2015 年 32 巻 4 号 p. 285-289
学童期に受けたバセドウ病手術後,50年間経過観察されず,特徴的な身体所見を有した,経緯詳細不明な症例を経験した。症例は59歳,女性。甲状腺機能低下症および副甲状腺機能低下症にて当院へ紹介。発見契機:頭部CTでの両側大脳基底核小脳石灰化。既往歴:学童期のバセドウ病手術(詳細不明)。特定の疾患での受診歴,通院歴なし。初潮11歳,閉経46歳。妊娠出産歴なし。家族歴:両親は他界。同胞に同様の身体所見や内分泌疾患などの既往なし。現症:低身長,肥満,円形顔貌。軽度精神発達遅滞疑い。頸部にU字状創瘢痕。甲状腺を両葉に結節状に触知。頸部US:両葉に結節性甲状腺腫の所見。経過:術後結節性甲状腺腫,甲状腺機能低下症および副甲状腺機能低下症による低Ca血症と診断。甲状腺ホルモン補充,活性型VitD3およびCa剤投与で,経過良好である。本症例の甲状腺手術の身体発育への影響は,推察困難であった。副甲状腺機能低下症の鑑別は,確定に至っていない。
小児のバセドウ病の治療に於いて,thyroidectomyは最も迅速に効果の発現する治療法であり,治療法の選択肢の一つ,として位置付けられている[1]。その一方で,術後には,持続する甲状腺機能亢進症や甲状腺機能低下症の発症も指摘されている[1~3]。従ってバセドウ病手術後は,定期的にthyroid function testを行う必要がある[2]。特に小児や若年者においては,終生の経過観察が必要とされる[4]。
成人において,甲状腺手術の既往を持ち,他医よりの医療情報提供なしに,甲状腺外来を受診することは日常経験されることである。術後長年医療機関への受診のない場合でも,患者やその家族への問診より,十分な医療情報を得ることが可能である。
今回学童期にバセドウ病手術を受けて以来,50年間,医療機関での経過観察が為されず,更に特徴的な身体所見を有した症例を経験した。両親は既に死亡しており,バセドウ病手術に関する詳細は不明であった。また特徴的な身体所見も精査されることなく放置されていた。現在の日本に於ける医療水準から考え,極めて特異な症例と考えられる。本症例に認められた特徴的な身体所見および副甲状腺機能低下症と甲状腺手術との関連につき考察する。
患 者:59歳,女性。
主 訴:甲状腺ホルモン低値および低カルシウム血症(以下 低Ca血症)。
既往歴:学童期(小学4~5年生頃)に2回バセドウ病で甲状腺手術を受けた(手術方法など詳細不明)。学童期前は詳細不明。術後当該疾患も含め,特定の疾患での受診歴,通院歴なし。
家族歴:実父母は共に死亡しており詳細不明。患者の同胞に特記すべきことなし。
個人歴:初潮13歳,閉経50歳。妊娠,出産歴なし。
現病歴:偶発的な転倒に因る頭部外傷にて脳神経外科を受診。施行された頭部CTで,両側大脳基底核および小脳歯状核に石灰化を認めた(図1)。採血検査にて副甲状腺機能低下症および甲状腺機能低下症と診断。当院を紹介された。
頭部CT 両側大脳基底核および小脳歯状核に石灰化を認めた(↓)。
現 症:身長127cm,体重49kg。低身長,重度の肥満(BMI 30.4,肥満度>50%)であり,円形顔貌を認めた。軽度の精神発達遅滞が疑われた。頸部に,U字状の創瘢痕が確認された。また腫大した甲状腺を思わせる弾性硬の鶏卵大の腫瘤を両側性に,結節状に触知した。短指趾症は認めなかった。皮下腫瘤は触知されなかった(図2a-c)。
a:低身長,重度の肥満。
b:円形顔貌。
c:頸部にU字状の創瘢痕を認めた(△)。
血液生化学的検査所見(脳神経外科での検査所見を含む):成長ホルモン0.074ng/ml(0.010~3.607),LH 27.33mIU/ml(閉経後7.50~56.20),FSH 73.06mIU/ml(閉経後9.19~124.70),ACTH 44.1pg/ml(7.2~63.3),コルチゾール24.4μg/dl(4.5~21.1),E2 17pg/ml(閉経後<32),TSH 34.2μIU/ml(0.4~4.0),FT3 3.2pg/ml(2.2~4.1),FT4 0.7ng/dl(0.8~1.9),サイログロブリン300.3ng/ml(<32.7),TRAb 1.0未満IU/L(<1.0),PTH-intact 7pg/ml(10~65),Alb 4.2g/dl(3.7~5.5),Cr 0.67mg/dl(0.46~0.82),Na 141mEq/l(135~145),K 4.0mEq/l(3.5~5.0),Cl 99mEq/l(98~108),Ca 6.5mg/dl(8.2~10.0),P 5.3mg/dl(2.5~4.5),Mg 1.9mg/dl(1.7~2.6)。
Ellsworth-Howard試験は,家族の最終的な同意が得られず,施行していない。( )内は基準範囲の数値を示す。
頸部超音波検査:右葉40超×30×25mm,左葉40超×25×25mmの甲状腺腫を認めた。全体に低エコー,多発結節状で,内部エコーは不均一,部分的に大小の囊胞形成が見られた。明らかな頸部リンパ節の腫大は認めなかった(図3a)。TSH,FT3,FT4,が基準範囲内に改善した2年6カ月後の超音波検査では,甲状腺腫は,両葉共に40超×15×15mmに縮小した。また甲状腺峡部が違和感なく描出された(図3b)。
a:初診時US所見:結節状の甲状腺腫を両葉に多発性に認めた。
b:2年6カ月後:甲状腺峡部が違和感なく描出されている(↓)。甲状腺腫も縮小している。
経 過:多発性結節性甲状腺腫および甲状腺機能低下症,また副甲状腺機能低下症に因る低カルシウム血症と診断し,甲状腺ホルモン補充療法,活性型VitD3およびCa剤を用いた薬物療法を開始した。
現在Levothyroxine 50ug/日,alfacalcidol 1ug/日,Calcium L-aspartate 200mg×4/日で,TSHは1.29μIU/ml(0.35~3.73),FT3は3.2pg/ml(2.2~4.1)と基準値内と為り,経過良好である。甲状腺腫は触知されない。また血清Ca 8.7mg/dl(8.7~11.0),無機P 4.5mg/dl(2.5~4.7)と基準範囲内に改善している。TSH値改善後の体重は45Kgwで,4Kg減少したが,依然肥満度50%以上の肥満体型である。
本症例の特徴的な身体所見および副甲状腺機能低下症と甲状腺手術との関連につき考察した。先ず本症例の低身長と甲状腺手術との関連につき論述する。本症例の同胞への問診より,学童期に2回受けたとされる甲状腺手術を裏付けるU字状の創瘢痕が,患者頸部に確認された。そして本症例に認める著しい低身長は,甲状腺手術より2年後の中学1年頃,同胞より認識されたようである。小児期,学童期に於ける低身長をきたす疾患の一つに,後天性甲状腺機能低下症が挙げられる[5,6]。バセドウ病手術後のホルモン値の変化が本症例の低身長に与えた影響は十分考えられるところである。しかし初診時の甲状腺ホルモン状態は,TSHは高値を示したが,FT3は基準範囲内であった。このような状態が術直後より一定して持続していたのか,変動又は改善した結果であるのかは,術前も含め,術後50年間,経過観察が為されていない為,評価困難である。従ってバセドウ病手術後の甲状腺ホルモン状態が,本症例の身体発育にどの様に影響したかは,推察困難であった。
次に,副甲状腺機能低下症と甲状腺手術との関連につき論述する。先ず術後性の副甲状腺機能低下症に因る低Ca血症は最も考えられる病因である。術後性の副甲状腺機能低下症は甲状腺手術に於ける最も一般的な合併症で,一過性は約10~15%,永続性は1~3%にみられる[1~3,7]。再切除例では,永続性の発生危険度が更に増加すると報告されている[1~3,7~9]。本症例の初診時血液生化学検査においても,PTH-intact,血清Caは共に低値であり,無機Pは高値を示していた。また頭部CTで認めた大脳基底核および小脳歯状核の石灰化も,長期に亘る低Ca血症を裏付けている。とは言え,本症例が示す著しい低身長,高度肥満,円形顔貌の身体所見は,特徴的である。軽度の精神発達遅滞も疑われた。短指趾症や皮下骨腫は認められなかったが,上記身体所見は,Albrightʼs hereditary osteodystrophy(以下AHO)を窺わせるものでもある[10]。AHOは偽性副甲状腺機能低下症Ⅰ型又は偽性偽性副甲状腺機能低下症にみられる特徴的身体所見である[11,12]。しかし,PTH低値は偽性副甲状腺機能低下症および偽性偽性副甲状腺機能低下症の診断基準に適合しない[10~12]。
さて本症例は,「バセドウ病での甲状腺手術」の既往歴を持っている。このことより本症例のPTHは,2回の甲状腺手術の影響に因り低値に為ったと考えると,偽性又は偽性偽性副甲状腺機能低下症に矛盾しないと思われた。一方で,当該患者が学童期に受けたとされる甲状腺手術が,副甲状腺機能低下症の発症に直接的に影響していなかった可能性も否定できない。本症例には幼児期から学童期に掛けて,頻回に「泣き入りひきつけ」と思われる状態が観察されていた[13]。これは,同胞によって具体的に,詳細に記憶されており,信憑性は高い,と思われた。「泣き入りひきつけ」自体は後遺症を残さず,予後良好である。ところが患者によっては,テタニーを「泣き入りひきつけ」として観察されている場合がある[13]。従って本症例が,幼児期より低Ca血症を発症し,テタニー発作を繰り返していた可能性は否定できない。
此処で上皮小体の解剖学的知見を加え論述する。上皮小体は,殆どの個体で少なくとも4腺は存在し,4腺未満の個体は約3%と報告されている[14]。
上腺は第Ⅳbranchial pouchを起源とし,反回神経の外側後方,Zuckerkandlのtubercleの後方近傍で,80%以上が同部位2cmの範囲内に同定される[14~17]。約80%の例で同位性を示す,とされる[17]。
下腺は第Ⅲbranchial pouchを起源とし,比較的広い範囲に分布する傾向にあるが,大多数(約50%~70%)は甲状腺下極の周囲や後方,尾側下方に見出される[14~17]。下腺の同位性は70%程度と報告されている[17]。
本症例の甲状腺の大きさは,TSHが基準範囲内と為った状態で,US上両葉とも40超×15×15mmと計測され,甲状腺切除術歴のない甲状腺に匹敵する大きさと思われる。術後,残存甲状腺からの腫大や結節性甲状腺腫の発症又は再発で,現在の大きさに達したとも考えられるが,しかしその一方で,本症例の残存甲状腺の大きさおよびUS上違和感なく描出される甲状腺峡部の存在と,一般的な上皮小体の解剖学的位置から推察し,上皮小体が1腺又は2腺,特に甲状腺深部に存在する上腺が,片側又は両側残存している可能性は十分あるものと思われた。
甲状腺術後低Ca血症の併発を防ぐ上皮小体の数については議論があるが,正常なCa代謝の維持に,1~3腺の上皮小体の温存が推奨されている[16]。
非常に稀な例としてAlbrightʼs osteodystrophyを伴った特発性副甲状腺機能低下症の報告がみられる[18,19]。幼児期より低Ca血症があり,甲状腺手術が特徴的な身体所見形成に与えた影響がなかったか,少なかったとすると,このような極めて稀な病態に該当する可能性も否定は出来ない。
本症例の低Ca血症の病因と考えられる副甲状腺機能低下症の鑑別診断にはEllsworth-Howard試験が重要と思われる[11,12]。しかし家族の最終的な同意が得られず,また術後性,特発性,偽性の何れでも,本症例の治療法に差異がない為,同検査は施行していない。従って本症例の副甲状腺機能低下症の鑑別診断は,確定に至っていない。
学童期に受けた甲状腺手術後,約50年間経過観察されず,詳細が不明な症例を経験した。本症例は特徴的な身体所見を有していた。本症例の低身長と甲状腺手術との関連,副甲状腺機能低下症と甲状腺手術との関連について考察した。低身長と甲状腺手術との関連性は,術前,術後の詳細が全く不明な為,推察困難であった。副甲状腺機能低下症と甲状腺手術との関連性で,因果関係あり,とすると,画像所見と解剖学的知見より矛盾点が挙げられた。一方,因果関係なし,とすると,極めて稀な症例の可能性があった。しかし,幼児期の医学的裏付けがなく,また報告例が殆どないことより,診断上難があると思われた。Ellsworth-Howard試験を施行していない為,副甲状腺機能低下症と甲状腺手術との因果関係は,不明である。現在の日本の医療水準から考え,極めて特異な症例と考えられる為報告した。
本論文の要旨は第75回日本臨床外科学会総会(2013年11月名古屋)にて発表した。
脳神経外科 土田英司先生の御助力に感謝致します。