2020 年 37 巻 1 号 p. 22-26
医療安全への社会的な関心が高まり,手術手技の修練はいきなり患者で行うのではなくOn-the-job trainingによる臨床経験を積んだ上で,まずは模型や動物などによる練習を行うことが求められている。甲状腺内視鏡手術で要求される技術レベルは高いが,先進的であるためにトレーニングの機会が少なく,また人体との解剖学的差異のために動物を用いたトレーニングも困難である。よって安全な甲状腺内視鏡手術を習得する教育システムの構築が急務である。本学ではドライラボトレーニング,シミュレーショントレーニング,カダバートレーニングを組み合わせた卒前卒後一貫型の実践型内視鏡手術トレーニングプログラムを構築し,外科医師の育成,特に内視鏡手術手技に関する教育を進めている。特に,カダバートレーニングは医療安全に配慮した上で十分に実践的なトレーニングが可能であるため,幅広い医師が参加できるような体制が望まれる。
2016年に良性疾患対象を嚆矢として甲状腺内視鏡手術が保険収載された。その後適応は悪性腫瘍手術に拡大され,現在ほぼすべての甲状腺・副甲状腺疾患を対象に内視鏡手術が算定可能となっている。保険収載後に甲状腺内視鏡手術件数は増加しており[1],今後さらなる普及が見込まれる。
甲状腺内視鏡手術の最大の利点はその整容性にあるが,一方で,鏡視下手術に特有の制限された視野,特殊な術野での解剖の把握,高難度な鉗子操作など要求される技量レベルは高い。手術を安全に行うためには事前に十分なトレーニングが必要であるが,甲状腺内視鏡手術はSolo surgeryの性格が強く,助手の経験を積んだだけで術者を務めることは困難である。これらの課題を解決するために,安全な甲状腺内視鏡手術を習得する教育システムの構築が急務である。本学ではドライラボトレーニング,シミュレーショントレーニング,カダバートレーニングを用いた卒前卒後一貫型の実践型内視鏡手術トレーニングプログラムを構築し,外科医師の育成,特に内視鏡手術手技に関する教育を進めている(図1)。本稿では,本学で導入しているトレーニングプログラムについて述べる。

本学の卒前卒後一貫実践型内視鏡トレーニングプログラム
スキルスラボに設置されている内視鏡手術トレーニングボックスを用いて指導医とともにペグや輪ゴムの移動,円形切り取り作業などのタスクトレーニングを行い基本的操作を習得する。対象は臨床実習学生から初期研修医である。このドライラボトレーニングは学生に極めて良好に受け入れられており,基本的操作の習得のみならず,外科学への理解・興味を深めることにも有用であると考えている。
内分泌外科のみを専門としてきた外科医の場合,内視鏡手術の経験がほとんどなく,基本的内視鏡手術操作が身についていないことがある。直視下手術の経験がいくら豊富であってもそのレベルで手術を安全に行うことはできない。実際の手術でのトレーニングの前に,まずはドライラボで内視鏡手術における基本的鉗子操作,Hand-eye coordinationを鍛えておくことが必須である。
2)シミュレーターを用いたトレーニング本学ではVirtual reality(VR)腹腔鏡手術シミュレーター(Lap MentorⅡ)を用いている。トレーニングボックスを用いた鉗子操作トレーニングを合わせて行うことで,手術に対する理解度と技術をより高めることができる。さらに,結紮,縫合などの基本操作を習得する目的でハンズオンセミナー,セミウェットラボセミナー(ブタ凍結臓器を用いてデバイスなどの基本操作を習得する)を適宜実施している。対象は臨床実習学生から初期研修医である。
3)ウェットラボトレーニングドライラボで十分にトレーニングを行った初期・後期研修医,若手医師を対象にアニマルラボでのトレーニングを行っている。以前から胸腹部外科領域ではブタを用いたトレーニングが広く行われてきたが,頭頸部領域ではヒトとの解剖学的相違のため一般的ではない。ブタの解剖学的特徴として①広頸筋と皮下脂肪が非常に厚い,②鎖骨がないため,胸鎖乳突筋は胸乳突筋となる,③甲状腺は単葉で小さく,栄養血管も細い,などがあり[2],これらは甲状腺内視鏡手術のトレーニングモデルとしてはいずれも不向きである。当科でもアニマルラボによるトレーニングは消化器外科,呼吸器外科の領域に限り,甲状腺外科領域では実施していない。
4)カダバーを用いた実践型トレーニング海外ではご遺体を利用した臨床・基礎研究が多く行われ,新しい知見や医療技術が開発されてきた。一方,本邦では手術手技向上のためのご遺体利用(カダバートレーニング)は法解釈の観点から実施困難であり,ほとんど普及していなかった。その後,医療安全に関する社会的関心の高まりからカダバートレーニングを望む声が高まり,2012年4月に日本外科学会,日本解剖学会の連名による「臨床医学の教育及び研究における死体解剖のガイドライン」が公表された[3]。ガイドライン制定後よりカダバートレーニングを広く普及するとともに,研修の効果を検証し研修内容・運営方法などの評価を行うため,「実践的な手術手技向上研修事業」が実施されており,事業に関連して2018年度には本学を含む14大学に予算が交付されている。本学は2014年に内視鏡手術システムやCT,MRIなどの画像検査装置を完備したクリニカルアナトミー教育・研究センター解剖室(Clinical Anatomy Laboratory, CAL)を開設しており,これまでに主に外科系診療科により高度医療技術の修練や先進医療の研究開発などを目的に研究・修練が行われてきた(図2)。なお,カダバートレーニングの実施は一定の講習を終えた医師に限り,学生は対象外である。

徳島大学クリニカルアナトミー教育・研究センター解剖室
ホルマリン固定を施したカダバーでは組織の質感,弾性,関節の可動性,神経や血管の性状が生体と大きく異なり,実践的な手術トレーニングは不可能であるため,カダバートレーニングではThiel法固定あるいは凍結保存されたご遺体(未固定遺体)を使用することが多い。Thiel法は低濃度ホルマリンを用いた方法であり,ホルマリン固定法よりも十分に生体に近い状態を保つが,生体と比して組織が過度に柔軟になるという特徴がある[4]。一方,解凍した未固定遺体はより生体に近く,新鮮な状態では皮膚や筋肉,神経などの組織の色調,把持感覚は生体とほぼ同様であり,組織の脆弱性なども体感可能である(図3)。ただし,未固定遺体では生体同様に感染症リスクがあるため注意が必要である。また,Thiel法では長期保存と利用が可能であるが,未固定遺体では凍結,解凍を繰り返し利用することは困難であり,また生体に最も近い良好な状態の維持時間も限られている。カダバーの各固定法による特徴を表1に示す。本学CALでは凍結法(未固定遺体)を採用している。

生体とカダバーでの右反回神経周囲の所見。A:生体,B:カダバー,矢印:右反回神経,RL:甲状腺右葉,CA:右総頸動脈。

固定法によるカダバーの比較
当科では十分な内視鏡手術経験と甲状腺手術経験を有する外科医に対して,甲状腺内視鏡手術の習熟および術式の改善を目的にカダバートレーニングを行ってきた。使用する器具はエネルギーデバイス,カメラシステムを含め実際の手術と同じであるため,質の高い実践的トレーニングが可能である。これまでの実施経験では,甲状腺内視鏡手術の①皮弁作成,②前頸筋切開から吊り上げによる術野展開,③反回神経の確認,④副甲状腺の確認,の各操作で特にカダバートレーニングが有用であった。しかし甲状腺実質切離,気管からの甲状腺実質の剝離については,あまり有用ではなかった[5]。これはカダバーの甲状腺が萎縮していることが多く,加えてその色調や弾性なども生体と大きく異なっていたことに起因すると考えられる。このような変性の原因は生前の病状,虚血,固定法などいくつか考えられるが未だ明らかでない。反回神経は生体とほぼ同じ所見の索状物として確認可能である。ただし,当然ながらカダバーでは神経の肉眼的損傷は確認できても機能喪失は判断できないので,反回神経周囲での適切な操作のトレーニングは指導医の下で行う必要がある。トレーニング中に解剖の把握が困難になった場合は襟状切開を追加するなどして鏡視下と直視下の視野の関係性を適宜把握することは有用である。トレーニング終了後には記録した動画によるフィードバックを行う。
On-the-job training(On-JT)にはShow, Tell, Do, Checkの4つの段階がある。内視鏡手術のOn-JTにおける各段階について考察する。
1)Show:スコピストとして手術に参加し,甲状腺内視鏡手術の特有の術野展開,モニター視での解剖の把握に習熟する。加えてカメラ操作やエネルギーデバイスの操作を知ることも重要である。
2)Tell:まず一般論として手術教育における本段階とは,学習者が第一助手となり,指導医の執刀の下に術野展開や手術の進行を経験することであろう。指導医は必要に応じて助言を与えながら,学習者の練度に応じて手術操作の一部を執刀させ,学習者は徐々に難易度の高い操作を克服していき,最終的に手術の全操作を習熟するに至る。つまり,TellとDoの2つの段階はシームレスなものであり,術者と助手は学習者の練度による動的な関係である。しかし甲状腺内視鏡手術は難易度が高いことに加え,冒頭でも述べた通りSolo surgeryの要素が多いので,頻回に術者と助手が交代する従来の手術教育は煩多である。このようなOn-JTの機会が少ない高度な手術手技こそカダバートレーニングの良い適応であり,医療安全を担保した効率的な修練が可能である。
3)Do:練度に応じて手術操作を行うが,前述のようにカダバートレーニングでは神経損傷につながる危険な操作の理解が不十分である可能性があることに注意する必要がある。
4)Check:指導医とともに手術動画を見返し,問題点を把握する。必要に応じて再度トレーニングを行い,問題点を克服することが重要である。
医療技術やデバイスの進化により,より低侵襲な手術が可能となってきている一方で,手術難度も高くなっている。だが近年の社会情勢より,実際の手術において技術習得の機会を得ることは難しくなってきており,医療倫理と医療安全を満たしたトレーニングはより重要になってくるであろう。3Dプリンタで作成した臓器・体腔を用いた内視鏡トレーニングモデル[6]や,VRを用いた手術トレーニングシステム[7]などは,今後の技術発展によっては実際の手術に遜色ないトレーニングとなる可能性がある。
本学における卒前卒後一貫実践型内視鏡手術トレーニングプログラムについて述べた。甲状腺内視鏡手術をはじめとした先進的・高難度手術に対するカダバートレーニングは医療安全に配慮した実践的教育として有用であり,より多くの医師が参加できるような体制が望まれる。
今後も技術や制度の革新により,より優れたトレーニング法が開発されると考えられる。指導医はこれまでの慣習や過去に自身が行ってきた修練方法にとらわれることなく,より良いトレーニングプログラムを導入する姿勢が望まれる。
ご献体いただいた徳島大学白菊会の故人の方々と,そのご遺志を尊重されたご遺族の方々に対し敬意と謝意を表する。