反回神経麻痺による嗄声は,副甲状腺機能障害と並び,甲状腺摘出後に生じる主要な合併症の1つとなっている。片側反回神経麻痺により声帯の内外転運動が障害されると,発声時の声門のスリット形成が妨げられ,ベルヌーイ力と声門下圧の交互作用による声帯振動が生じにくくなる。甲状腺摘出後の反回神経麻痺の頻度は,一過性および永続的なものを含めて1~13.3%と報告されており,再手術,悪性腫瘍,頸部郭清の併施,反回神経麻痺を同定しない手術などがリスク因子とされている。反回神経麻痺による嗄声の治療に関して,麻痺が一過性である可能性があるために,発症後6カ月以内の姑息的治療とそれ以降の永久的な治療がある。姑息的治療として,音声治療および局所麻酔下声帯内注入術の有効性が報告されている。しかしながら,局所麻酔下声帯内注入術については,本邦の医療保険の事情からあまり行われていないのが現状である。永久的な治療法として,甲状腺手術後の頸部の瘢痕形成のために通常の喉頭形成手術の施行に難渋するため,甲状軟骨翼状板外側下方を開窓して行う披裂軟骨内転術,神経吻合術,神経筋移植術などの術式が選択されることがある。
反回神経は迷走神経より分岐し,左側は大動脈弓・右側は鎖骨下動脈を反回した後に気管食道溝・甲状腺両葉後方を上行し,輪状軟骨下縁で下喉頭神経に名を変えて甲状軟骨下より喉頭内に進入することはよく知られている。反回神経がこのような走行経路を取るために,反回神経麻痺による嗄声は,副甲状腺機能低下症と並び,甲状腺手術の主要な術後合併症の1つとなっている[1]。
喉頭を構成する主な4種類の軟骨として,甲状軟骨・輪状軟骨・披裂軟骨・喉頭蓋軟骨がある。甲状軟骨・輪状軟骨・披裂軟骨の間は全て筋肉で結合されており,これらの筋肉は内喉頭筋と呼ばれる。内喉頭筋の中で,甲状披裂筋は声帯の物性の調節を,後輪状披裂筋は声帯の外転を,外側輪状披裂筋および披裂筋は声帯の内転を司り,いずれも反回神経により支配される[2,3]。また輪状甲状筋は上喉頭神経外枝により支配され,声の高さの調節に関与する[2]。従って反回神経麻痺により主に声帯の内外転運動が障害され,また甲状披裂筋の萎縮により声帯が張力を失って声帯の弓状弛緩が認められる。一方,上喉頭神経麻痺では声のピッチ調節のみが障害される。
両側の反回神経機能が正常な健康人においては,発声時に両側声帯が内転し,正中に移動して狭小な声門間隙を形成する。呼気が狭小な声門間隙を通過する際に気流速度が高まると,ベルヌーイの法則に従って声門内の気圧が低下し,声帯粘膜が内方へ吸引されていって(ベルヌーイ力),声門閉鎖が生じる(closing phase)。その後声門が閉鎖されて呼気が堰き止められている間は声門下圧が高まっていく(closed phase)。声門下圧が高まるにつれて声帯が下方より外側に圧排され,声門が開大していく(opening phase)。声門が再び開くと気流が通過してベルヌーイ力が生じる。以上のようなベルヌーイ力と声門下圧の交互作用により声帯が規則正しく振動する[4]。特にopening phaseにおいて,声門の開放と同時に声門下で圧縮された空気が声門上部に噴出し,これが規則的に生じると声門上部において疎密波,すなわち,喉頭原音が形成される。
反回神経麻痺においては,前述のように声帯の内外転運動が障害される。反回神経麻痺が一側の場合は,発声時に健側声帯は正中位まで内転するが,患側声帯は正中位まで内転せずに中間位または開大位で止まったままとなり,発声時に声門が開いた状態となる。このような広い声門を気流が通過しても気流速度が高まらないためにベルヌーイ力が生じにくく,さらに,声門が閉鎖しないために声門下圧が十分に高まらないため,疎密波の発生が障害される。また広い声門を気流が通過する場合には乱流が発生し,ジェット雑音が生じる。これに加えて甲状披裂筋の麻痺により声帯が張力を失って弓状弛緩を生じるようになると,上記の病態にさらに拍車をかけることになる。
一方,反回神経麻痺が両方に生じた場合は,両側の声帯運動障害が生じるが,この場合は音声障害よりもむしろ,両側声帯が正中近くに位置して呼吸が障害されることが問題となる。両側反回神経の治療については他の文献を参考にされたい[5]。
過去の文献[1,6~12]によれば,甲状腺手術数当たりの術後反回神経麻痺の頻度は,一過性および永続的なものを含めて,1~13.3%であった。Bergamaschi et al.[1]およびThomusch et al.[8]は,一過性/永続性麻痺の頻度をそれぞれ2.9%/0.5%,2.1%/1.1%と報告しており,甲状腺手術後反回神経麻痺の過半数以上が一過性であることがわかる。
また甲状腺手術後の反回神経麻痺を生じさせるリスク因子について,Thomusch et al.[8]は,甲状腺腫に対する甲状腺手術をのみを対象として多変量解析を用いてリスク因子について解析し,甲状腺腫の再発による再手術,切除範囲の拡大が独立したリスク因子であったことを報告している。Seiler et al.[7]もまた初回手術における反回神経麻痺の頻度が1.7%であったのに対し,再手術症例では3.5%であったと報告している。
特に悪性腫瘍に対する甲状腺手術の場合,悪性腫瘍の反回神経への直接浸潤,および腫瘍周辺の合併切除により反回神経麻痺の頻度が高くなることが想定される。本邦では,石永ら[12]および庄司ら[13]は,甲状腺癌摘出術後の反回神経麻痺の頻度をそれぞれ18.4%および10.7%と報告している。またRosato et al.[10]は,全症例,悪性腫瘍症例,未分化癌症例における反回神経麻痺の頻度がそれぞれ2.0%,5.7%および16.5%であったことを報告しており,腫瘍の悪性度が高いほど頻度が高まることが示されている。Francis et al.[14]は,高分化甲状腺癌に対する甲状腺全摘術に限れば,反回神経麻痺の頻度が9.5%であり,高年齢,非白人種,特殊な組織型,進行癌がリスク因子であったことを報告している。さらにBergamaschi et al.[1]は,全症例,良性腫瘍半切症例,良性腫瘍全摘症例,良性腫瘍亜全摘症例,悪性腫瘍症例,両側頸部郭清を併施した悪性腫瘍症例における反回神経麻痺の頻度を,それぞれ3.4%,1.3%,3.1%,6.1%,11.4%,17.3%と報告しており,このことは頸部郭清の併施の影響が大きいことが示唆する。
術中における反回神経の確認の有無もまた術後の反回神経麻痺の発生に影響することが想定される。Seiler et al.[7]は,術中に反回神経を確認するか否かは,反回神経の発生頻度に対して独立したリスク因子とならなかったことを報告している。一方,Ahmed et al.[15]は,反回神経を確認した群としなかった群の反回神経麻痺の頻度がそれぞれ4%および16%で,両群間に有意差を認めたことを報告している。近年術中の反回神経の同定を目的とした神経モニタリングが普及してきた。Dralle et al.[16]は,術中に反回神経を同定しなかった群,視覚のみにて反回神経を同定した群,神経モニタリングを用いて反回神経を同定した群の間で永続的な反回神経麻痺が生じる頻度について比較し,反回神経を同定しなかった群は後2群と比較して有意に永続的な反回神経麻痺の頻度が高かったが,後2群の間では有意差がなかったと報告している。
以上のような悪性腫瘍の神経浸潤,および術中操作による神経への機械的傷害の関与のみでなく,甲状腺腫瘍および腫大の質量効果(mass effect),すなわち大きな甲状腺腫瘤や腫大によって反回神経自体に圧迫が加わったり,引き伸ばされたりして麻痺が生じる機序が想定される。実際,Caroline et al.[17]は,悪性腫瘍症例,良性腫瘍,甲状腺腫,甲状腺炎などで甲状腺手術を施行された17症例の術前後に内喉頭筋の筋電図検査を行い,術前に7例のみが音声症状を有していたにもかかわらず,全例が術前に軽度から中等度の筋電図信号の異常を示していたことを報告した。このことは,悪性腫瘍でなくとも術前から既に反回神経に傷害が加わっており,これに手術操作が加わって麻痺症状が顕在化する可能性を示している。
反回神経麻痺に対する治療法には,音声治療と手術療法がある。特に後者は音声改善手術と呼ばれる。甲状腺手術後に反回神経麻痺を生じた場合,多くは一過性の麻痺であるために,甲状軟骨形成術および披裂軟骨内転術のような永久的な音声改善手術根治的手術をすぐに施行する必要はない。従って,嗄声および誤嚥が重度でなければ,ATP製剤およびビタミンB12投与で経過観察されることが多いと考えられる。また声帯の内外転運動は反回神経麻痺発症直後より障害されるが,声帯の弓状弛緩は6カ月程度の時間をかけてゆっくりと進行する。その理由は,声帯の甲状披裂筋の脱神経萎縮がゆっくりと生ずるためである。従って,永久的な音声改善手術を早期に施行すると,手術後に声帯萎縮が進行して再度何らかの手術を施行しなければならなくなる。従って,一般には反回神経麻痺発症後少なくとも6カ月間は永久的な喉頭形成手術の施行を見合わせることが推奨されている。しかしながら,患者が早期より嗄声のみでなく誤嚥にも苦しんでいる場合には早期に喉頭形成手術が選択される場合がある。
片側声帯麻痺に対する早期の音声治療の効果については,Busto-Crespo et al.[18]は,麻痺出現後1年以内および1年を超えて音声治療を開始した群で,前者の男女および後者の女性のみで音声治療後のjitter(周期の変動)が有意に改善したことを報告している。またMattoli et al.[19]は,麻痺出現後4週以内,4~8週の間,および8週以降に音声治療を開始した3群において,音声治療後の声帯運動の改善率が前者ほど高かったことが報告されており,その機序として音声治療時の喉頭への外力が輪状披裂関節の硬直を防止することが想定されている。しかしながら,音声治療群および無治療群を比較した研究は見当たらない。
一方,麻痺出現後の早期の局所麻酔下の声帯内注入手術がある[20~22]。これらの文献では近年麻痺出現後に早期に声帯内注入手術を施行した方が,以降の永続的な音声改善効果が高く,6カ月以降の永久的な音声改善手術の施行を回避できる頻度が高まることが報告されており,その理由として,早期に注入物質を注入することで声帯をなるべく正中に近い適切な位置に固定された状態で共動運動の神経再支配が生じるためと考えられている。しかしながら,本邦では局所麻酔下の声帯内注入手術はあまり施行されない傾向がある。その理由として,海外で使用されている注入物質(ハイドロキシアパタイト,ヒアルロン酸ゲル)の製品の多くが本邦で保険の適応を受けておらず,また保険の適応のあるコラーゲンを使用する場合においても,声帯内注入術の診療報酬が,喉頭粘膜下異物挿入術(K388)3,630点と低い上に,注入物質を別に請求できないため,コラーゲンを多めに使用すれば赤字となってしまうという問題がある。
永久的な音声改善手術として,頸部外切開の後に喉頭外方よりアプローチを行う甲状軟骨形成術Ⅰ型,披裂軟骨内転術などの喉頭形成手術がある。甲状腺摘出手術後の反回神経麻痺においては,他の胸部手術後,頭蓋底手術後の場合と異なり,術後に頸部,特に喉頭周囲に瘢痕組織を生ずるために,後の喉頭形成手術の施行が困難になるという問題がある。この問題に対して,甲状腺手術の施行と同時に反回神経吻合術などが施行される[23]。また通常の披裂軟骨内転術においては甲状軟骨の側方の広い範囲の剝離を要するが,甲状軟骨翼状板外側下方に開窓して披裂軟骨を同定し,披裂軟骨内転を行う術式も報告されている[24]。これらの術式については,本特集の別稿を参考にしていただきたい。
以上,甲状腺手術後の片側反回神経麻痺について概説した。
1.反回神経麻痺のリスク因子として,再手術,悪性腫瘍,頸部郭清,反回神経を同定しないことがある。
2.反回神経出現後根治的な音声改善手術を施行するまでの待機期間中の治療法について,本邦においては十分に確立されていない。
3.頸部の瘢痕形成のために通常の披裂軟骨内転術の施行が困難となるため,異なる術式が選択されることがある。