抄録
結核撲滅に関する問題は何時の時代にも常に我国の重要な課題である. 支那事変が勃発するや戦争と結核との関係, 殊に軍人結核は重大性を帯び, 我々の療養所もその対策の一つとして昭和14年に発足し昭和20年の終戦までに2,160名の結核傷痍軍人を収容した. 戦後化学療法の長足の発達に加うるに, 集団檢診の徹底, BCGの普及, 保健所網の整備, 療養施設の拡充, 外科的療法の進歩, 社会的保障政策などの影響により, 我国の結核死亡率は数年の間に急速に減少したが, 一方結核患者数は上昇の一途をたどりつつあり, 社会の関心をかつている. 結核傷痍軍人に引き続き一般結核患者を収容した我々の療養所でも, 年間結核死亡数は著明に減少しつつあるが, 強力な化学療法の行われなかつた時代の愚者について, その予後を観察してみることも, 現在行いつつある治療法に何らかの参考となり得ることと思い, また戦時中軍の機密として発表を禁じられていた結核傷痍軍人の実態を明らかにすべく, 当所に入所加療した結核傷痍軍人について種々統計的観察を実施したので, その大要を報告する.