2015 年 8 巻 p. 129-142
見田宗介による「まなざしの地獄」は、日本国内における社会学研究の古典の一つとしてよく知られている。本稿もまた、見田宗介の「まなざしの地獄」と同じように、「N・N」こと永山則夫の生活史記録を軸として展開する。しかし、見田が指摘した社会学的発見とは異なる。つまり、永山則夫という一人の死刑囚の生活史記録(正確には面談の記録)を丹念に追っていくことによって浮かび上がるトラウマ体験とトラウマ反応の軌跡が描く、永山則夫「自身の内面の風土と周囲の他者とのあいだに、すなわち対自と対他のあいだに、容易には了解を成立せしめない空隙のようなものの存在することを示唆」し、その空隙を少しでも埋め、縫合しようとする一つの試みである。
特に、見田宗介による「まなざしの地獄」の中の転職理由の分析の箇所に着目したところ、見田は様々な量的データを組み合わせながら、当時「金の卵」と持ち上げられて地方から都市部に流入してきた青少年たちが休日を求めて転職を繰り返していたことを鮮やかに示したが、少なくとも永山則夫にはその解釈は当てはまらない可能性が浮かび上がった。つまり、永山則夫は乳幼児期から家族から虐待を受け続け、それらがトラウマ体験となり、トラウマ反応によって職場から逃避し、結果的に転職が繰り返されてきたとも解釈できる。
これにより、本稿を通して、貧困調査研究における臨床心理学的および精神医学的な知見の必要性もまた指摘した。