抄録
応用倫理が現実社会に積極的に適用される理論であるとしたら、学校教育においても意義ある教育内容として伝達されなくてはならない。例えば、環境倫理が有する世代間倫理の思考形式は、判断能力の陶冶として、環境倫理が環境教育に課する意義ある教育的課題の一つに違いない。この教育的課題は、人間の尊厳の概念を、現在を中心にした自律的主体性といった概念から、未来世代を含めた視点によって個人の欲求を内的に規制する主体性の概念へと拡張することを求めることでもある。しかし、著しく人間の尊厳を軽視する理論に対しては、教育の倫理的規範が応用倫理の言説に拮抗してくる。特に、人間中心主義をラディカルに否定する主張に関しては、逆に適切な教育内容として伝達可能か否かが問われてくるのである。このことは、教育に潜む伝達可能性の規範が応用倫理の主張内容を制限する規範となりえることを意味している。