日本内分泌・甲状腺外科学会雑誌
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特集2
乳頭癌に対するRisk-adapted management:リスク分類に基づく甲状腺切除範囲
松津 賢一杉野 公則伊藤 公一
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2015 年 32 巻 4 号 p. 253-258

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抄録

甲状腺乳頭癌の初期治療方針は,諸外国とわが国では従来大きく異なっていた。甲状腺切除範囲は,わが国では亜全摘以下の甲状腺温存手術が中心であったが,欧米では広く全摘が推奨されていた。しかしATAは今回のガイドライン改訂で個々の症例のリスクに基づいて切除範囲を決定するRisk-adapted managementを採用した。4cmより大きな腫瘍,肉眼的腺外浸潤,臨床的リンパ節転移,遠隔転移のいずれかを有する症例は高リスクとして全摘を,1cmより小さく腺外浸潤やリンパ節転移がなければ低リスクとして葉切除を推奨し,どちらにも該当しない症例では個々の症例ごとにいずれの術式も選択可能とした。未だ甲状腺切除範囲と予後に関するエビデンスが十分とは言えず,残された課題も多いが,今回のATAガイドライン改訂に伴って,NCCN,BTAを含む欧米のガイドラインは,わが国と類似した治療戦略を取ることになった。

はじめに

臨床的顕性乳頭癌(以下乳頭癌)に対する手術は甲状腺切除とリンパ節郭清から構成され,甲状腺切除範囲には葉切除,亜全摘,(準)全摘がある。全摘は残存甲状腺再発の心配がなく,131Iシンチグラムやアブレーションが直ちに導入でき,再発マーカーとしてのサイログロブリン(以下Tg)の感度が上がるなどの利点があるが,生涯に渡る甲状腺ホルモン補充療法を要し,反回神経麻痺や副甲状腺機能低下症などの手術合併症のリスクが葉切除より高い。葉切除は手術合併症や補充療法の可能性が少なくなるが,対側葉が残存するために,Tgの再発マーカーとしての感度は低く,131Iシンチグラムやアブレーションはできず,残存甲状腺再発の可能性もある。両術式には各々の利点と欠点があるので,生命予後に差がなければ一概に優劣はつけられない。そして甲状腺切除範囲と生命予後に関して信頼に足る前向き試験やランダム化比較試験(Randomized controlled trial:以下RCT)は存在せず,また近い将来に実現する可能性も低い。このため,概して欧米諸国では(準)全摘が,わが国では葉切除から亜全摘までの甲状腺温存手術が中心というように,切除範囲には彼我に大きな隔たりがあった。しかし,今回の米国甲状腺学会(以下ATA)ガイドラインの改訂[]によって,乳頭癌手術における切除範囲は国際的なコンセンサスに近づいたように見える。ATAガイドラインにおける乳頭癌に対する切除範囲の変遷を,わが国のガイドラインや,わが国から発信されたエビデンスが与えた影響とともに読み解き,日本の甲状腺癌診療の将来展望について考えてみたい。なお,微小乳頭癌に対する非手術経過観察については他稿に詳しいので,本稿では触れない。

ATAガイドラインにおける切除範囲:1996年版から2009年版まで

ATAは1996年に初めて甲状腺分化癌の治療ガイドラインを発表した[]。切除範囲に関する採用論文は1件[]とエビデンスに乏しく,冒頭で至適切除範囲はcontroversialであると断っているが,局所浸潤,遠隔転移,頭頸部に照射歴のある患者は全摘の適応とされた。また腫瘍径の小さな(<1.5cm)単発の乳頭癌で全摘が生命予後を改善するエビデンスはないが,再発率の低下には貢献するという記載からは,生命予後のみならず,再発予後までを考慮すれば,広くすべての症例において全摘に優位性があるように読みとれる。

次にATAは2006年に,今日と同様の形式でガイドラインを発表した[]。切除範囲に関して10件の論文が採用されたが,全て全摘を乳頭癌治療の中心とする欧米からの報告であった。また多くは1996年以前の報告であり,得られた知見も1996年版と同じく,①全摘は高リスク症例においては生命予後を改善する,②全摘が低リスク症例の生命予後を改善するエビデンスはないが,再発予後は改善する,という2点であった。示された治療方針は1996年版と大きく変わらず,腫瘍径1~1.5cm以上,対側に結節性病変,リンパ節転移,遠隔転移,頭頸部の照射歴,第一度近親者に分化癌の家族歴,のいずれかがあれば全摘を推奨するとされた。一方で,小さく単発性で,腺外浸潤やリンパ節転移のない低リスク症例は葉切除で十分かもしれないとしているが,具体的なサイズや低リスクの定義は明記されておらず,全摘が標準術式であることに変わりはなかった。

2009年にATAは,2006年版を原型としてガイドライン改訂を発表した[]。切除範囲に関する採用論文は11件だが,このうち10件は2006年版と同一であった。従って,切除範囲に関する変更点は新規に採用された後述する1編の論文[]に依存していると言ってもよい。

NCDB(National Cancer Database)は,米国外科学会がん部会(COC/ACS)と米国対がん協会(ACS)が共同で運営する全米レベルのがん患者データベースである。BilimoriaらはNCDBから抽出した乳頭癌52,173例のデータを検討し,リンパ節転移や遠隔転移がなく,腫瘍径が1cmより大きい乳頭癌症例において,全摘は再発率のみならず生存率も改善すると報告した[]。これを根拠に,2009年版では腫瘍径が1cmより大きい分化癌は全摘すべきであると提唱した。一方で葉切除を許容する条件や,それが限られた症例で選択可能なオプションであるという位置づけは変更されていない。

わが国のガイドライン(2010年版)における切除範囲

2010年に,日本内分泌外科学会と日本甲状腺外科学会の共同編集によって,わが国で初めて甲状腺腫瘍診療ガイドラインが作成され[],2011年には英語版が発表された[]。まず委員会では切除範囲と予後に関するエビデンスを詳細に検討したが,生命予後はもちろん再発予後も含めて,全摘が葉切除よりも予後を改善する十分なエビデンスはないと結論づけた。そこで作成委員会は議論を重ね,乳頭癌を生命予後に対するリスクに応じて分類して切除範囲を決めることを考案した。全摘を推奨する高リスク症例はコンセンサスベースで,5cmを越える腫瘍,高度のリンパ節転移,高度の腺外浸潤,遠隔転移を有する症例と決定した(表1)。逆にT1N0M0の明らかな低リスク症例については葉切除でよいというコンセンサスが得られた。そしていずれにも該当しない症例はグレーゾーンとして残し,個々の施設で症例ごとに,全摘と葉切除のリスク,ベネフィットを鑑みて最終決定することを提案した。ただしグレーゾーンの中でも,T3(4cm以上),明らかなN1(N1a・N1bを問わず)については全摘を勧めることが追記された。

表1.

わが国と各国のガイドラインにおける乳頭癌に対する甲状腺切除範囲

当時の欧米の各ガイドラインは全摘を標準術式としており,葉切除は限られた低リスク症例でのみ選択が許されるオプションであった。従ってわが国のガイドラインが,リスク分類に応じて全摘または葉切除のいずれかを選択するRisk-adapted managementを導入したことも,いずれにも該当しない患者群をグレーゾーンと分類し,個々の症例ごとに切除範囲を選択できる余地を残したことも,非常に特徴的であった。

今回のATAガイドライン改訂:2015年版

ATAは今回のガイドラインで21件の論文を採用した。その半数は前回ガイドラインが改訂された2009年以降の新しい報告であり,これが今回のガイドラインにおける劇的な方針転換に繋がっている。

まずデータベースを用いた多数症例の検討としては,NCI(National Cancer Institute)によるSEER(Surveillance Epidemiology and End Results)から,Haighら[]が乳頭癌5,432例,Barneyら[10]が分化癌23,605例,Mendelsohnら[11]が乳頭癌22,724例のデータをそれぞれ抽出し,いずれも全摘と葉切除で生存率に有意差がないことを報告した。

単一施設からは,米国のhigh volume centerのひとつであるMemorial Sloan-Kettering Cancer Centerからの,T1およびT2の分化癌889例(うち乳頭癌は800例)において,観察期間中央値8年で全摘群と葉切除群の生存率に有意差なしとする報告が引用された[12]。

そして本邦からは,筆者らの施設で郭清を伴う葉切除術で治療された乳頭癌1,088例の長期の後ろ向き研究(観察期間中央値17.6年)で,15年生存率98%という極めて良好な成績を得た報告が引用された[13]。これは全摘と葉切除の予後を比較した検討ではなかったが,葉切除術後のデータが乏しい欧米諸国には大きなインパクトを与え,適切に適応を選べば葉切除でも良好な長期予後が得られるというエビデンスとして,BTAガイドライン2014年版にも採用された。

さらにATAは2009年版の根幹を支えた前述のBilimoriaらの論文[]を見直し,腺外浸潤や手術根治度などの生命予後に影響を及ぼす可能性のある因子の情報がなかったとして,エビデンスとしての確かさを自ら否定した。こうして,適切に適応を選択すれば葉切除で生命予後が悪化することはないということが初めてATAによって認められた。

また葉切除の適応を適切に選択すれば局所再発率は1~4%,補完全摘術は10%以下に抑えられ[1214],また局所再発は容易に発見でき,生命予後に影響することなく治療しうるという報告をもとに[1214],低~中間リスクの患者においては再発予後の点でも,葉切除は許容しうると述べられた。

アブレーションについては,Mazzaferriら[15]が有用性を唱えて以降,欧米諸国では標準治療の一環として積極的に施行されてきたが,近年では低リスク症例において,その効果を否定した報告が多い。また近年の超音波検査と超音波ガイド下細胞診の精度向上や,わが国のMiyauchiらが提唱している経時的なTg計測[16]によって,術後の腫瘍遺残や再発検索における131Iシンチグラムの重要性が低下してきたこともあり,131Iシンチグラムやアブレーションをルーチンで行うという理由で全摘を推奨することもできなくなった。

また近年のがん登録制度の導入に伴って各国で明らかにされつつある甲状腺癌診療の現状も,手術合併症の点で有利な葉切除の適応拡大に繋がっている。甲状腺手術経験が豊富な専門医による手術では反回神経麻痺や副甲状腺機能低下症のリスクが高くないことは事実だが,現実的には全米の甲状腺手術の80%以上は甲状腺手術経験が多くない医師(年間100例以下)によって行われていることが明らかにされ[17],さらにHauchら[18]は経験豊富な専門医でも,葉切除と比較すれば全摘における合併症発生率は有意に高いことを報告している。

こうしたエビデンスに基づいて,今回ATAは乳頭癌手術における切除範囲の考え方を根本的に変えた[]。すなわち,全摘が標準術式であるという概念を棄て,わが国と同様,リスクに応じて全摘または葉切除のいずれかを選択するRisk-adapted managementを採用した。さらに全摘を推奨する適応基準についても,これまでよりも範囲が限定されるようになった。

ATAを含む各国とわが国のガイドラインを表1に示した。腫瘍径に関してATAを始め欧米諸国は,揃って4cmより大きい場合に全摘を推奨している。わが国の閾値は5cmだが,作成委員のコンセンサスとして4cmを越える場合には全摘を勧めると追記されている。腺外浸潤については,ATAは肉眼的腺外浸潤(clinical T4)だが,わが国では対象臓器と程度を気管・食道粘膜面を越える腺外浸潤に限定している点が異なっている。またリンパ節転移も,臨床的リンパ節転移(clinical N1)とする欧米のガイドラインと,高度のリンパ節転移に限定したわが国では異なっているが,ここでもわが国は明らかなN1(N1a・N1bを問わず)も全摘を勧めると追記している。また葉切除を推奨する腫瘍径については,わが国は2cm以下だが,欧米諸国は1cm未満である。このように適応基準に細かな違いはあるが,今回のATAの改訂を以って,ATAを含む各国のガイドラインは結果的には総じて極めて類似したものとなった。

おわりに

今回ATAガイドラインにおいてRisk-adapted managementが採用されたことは,予後良好な症例にまで全摘やアブレーションを行う過剰治療からの脱却として評価できるが,ATAにもわが国のガイドラインにも共通する問題が残されている。

一つは,完璧に予後予測が可能なリスク分類がないことである。わが国のガイドラインでは妥当性(予後予測性)および利便性に優れたリスク分類法としてTNMを推奨しているが,切除範囲の選択とは必ずしも一致せず,さらに現状では高リスクにも低リスクにも分類されない,大きなグレーゾーンが残されている。特にわが国のガイドラインには,グレーゾーンであるにも関わらず全摘を勧められているグループ(腫瘍径4cm以上,明らかなN1)が存在することが,治療アルゴリズムを分かり難いものにしている。少なくとも次回の改訂では,この“あいまいな”グループに関してクリアな判断がなされることが期待される。また乳頭癌の予後因子として有力な年齢の影響についても,さらなる検討が必要であろう。

二つ目は,ガイドラインでは高リスク症例に全摘を推奨しているが,全摘によって,あるいはアブレーションを追加することによって予後が改善するというエビデンスがないことである。この点に関しては,直接的な回答が得られるRCT実現の可能性が将来的にも低いため,間接的・非効率的ではあるが,後ろ向き研究を積み重ねていくことで,結論を類推する手法を取らざるを得ない。わが国は法的規制や放射性ヨード使用施設充足度の問題もあり,これまでは131Iアブレーションがあまり行われてこなかった。見方を変えれば,これは純粋に切除範囲による予後の差異を検討できるデータが多いということであり,そのようなデータを積極的に欧米に向けて発信すべきである。特に今後分子標的薬(Tyrosine kinase inhibitor:以下TKI)の臨床応用が進むに従って,手術,アブレーション,TKIのそれぞれの治療効果を個々に把握していることは,これらの併用も含めた総合的な治療方針決定のために大いに役立つはずである。

三つ目は,国際的にはもちろん,それぞれの国内においても,手術や術後経過観察などの診療の質を均一にすることが難しいことである。仮に純粋に科学的に高リスクと低リスクを分類することが可能になっても,施設,術者,術後外来担当医のレベルによって手術合併症の発生率,術後再発検索の検査法や検出率が均一でなければ,一概に切除範囲を決定することは不可能で,これらの社会的適応によって切除範囲が決定されることもやむを得ないであろう。これは各国の社会環境,医療事情,地理的・物理的・経済的な問題も関与しており,国際的にはもちろん,各国内においても統一した回答を得ることは容易ではない。わが国でも,現在集積が進むNCD(National Clinical Database)データの解析によって問題点が明らかにされ,独自の解決策が見つかることを望むが,内分泌外科および甲状腺外科専門医師数,専門医教育や専門医制度の改善も含まれる長期的な問題であり,実はこの問題の解決が最も難しいかもしれない。

【文 献】
 

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