用いて計量テキスト分析を行った。

6. 分析結果

(1) 巻頭言の文字数

まずわれわれは、分析の端緒として稲盛氏が巻頭言でどの程度の発言を行っているのかを調べた。「上巻」には、全81タイトル約29万字からなる発言が含まれていたが、発言量は年によって大きく異なる。図1は、年度別の巻頭言の文字数である。

図1 

年度別巻頭言の文字数

注:以後の分析のため、表記ゆれをいくつか修正している(例、皆さん→みなさん、売上げ→売上、等)。したがって、各年度の文字数は概数であることに注意されたい。

図1を見ると、文字数は当初800字前後から1万3000字ほどだったが、1973年度に急激に約2万3000字まで増加し、その後は1980年度と1985年度を除いて1万字以上となっている4。1973年は第一次オイルショックがあった年だが、稲盛氏はこの危機に際してむしろチャンスであるとし、1973年9月の従業員持ち株制度の開始、1974年2月の株式市場一部上場、多国籍企業への脱皮などに言及している。

最も文字数が多かったのは、創立20周年を迎えた1979年度である。この年は創立20周年記念式典の挨拶や、詳細な経営方針の発表などがなされている。次に突出しているのが1983年度である。この年はヤシカの合併や組織再編に多くのスペースが割かれている。

表1は、文字数の多かったタイトルである。これを見ると、文字数が多いのは大部分が1970年代の経営方針の発表であることがわかる。

表1  文字数が1万字を超えるタイトル
年度 タイトル 文字数
1979 昭和55年度経営方針 22,367
1977 昭和53年度経営方針 15,705
1975 昭和51年度経営方針 13,066
1974 昭和50年度経営方針 「真の京セラの飛躍の年」を目指す 12,732
1976 昭和52年度経営方針―謙虚にして驕らず、さらに努力を― 12,630
1983 昭和58年マスタープラン会議―組織変更に際して― 12,143
1973 昭和49年度経営方針―創立15年と多国籍化元年を迎え、若さと、燃える情熱でこの危機を乗り切ろう― 11,082
1978 昭和54年度経営方針 11,012

なぜ、70年代の経営方針の文字数が多いのだろうか。「上巻」のこの時期の内容と背景からは、次のような理由があるのではないかと考えられる。一つは、事業活動の拡大および国際化であろう。京セラは1970年の売上高は70億円だったが、1972年には初めて100億円を突破し、1979年には819億円に到達している。その間、74年には東京証券取引所と大阪証券取引所の一部に指定替え、75年には米国子会社と工場の移転、76年には京セラ子女海外研修ツアーの開始など、さまざまな活動がなされている。こうした多様な活動の経緯や方針、結果について説明する必要があるため、文字数が増加したと考えられる。もう一つの理由は、社員の増加への対応であろう。規模が大きくなるにつれ、経営幹部を育てる必要がある。この時期、経営者として、リーダーとしての心構えについて多くの言葉が発せられているのはそうした理由によるものと推測できる。また、規模が拡大して新しい社員が増えると、創業の頃の苦労を知らない社員が増えることにもつながる。こうした社員に対し、創業の精神を繰り返し伝えることが、この時期必要であったと考えられる。

(2) 言及頻度が多い言葉

次に、「上巻」の中で言及頻度が多い言葉に着目する。

表2は、「上巻」の中で言及頻度が多かった言葉上位60語のリストである。最も多い言葉は「思う」であり、3位の「考える」とともに稲盛氏が自分の考えを伝えるためによく使用していることがうかがえる。それ以外では、やはり企業経営に関する言葉(例、企業、経営、会社、事業など)が目立つ。製品や技術に関する言葉(例、開発、技術、セラミック、研究など)や、企業をとりまく環境に関する言葉(例、日本、経済、景気、米国など)も多い。これらは、主に経営方針の中で何度となく言及されている言葉である。

表2  言及頻度が多い言葉(上位60語)
順位 抽出語 出現回数 順位 抽出語 出現回数 順位 抽出語 出現回数
1 思う 1,224 21 日本 246 41 今日 139
2 企業 480 22 当社 233 42 関係 133
3 考える 389 23 経済 231 42 特に 133
4 経営 377 24 226 44 方々 129
5 非常 375 25 京セラ 225 45 従来 126
6 会社 339 26 現在 219 45 達成 126
6 339 27 今年 207 47 使う 124
8 開発 317 28 今後 204 47 時間 124
9 302 29 工場 198 49 不況 123
10 言う 301 30 発展 186 50 申す 121
11 努力 300 31 本年 178 51 景気 120
12 事業 299 32 セラミック 167 51 米国 120
13 新しい 298 33 生産 158 53 118
14 社員 283 34 問題 157 54 研究 117
15 281 35 仕事 152 55 世界 115
16 自分 279 36 場合 150 56 京都 114
17 技術 263 37 目標 149 56 同時に 114
18 262 38 昨年 148 58 出る 112
18 製品 262 39 見る 143 58 電子 112
20 持つ 255 40 営業 140 58 方針 112

それ以外に目立つ言葉として、24位の「心」がある。よく知られているように、稲盛氏は「心をベースに経営する」という言葉を残している。京セラHP内の稲盛和夫OFFICIAL SITEには、氏の次のような言葉が掲げられている。

京セラは資金も信用も実績もない小さな町工場から出発しました。頼れるものはなけなしの技術と28人の信じ合える仲間だけでした。

会社の発展のために一人一人が精一杯努力する、経営者も命をかけてみんなの信頼にこたえる、働く仲間のそのような心を信じ、私利私欲のためではない、社員のみんなが本当にこの会社で働いて良かったと思う、すばらしい会社でありたいと考えてやってきたのが京セラの経営です。

人の心はうつろいやすく変わりやすいものと言われますが、また同時にこれほど強固なものもないのです。その強い心のつながりをベースにしてきたからこそ、今日までの京セラの発展があるのです5

稲盛氏の言葉からは、経営者と従業員の信頼関係およびそこから生まれる無私の働きが経営のベースになっていることがうかがえる。

また、青山(2011、26)は稲盛氏が生み出し京セラで実践されている、人間の心の複雑さに真正面から取り組んだ経営を「心の経営」と呼んでいる。青山(2011、28–30)は、「心の経営」の特徴として、①従業員の心の幸福を企業経営の究極の目標としていること、②従業員の心の動きを徹底的に考えぬき、企業業績につながるような経営システムを構築していることの2点を挙げている。①がなければ、心の経営は従業員の操作手段になってしまい、また②がなければ絵に描いた餅になってしまう。①と②が両方揃ってはじめて物心両面の幸福を追求する経営システムが現実化することを、青山(2011、30–31)は示唆している。

このように、稲盛氏は「心」という言葉を企業経営において非常に重視していたことがわかる。他の経営者との比較を行っていないため確たることは言えないが、巻頭言の中で226回も「心」という言葉が使われていることは注目に値するのではないだろうか。

(3) 共起ネットワーク分析と対応分析

「上巻」の構造をより詳しく分析するために、共起ネットワーク分析を行った。図2は、言及頻度100以上の言葉同士の関連度6の強さを表す共起ネットワークである。関連度は、Jaccard係数によって測定されている7。全体構造を把握しておくことは、以降の分析結果の解釈に役立つであろう。

図2 

言及頻度100以上の言葉の共起ネットワーク

分析結果を見ると、「上巻」は主に9つのサブグループから構成されていることがわかる。第1グループは、主に「思う」や「企業」、「社員」、「努力」などの言葉から構成されている。これは、社員の努力を促すメッセージと解釈できる。第2グループは、「年」、「創立」、「今年」などから形成されているため、創立〇周年に関する言及部分と言えるだろう。第3グループは、「京都」、「セラミック」、「電子」で構成されている。京セラが本来電子工業部品のメーカーであったことを考えると、これは電子工業に関する言及部分であろう。第4グループは、「人」と「心」、「言う」で構成されており、これは人の心に関する言及部分と考えられる。第5グループは、「人間」と「関係」からなっており、人間関係について述べた部分であろう。第6グループは、「日本」、「米国」、「経済」などの言葉から形成されている。これは、外部経済環境について述べた部分と考えられる。第7グループは、「生産」、「達成」、「月」、「目標」などからなっており、短期目標に関する部分であろう。

第8グループは、「技術」、「開発」、「新しい」、「製品」などから構成されており、新技術や新製品開発について言及した部分と解釈できる。最後の第9グループを構成する言葉は、「本年」、「方針」、「経営」であり、年度の経営方針に関する言及部分であると考えられる。

人の心に関するサブグループが独立して抽出されたことは、稲盛氏が「上巻」において他の言葉とは別の文章の中で、あらためて人の心について言及していることを示唆している。次に、それぞれの言葉と発言された時期についてどのような関係があるのか、対応分析によってその傾向を明らかにする。

図3を見ると、2つの成分の寄与率はそれぞれ19.72%、11.65%であり、その合計は30%を少し超える程度である。逆に言えば、70%近い情報量が反映されていないことを意味しており、説明力は決して高いとは言えない。しかし、膨大なデータを2次元で視覚化できる点は、データの大まかな傾向を鳥瞰的および直感的に把握する上で優れた方法であると言える。

図3 

言及頻度100以上の言葉の対応分析結果

次に、それぞれの成分の意味について解釈する。成分1(横軸)は、「不況」、「昨年」、「今年」や「米国」、「方針」などの言葉の寄与率が正の方向に大きい。一方、「心」、「人間」、「人」や「努力」、「京セラ」、「自分」などの言葉が、負の方向に寄与率が大きい。このことから、成分1は、「外界」に対する言及対人間の「内面」に対する言及を説明する成分と考えられる。成分2(縦軸)について見ると、「作る」、「使う」、「京都」、「電子」、「セラミック」、「研究」などの言葉の寄与率が正の方向に大きい。逆に「方々」、「経済」、「場合」、「当社」、「目標」などの言葉について、負の方向に寄与率が大きい。正の方向は、「電子業界や技術」に関する言及と考えられ、負の方向は「企業内部」への言及と解釈できる。

図3の中の各年度の座標は、成分や言葉との関係の強さを表している。すなわち、各成分との関係が強ければ中心から離れたところに布置され、言葉との距離は各年度との関連の強さを表している。60年代は一貫した傾向は見られないが、70年代は全体的に図3の右側すなわち「外界」の方に布置されていることがわかる。また、73年度以降は図3の右下の部分、「外界」かつ「企業内部」に関する証言に位置付けられている。さらに、81年度以降については第1成分の負の方向に集まっており、「内面」に関する言及と関係が強いことがわかる。1969年度と1979年度は、成分2の正の方向すなわち「業界や技術」への言及と関係が強い。これらの年度は、それぞれ創業10周年と20周年に関する言及が含まれており、そこで電子業界や製品などについての回顧や展望が語られているためであろう。

したがって、概略的な傾向としては、70年代前半は「業界や技術」に関する成分と関係が強く、「営業」、「生産」、「開発」などの言葉との関係が相対的に強い。しかし、73年以降、発言の内容は企業内部に関する言及、たとえば「製品」、「目標」、「達成」などが相対的に増えてくる。図1では、73年度以降稲盛氏の発言が急激に増えていることが示されたが、それは企業内部の課題や諸活動に対する言及が増えたことによってもたらされていることが示唆されている。たとえば、表1からわかるように、1973年度から1979年度までは、経営方針の発表に多くの文字が費やされている。経営方針の中で、稲盛氏は経済全般の動きや全社的な方針だけでなく、各職能あるいは事業部ごとの課題や方針にも詳しく言及している。この時期と企業内部に関する言葉との関係が強いのは、このような理由によるものと思われる。さらに80年代以降、稲盛氏の発言には「心」、「人」、「努力」、「自分」などの発言が相対的に増えており、人の「内面」に関する内容との関係が強くなっていることが示されている。これは、社長退任を間近に控え、従業員や管理者としての心のあり方や持ちようについて、今一度しっかりと伝えようという意図があったのではないかと思われる。

ただし、対応分析で示される関係性は、あくまで相対的なものである。たとえば、81年度以降に人の内面に関する言及は増えていると推測されるが、これは70年代にこうした発言がなかったことを意味するのではない。年度と言葉の関係は、それぞれの年度の発言に含まれる相対的な頻度を反映しているのである。

(4) 「心」の関連語

このように、「上巻」における稲盛氏の発言内容には、経時的な変化が見て取れる。企業内外の状況に関する言及が多かった70年代から、80年代は人の内面に関する言及が相対的に増加している傾向が見られる。ただし、この傾向はあくまで言及頻度に基づいた分析結果であり、言葉の持つ意味については考慮していない。ここでは、「心」という言葉とその関連語を分析することにより、稲盛氏が「心」という言葉に込めた意味について考察する。特に、稲盛氏の発言傾向が大きく異なる70年代と80年代における関連語を調べることで、「心」の意味の比較分析を試みる。

表3は、70年代と80年代における「心」と関連が強い言葉を、それぞれ上位10語ずつ抽出したものである。表中の「全体」欄の数値は関連語が登場した回数であり、カッコ内の数値はその語が文章中に出現する確率を表している。「共起」欄の数値は「心」という言葉が登場する文章中に関連語が登場した回数であり、カッコ内の数値はその語が「心」を含む文章中に出現する確率(条件付き確率)を示している。最後のJaccardの欄は、順位付けの根拠となったJaccard係数である8

表3  「心」と関連の強い言葉上位10語
70年代 80年代
順位 関連語 全体 共起 Jaccard 順位 関連語 全体 共起 Jaccard
1 思想 19(0.007) 8(0.114) 0.0988 1 145(0.093) 25(0.291) 0.1214
2 お互い 13(0.005) 6(0.086) 0.0779 2 ベース 12(0.008) 8(0.093) 0.0889
3 人間 43(0.017) 8(0.114) 0.0762 3 思う 349(0.224) 30(0.349) 0.0741
4 信じる 17(0.007) 6(0.086) 0.0741 4 判断 19(0.012) 7(0.081) 0.0714
5 ふれ合い 5(0.002) 5(0.071) 0.0714 5 自分 117(0.075) 13(0.151) 0.0684
6 信頼 21(0.008) 6(0.086) 0.0706 6 考える 89(0.057) 11(0.128) 0.0671
7 仲間 12(0.005) 5(0.071) 0.0649 7 基準 10(0.006) 6(0.070) 0.0667
8 100(0.039) 9(0.129) 0.0559 8 人間 46(0.030) 8(0.093) 0.0645
9 大切 9(0.003) 4(0.057) 0.0533 9 状態 17(0.011) 6(0.070) 0.0619
10 結ぶ 10(0.004) 4(0.057) 0.0526 10 強い 35(0.022) 7(0.081) 0.0614

表3からわかるのは、70年代と80年代では「心」と関連が強い言葉がかなり異なっているということである。共通して関連が強いのは「人」と「人間」だけであり、後はすべて異なる。70年代は、「思想」のほか、「お互い」、「信じる」、「ふれ合い」や「信頼」、「仲間」、「大切」、「結ぶ」といった言葉との関連が強い。これを見ると、70年代は人と人との信頼関係の大切さを述べる上で、「心」がよく用いられていると思われる。たとえば、72年度(昭和47年度)には「心」を含む文章として、次のような例が挙げられる。

昨年に続き要求を上回る回答になったわけでありますが、お互いが信じ合える社会の少ない中で、すばらしい善意から出た心、これを受ける心がお互いに誠実に、お互いの心を理解し合えるようなすばらしい関係の中で、私はたとえ組合の少ない要求に便乗するような気持にはなれないのであります(昭和47年度昇給に際しての社長訓辞―相互信頼に結ばれて―)。

これは、組合の要求額(7,900円、15%アップ)に対し、それを上まわる昇給提示(10,500円、20.1%アップ)を行った際の言葉である。ここには、労使の信頼関係を述べる上で「心」が用いられている。また、70年代で最も「心」という言葉が用いられた79年度には、次のような文章がある。

これは正に福沢諭吉も言ったことでありますので、これを参考にあげ今後激動する経済の中で、我々はこれをベースにし、つまり我々のこのすばらしい心と、心を結ばれたこの仲間の結束とその連中が持つべき思想というものを立派にして、この激動する80年代をのりきっていきたいとこう思っています(昭和55年度経営方針)。

この文章を述べる前に、稲盛氏は福沢諭吉の「思想の深遠なるは哲学者のごとく、心術の高尚正直なるは元禄武士のごとくにして、これに加うるに、小俗吏の才能をもってし、さらにこれに加うるに、土百姓の身体をもってして、はじめて実業社会の大人たるべし」という文章を紹介している。さらに、「我々が何故京セラフィロソフィが大事であるかということは、つまり人間それぞれいろんな能力を持ち、熱意をもっておるだろうけど、考え方つまり思想と心がいい方向に向いていませんと決していい結果が生まれません(昭和55年度経営方針)」と述べている。稲盛氏は、人生や仕事の結果は考え方と熱意と能力の掛け算であると述べているが、考え方の中に思想と「心」が含まれている。ここでは、高尚正直であることが、よい「心」のあり方として示されている。

このように、70年代は主に信頼で結ばれた人間関係を説明する上で、「心」が使用されていると解釈できる。相手に対する善意や誠実さ、正直であることがよき「心」のありようであり、そうした「心」と「心」がゆるぎない信頼関係や結束を生み出すという稲盛氏の考えが述べられていると考えられる。

一方、80年代は、「ベース」、「思う」、「判断」、「自分」や、「考える」、「基準」、「状態」、「強い」との関連が強くなっている。これを見ると、企業経営の「ベース」としての「心」、および物事の判断基準としての「心」の持ち方が強調されるようになっていることが推測される。

「上巻」において、「ベース」という言葉が「心」とともに用いられたのは、81年度が最初である。そこには、次のように書かれている。

23年前、会社を創りましたとき、私が最初に考えましたのは、「人の心」をベースにして経営していこう、ということでした、それはある閃きでもあり、そう根の強いものではなかったわけです。(中略)さて、頼るべきもの、技術とかお金というものがなかったものですから、仕方なしに心というものに頼らざるを得なかったわけです。その頼る心というもので仕事をしていこう、いわゆる「人々の心の協力」というものが企業経営で一番大事である、従業員など周囲にいる人々の心というものが、心から協力してくれる体制が大事であろうというのが、心をベースにということなのです(フィロソフィの原点)。

ここでの「心」の意味は、70年代と共通しているように思われる。すなわち、人々の信頼や協力を生み出すものとしての「心」について、ここでも語られている。ただ、それが企業経営の根本にあると社内報で宣言されたということが、80年代の特徴であろう。

80年代の「心」の意味のもう一つの特徴は、物事の判断基準としての「心」である。たとえば、1983年度には次のような発言が見られる。

感謝報恩の気持ちがあれば、不平不満、愚痴、そういうものが抑えられるわけであります。本能心を抑えるためには、日常生きていく中で感謝できる心、毎日毎日ありがたいという気持ちがありさえすれば、それが不平不満、雑念妄念を生ずる本能心を抑えるひとつの大きな武器となるわけであります。本能心を払拭し、より高い次元の美しい心のもとで判断をするその判断は、正しい判断であり、幸せを呼ぶと、今でも私は信じております(昭和58年本年1年を振り返って)。

この発言は、ヤシカ合併という大きな意思決定を行った際、旧ヤシカ社員が大いに喜んだというエピソードとともに語られている。人を喜ばせるような結果をもたらす意思決定は、利己心や本能心ではなく、感謝報恩というより高い次元の心から生まれるということを意味している。

同様に、1985年度には次のような発言が見られる。

過去に遭遇したことのない例にぶつかったときなどは、まさに自分自身の心を基準にして、つまり、自分の心に問うてみて、良い悪いを決めています。自分の心、意識、そういうものが判断の基準です。たとえばエゴに満ちた人、自分だけ良ければいいという本能心だけが心の中を大きく占めているような人は、自分のエゴだけに問うて、ことの善悪を決めています。また一方で、エゴを極力おさえ、排除して、そのエゴよりも少しでも次元の高い心を持とうと努力している人は、その次元の高い心にディシジョンの基準を求めて判断をしています(心をどういう状態に保つか)。

この発言からは、稲盛氏が不確実な状況の下での意思決定に際し、「心」を基準にしていることがわかる。しかも、その「心」は利己的なものではない、より高い次元のものであるという。高い不確実性下での意思決定に関して、企業家の意思決定を研究したサラス・サラスバシーは、彼らが「自分が何者であるか」、「何を知っているのか」、「誰を知っているのか」というカテゴリーに基づき、手持ちの手段を用いることを示した(Sarasvathy, 2001, 250)。稲盛氏が言う「心」は、「自分が何者であるか」を定義する上で基準となるのではないかと考えられる。稲盛氏は、利己的ではない高次の「心」で自己を定義することは、不確実な環境下での意思決定において正しい決定を行うことにつながると述べているのではないだろうか。

最後に、「心」と「強い」の関連も見ておきたい。稲盛氏は、1982年度にある人物の言葉である「まず目標を立てて、それを達成しようという強い心が働けば、これはもう成功したのと同然です」を引用し、次にこのように述べている。

つまり、人生における目標設定、どういう人物になりたい、どういうことをやりたいということを明確に目標を設定することが大切です。次には目標を達成することが自分にはできるということを信ずることです(創立満23周年記念式典―新しい目標に向かい、精神を集中させ、毎日一歩一歩進もう―)。

この場合の「強い心」には、モティベーションや目標に対するコミットメント以上の意味が込められているように思われる。なぜなら、ここでいう目標とは単に個人的な欲求を満たすためのものではなく、人生の目標といういわば生きる意味を含んでいるからである。したがって、ここでいう目標とは、コーリング(天職)概念9との親和性が高い。1984年度には、「心」と関係の深い「魂」という言葉を用い、次のような文章がある。

心の奥底から、魂からこうありたいという強い願望を持った人ですと、経済環境、企業をとりまく環境、あらゆる環境がどんな難しい局面にあったとしても、魂から発しているものは、信念まで達していますから、どんな困難な問題があっても、この集団の幸せを思えば、なんとしても自分が思う、こうありたいと思うことを実現したいと考えます。そう思うところに、実はその難問を克服していこうという努力と創意が生まれてくるわけです(魂からほとばしる信念を持て)。

稲盛氏は、魂について「心の奥底にあるもの」、「真の我」と述べている。つまり、「心の奥底」にある魂から生まれた願望であるならば、あらゆる困難を乗り越えて実現したいと考えるようになり、そのために必要な創意工夫や努力が生まれるとしている。

しかし、70年代と80年代における「心」との関連語の変化を、「心」の意味の変化と解釈するのは間違いであるように思われる。たとえば、判断については、1974年度にすでに「『してやる側』は『してもらう側』のことを考え、『してもらう側』は『してやる側』のことを考える。そこにはじめて正しい判断が生れてくるのであります」という言葉が述べられている(昭和50年度経営方針「真の京セラの飛躍の年」を目指す)。この言葉は、エゴを抑えた高次の心と共通している。また、1977年には、「潜在意識にまで透徹した願望で」という見出しで、前述の「強い心」、「魂」と同様の内容が述べられている。80年代は、こうした心理的な内容が「心」という言葉のもとに整理されていったと見るべきではないだろうか。

このように、80年代に入り、人々同士の信頼関係を生む「心」に加え、意思決定や判断の基準として、願望を実現させる原動力としての「心」が語られるようになった。70年代の苦難を乗り越え、大企業に成長した京セラの社員に対し、稲盛氏は自らの体験を振り返り、京セラにおいて大切にされてきたもの、京セラの価値観を伝えようとしたと考えられる。

7. おわりに

本稿では、「社内報 敬天愛人 巻頭言集(上巻)」における稲盛氏の発言をもとに、稲盛氏が重視し、部下に伝え残そうとした考え方を分析することで、どのような組織文化を京セラに醸成しようとしたのかを見ようとした。その結果、1973年度以降稲盛氏の発言はそれ以前に比べると格段に増えており、内外の情勢変化に対して、従業員に多くのメッセージを伝えようとする姿勢を見て取ることができた。

発言の内容は、やはり企業経営に関する言葉が多いが、その中で目立つのは「心」という言葉の多さ(第24位、226回)である。青山(2012)が「心の経営」と名づけ、稲盛氏自身も「心をベースにした経営」と呼んだ京セラの価値観は、社内報にも反映されていたと考えられる。稲盛氏は、社員に対し経営方針や外部環境について述べるだけでなく、「心」の重要性も一貫して訴えていたことが理解できた。

また、発言の内容は年度ごとに異なり、特に70年代と81年以降では相対的な言及頻度に変化が見られた。70年代は企業内部の課題や方針、目標に関する言及が比較的多かったが、81年以降は人の内面に関する言及が増えていった。これは、稲盛氏が第一線を退く前に、自らの体験から京セラの価値観や経営の原理原則を抽出し、社員に伝え残そうとしたためであろうと思われる。

同時に、「心」の意味もより多面的かつ豊穣になっていったように思われる。「心」は、人々の信頼関係のもととなる善意や誠実さに加え、意思決定の基準、願望を現実化する原動力としての意味も表すようになっていった。稲盛氏は、心をベースにした経営という原理原則を伝えるにあたり、これらの意味も「心」の中に含めていったのではないかと考えられる。これは前述したように、「心」の意味が変化したというより、これまで稲盛氏が述べてきたことを「心」を中心に整理していったプロセスではないかと思われる。その意味では、稲盛氏のメッセージは「上巻」を通じて言葉は違えども一貫しており、驚かされる。

最後に、今後の研究課題について述べることにする。まず、他の言葉に対する分析である。本稿では、「心」に焦点を当てたが、他の言葉について同様の分析を行うことも興味深い試みである。たとえば、技術、製品、社員など、一見普通の言葉に思われるものに対して関連語の変化を見ると、含意される意味の変化を分析できるかもしれない。また、可能ならば他の経営者が書いた社内報が入手できれば、比較研究も可能になろう。

組織文化の分析という観点から見れば、稲盛氏以外の社員が書いた文書の分析も興味深い。トップのメッセージが社員によってどのように解釈されてきたのか、もし入手可能な資料があれば分析してみると面白い。

最後に、「心」の意味について、さらに深く研究することも必要であると思われる。稲盛氏が強調する「心」は、個人的・利己的なものではない。それは他者に対する思いやりや誠実さ、感謝報恩の気持ちを意味する社会的・利他的なものである。くわえて、心の奥底からの願望は、実現のためのエネルギーや創意工夫をもたらす。それは通常の意識ではない潜在意識まで透徹した願望であると稲盛氏は述べている。このように、稲盛氏が言う「心」は、自我や通常の意識を超えた状態を意味しているように思われる。このような状態は、前述の天職のほか、Maslow(1964)の「至高体験」やスピリチュアリティ(狩俣、2017)の体験に近いのではないかと考えられる。稲盛氏の「心」とこうした概念との関連について研究することは、学術的にも実践的にも今後の重要な課題として指摘できるだろう。

(1)  自己概念とは、自社の強みに関する言及である。また、哲学とは技術的あるいは経済的資源を超えた何ものかを達成しようとする意欲やスピリットに関する言及であり、顧客はまさに顧客に関する言及を指している(Kemp and Dwyer, 2003, 640–644)。

(2)  曲沼(2008、59)によれば、国内社内報の第一号は鐘淵紡績会社(現クラシエホールディングス)の「兵庫の汽笛」(明治36年6月)であるという。これは、当時同社の支配人であった武藤山治氏の発案であった。「兵庫の汽笛」は第3号から「神戸の汽笛」と改題され、月2回の発行で全社員、その家族、職工を募集していた地域の役場に配布されたという。

(3)  KH Coderは、樋口耕一氏(立命館大学産業社会学部教授)が作成したテキスト型データを統計的に分析するためのフリーソフトウェアである。http://khcoder.net/よりフリーでダウンロードできる。

(4)  1964年から1972年の文字数の平均値は5,887文字であるのに対し、1973年から1985年の平均値は18,165文字であった。

(5)  「心をベースとして経営する」https://www.kyocera.co.jp/inamori/philosophy/words51.html

(6)  KH Coderには、言葉と言葉の関連を分析する基準として、「文書」と「段落」という二つの選択肢があるが、本稿の分析ではすべて「文書」を基準として用いている。その理由として、段落の区切り方に必ずしも一貫性が見られなかったことが挙げられる。すなわち、一つの段落が非常に長いものもあれば、極端に短い段落もあったためである。

(7)  ある言葉Aと言葉BのJaccard係数は、以下の式で計算する。

  

Jaccard係数=ABAとB両方が含まれる文章の総数ABAあるいはBが含まれる文章の総数

(8)  表3の説明については、樋口(2018、148)を参考にした。

(9)  天職とは、「自分の仕事を、自分を超えた力や、自分自身の人生の目的、あるいは社会への貢献とむすびつけて意味づけられる感覚」と定義される(上野山、2019、78)。

文献一覧
  • 青山敦(2011)『京セラ稲盛和夫 心の経営システム』日刊工業新聞社。
  •  上野山 達哉(2019)「コーリングによる職務行動志向への影響の両義性―自動車販売職における定量的分析をもとに」、『日本労働研究雑誌』第713巻、77–88頁。
  • 狩俣正雄(2017)『スピリチュアル経営のリーダーシップ:働きがいのある最高の組織づくりに向けて』中央経済社。
  • 齋藤朗宏・武田寛(2014)「テキストマイニングによる経営理念の分析」、『The Society of Economic Studies The University of Kitakyushu Working Paper Series』2013-3。
  • 樋口耕一(2018)『社会調査のための計量テキスト分析:内容分析の継承と発展を目指して』ナカニシヤ出版。
  • 曲沼美恵(2008)「起源探訪No.2 社内報」、『Works』2008年12月–2009年1月号、59頁。
  •  Anderson,  C. J.,  Imperia,  G. (1992) “The Corporate Annual Report: A Photo Analysis of Male and Female Portrayals”, The Journal of Business Communication, 29-2, pp. 113–128.
  •  Babnik,  K.,  Breznik,  K.,  Dermol,  V.,  Sirca,  N. T. (2013) “The Mission Statement: Organizational Culture Perspective”, Industrial Management & Data Systems, 114-4, pp. 612–627.
  • Brown, J. S., Denning, S., Groh, K., Prusak, L. (2005) Storytelling in Organizations: Why Storytelling Is Transforming 21st Century Organizations and Management, London, Routledge.(高橋正泰・高井俊次監訳、『ストーリーテリングが経営を変える:組織変革の新しい鍵』同文館出版、2007年。)
  • Dougherty, D., Kunda, G. (1990) “Photograph Analysis: A Method to Capture Organizational Belief Systems”, in P. Gagliardi (ed.), Symbols and Artifacts: Views of The Corporate Landscape, New York, Aldine de Gruyter.: pp. 185–205.
  •  Duriau,  V. J.,  Reger,  R. K.,  Pfarrer,  M. D. (2007) “A Content Analysis of The Content Analysis Literature in Organization Studies”, Organizational Research Methods, 10-1, pp. 5–34.
  •  Kemp,  S.,  Dwyer,  L. (2003) “Mission Statements of International Airlines: A Content Analysis”, Tourism Management, 24, pp. 635–653.
  • Maslow, A. H. (1964) Religion, Values and Peak-Experience, Ohio State University Press.(佐藤三郎・佐藤全弘訳、『創造的人間:宗教・価値・至高体験』誠信書房、1972年。)
  • Mills, A. (1996) “Corporate Image, Gendered Subjects and The Company Newsletter: The Changing Faces of British Airways”, in G. Palmer and S. Cregg (eds.) Constituting Management: Markets, Meanings, and Identities, Berlin, Walter de Gruyter, pp. 191–211.
  •  Sarasvathy,  S. D. (2001) “Causation and Effectuation: Toward A Theoretical Shift from Economic Inevitability to Entrepreneurial Contingency”, Academy of Management Review, 26-2, pp. 243–263.
  • Schein, E. H. (1999) The Corporate Culture Survival Guide, New and Revised Edition, New York, John & Wiley Sons.(尾川丈一監訳、松本美央訳、『企業文化(改訂版):ダイバーシティと文化の仕組み』白桃書房、2018年。)
  •  Tinker,  T.,  Neimark,  M. (1987) “The Role of Annual Reports in Gender and Class Contradictions at General Motors 1917–1976”, Accounting, Organizations and Society, 12-1, pp. 71–88.
 
© 2022 稲盛ライブラリー

この記事はクリエイティブ・コモンズ [表示 - 非営利 - 改変禁止 4.0 国際]ライセンスの下に提供されています。
https://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/4.0/deed.ja
feedback
Top