日本内分泌・甲状腺外科学会雑誌
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特別寄稿
過剰診断(overdiagnosis)の定義と過剰手術(oversurgery)/過剰治療(overtreatment)の用法:病理医と疫学者の見解の差異
坂本 穆彦廣川 満良伊東 正博長沼 廣鈴木 理橋本 優子鈴木 眞一
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2021 年 38 巻 4 号 p. 265-268

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抄録

筆者らの内,筆頭著者より6名は福島県県民健康調査の病理診断コンセンサス会議にて,各症例の病理組織診断を担当している病理医(病理専門医・細胞診専門医)である。福島第一原発事故(2011年3月)後の福島県民健康チェックのための福島県県民健康調査では,チェルノブイリ原発事故後の小児甲状腺癌の多発という教訓を踏まえた任意の小児甲状腺超音波検査などが施行されている。悪性ないし悪性の疑いとされた場合は,必要に応じて手術が勧められる。この県民健康調査については,調査対象の設定が不適切で,不必要な検査が行われている可能性があるという声があり,その立場からは,県民健康調査が過剰診断(overdiagnosis)であると批判されている。この過剰診断という語は病理医や細胞診専門家は良性病変を癌と診断する様な誤診を示す場合のみに用いている。このように,用語や定義の使用法にくい違いがあるままで用いられるため,種々の誤解が生じている。本稿では県民健康調査そのものの是非を論じることは目的としていない。筆者らの意図は,過剰診断および過剰手術/過剰治療についての定義・用法に関しての病理医と疫学者双方に立場の違いがあることを示し,今日の混乱の解決策を論じることにある。

1.はじめに

わが国では,病理医(病理専門医を含む)・細胞診専門家(細胞診専門医・細胞検査士)にとっては,過剰診断(overdiagnosis)といえば,誤診の一型である。顕微鏡所見により,本来よりも重篤な病態であると誤った判断することを意味する。良性病変を癌であると判断してしまうミスはその典型例である。これは組織診でも細胞診でも同様である。海外でも同様な用いられ方の報告がある[,]。

他方,overdiagnosisに過剰診断という訳語をあて,前述の病理医とは異なる意味で用いる疫学者らの立場がある。

筆者らは国と福島県から委託をうけて福島県立医科大学が行っている福島県県民健康調査・甲状腺部門の病理診断コンセンサス会議のメンバー(病理医は委員,外科医はオブザーバー)である。この会議では2011年3月の東日本大震災にひきつづいて生じた東京電力福島第一原子力発電所事故後に発生が危惧された小児甲状腺癌の健診や,超音波検査・穿刺吸引細胞診の結果を加味して行われた甲状腺手術検体に最終組織診断を下し,あわせて手術にいたる過程での臨床的判断や手術自体の妥当性の意見交換を行っている。複数の甲状腺病理診断専門家による判断の結論としては,これまでに手術された中には過剰診断とされた症例は1例も含まれていない。これをもとに,手術症例の検討では過剰手術(oversurgery)/過剰治療(overtreatment)と判断された症例はなかったと報告した[]。

2.過剰診断の意味

福島県県民健康調査・甲状腺部門で行われている検査それ自体を,過剰診断であると主張する立場がある[]。つまり,生命の予後に関与しない微小な癌を多数検出して,手術しており,これは医学的に意味のない行為であるとする。その根拠として韓国の事例[]がよく取りあげられる。韓国で成人の多数例に甲状腺超音波検査・細胞診検査を行い,その結果臨床的に気づかれなかった癌が多く発見された。これらを手術してその経過をたどると,甲状腺癌死亡数が減ることはなく,予後にも変化はなかった。このことから,発見された癌の多くは微小な癌であり,不要な検査や手術が行われたと結論づけた。したがって,この韓国での事例を過剰診断としている。

しかしながら,病理医の立場に立てば,この事例に過剰診断という表現を用いるのは不適切であり,過剰検査(検査過剰)とでも呼ぶべきものと思われる。微小であっても甲状腺癌であることに違いはなく,誤診ではないからである。

以上述べたように,現状では過剰診断は二つの異なる用法がある。一つは誤診を意味する(本来の過剰診断)。ほかの一つは,検査の設定基準が不適切なために,不必要な検査対象が含まれる検査を意味する(過剰検査)。

なお,癌以外の領域でもoverdiagnosisが用いられているが,その定義にはばらつきがあり,やはり統一が望まれている[]。

3.福島県県民健康調査の実態

福島県県民健康調査[]の対象は,原発事故発生当時18歳以下であった福島県民と,震災翌年度に出生した者も含め約38万人である。国と福島県はこれらの人々に,長期にわたって定期的に甲状腺超音波検査を行い,必要に応じて精密検査,さらに治療としての手術を行うというプロジェクトを立ち上げた。県外に転出した場合でも各都道府県に健診・治療のできる医療機関が指定され対象者の便宜をはかっている。なお,この健診自体は強制ではなく任意であり,自由意志が尊重されている。

健診および治療としての手術の内容と結果は,福島県より随時ホームページにて公表されている。なお,5年にわたるデータの集積をもとに,福島県県民健康調査評価部会および県民健康調査検討委員会は,“甲状腺検査本格検査(検査2回目)に発見された甲状腺癌と放射線被曝の間の関連は認められない。”との見解を表明した[10]。この見解では将来予測には言及していない。

この他にも,チェルノブイリ症例と福島症例での現時点での違いがいくつか明らかにされている[1112]。筆者らは病理診断コンセンサス会議においても,各症例の診断を担当している中で,チェルノブイリ症例で多発した甲状腺乳頭癌充実亜型(papillary thyroid carcinoma,solid variant)が,福島症例にはほとんどないなど,両原発事故には相違点のあることも感じている。

現時点の評価は貴重なデータによるものではあるが,個々の患者の予後に関しては,今後再発や転移は生じないという保証はない。スタート時点で対象者には“長期にわたって健康を見守る”と宣言した経緯がある。筆者らは現在のデータをもとに県民健康調査の中止,あるいは縮小を決定するという立場にはない。しかしながら,チェルノブイリでは被曝により甲状腺癌が増加する最短の潜伏期間は3~5年であったが,福島では被曝線量が少なく,日常のヨウ素摂取量が多いので,最短の潜伏期間を5~10年と考えるべきとの指摘もある[13]。福島県は,現時点では検査を継続する方針であるが,他方,検査の縮小が妥当との主張も少なからずある[14]。県民健康調査への批判の際にも,このプロジェクトの内容そのものを評して過剰診断であると述べられている。

4.検査と診断の違い

適切な基準による甲状腺検査により,過剰診断はおそらくは有効に減らせるという立場からの発表では,検査(examination)と診断(diagnosis)の違いが考慮されることはない。

他方,病理医は日常業務においては検査と診断は違うニュアンスの用語として扱っている。

ちなみに「広辞苑」第六版では,次のように定義されている[15]。

検査:(基準に照らして)適不適や異常・不正の有無などをしらべること。

cf. 身体検査:身体の発育状態および異常の有無を検査すること。

診断:医師が患者を診察して病状を判断すること。転じて,物事の欠陥の有無をしらべて判断すること。

cf. 診断書:医師が診断の結果を書いた証明書。

病理医の立場はこの「広辞苑」で記されている内容と同様である。

したがって,二つの立場の双方がお互いに異なる用い方をしているという現実を率直に認識しあうことが,誤解解消のスタートであろう。そして,overdiagnosis/過剰診断の用法の現状を部外者に明確に発信する必要がある。

5.病理医サイドからの希望

すでに述べた様にoverdiagnosisと過剰診断を異なる定義で用いる二つの立場がある[1416]。その現状の理解がまず大切である。さらに希望を述べれば,病理医とは異なる立場に立つ疫学者らには,この状態の表現としてはoverdiagnosis/過剰診断に変えて,例えばoverexamination(overscreening,excess examination,overtesting)/過剰検査などのような他の表現への変更を提案したい。これによって完全な交通整理ができる。

実は疫学者などはoverdiagnosisという用語・定義は国際的にも定着しているとして,病理医の声をとりあげようとしない現状がある。しかしながら,双方の直接的な意見交換により,わが国の疫学者の病理医の立場への理解と納得を期待したい。少なくともわが国では,これまで過剰診断は二つの意味でつかわれてきたことを,国内はもとより,諸外国の疫学者や疫学団体にむけて国際的な情報発信していただければと考えている。

6.oversurgery/overtreatmentの用法と外科医の立場

病理医の用法と違う立場に立つと,不要な検査(疫学者らのいうoverdiagnosis/過剰診断)にもとづいて行われる手術・治療はすべてoversurgery(過剰手術)/overtreatment(過剰治療)と評価されてしまう。

外科医にとっては,その手術・治療を全否定されたことになる。県民健康調査では,種々の検査・合議を経て手術適応ありと判断された事例のみに手術を施行してきた。

病理診断コンセンサス会議では,病理組織診を下す過程で,手術適応ありと判断された根拠につき,臨床経過,超音波画像や穿刺吸引細胞診結果も含め意見交換の対象としている。この結果,前述のように,これまでにコンセンサス会議において,現行のガイドラインに照らして,不適切な手術は1例もなかった。すなわちoversurgery/overtreatmentはなかったとわれわれは発表した[]。この論文に対して,“overtreatmentの用語の使い方に間違いがある(misinterpretation)”との指摘をうけた[11]。筆者らの立場からみると,この著者らはわが国の現状では過剰診断には二つの用いられ方があることを等閑視ししている。そのために,彼らはoversurgery/overdiagnosisを不適切に用いたと言わざるを得ない。

7.まとめ

疫学者らは,検査対象の設定が不適切なために対象を広げすぎていると彼らが考える検査を過剰診断,そしてその流れで行われている手術・治療を過剰手術・過剰治療と表現している。

病理医・細胞診専門家・外科医が日常診断において用いている用語およびその用法を考慮せず,過剰診断という語を使っている方々には熟慮を求めたいと思う。

他方,いわゆる過剰診断を論じるにあたって,病理診断の誤診がfalse-positive pathology[17],false-positive diagnosis[18]と表現されることもある。しかし,これによっても検査と診断の区別を明瞭にしない限りは,解決策にはほど遠い。

この病理医の立場が考慮されない用語・用法の不適切な使われ方は,現在進行している福島県県民健康調査に対し,専門家のみならず,健診対象者および一般の県民・国民に無用な誤解をふりまいているのが現状である。筆者らは,まずはこの県民健康調査に直接かかわっていない一般の病理医・内分泌外科医・細胞診専門家・超音波検査専門家にこの混乱の実情を理解していただきたいと希望している。そのための具体的な第一歩は,検査と診断の違いの認識と理解であろうと思われる。そして病理医・細胞診専門家・外科医サイドと疫学者の間でのフランクな意見交換を行い,関連する学会レベル,ないし各学会の委員会レベルで統一した見解を確立していただくことが急務と考えている。

病理医,疫学者が過剰診断を違った内容で使用している現状について述べたが,双方にはそれぞれの経緯があり,どちらが正しいあるいは間違いということではないと考える。病理医の側に立てば,日本病理学会は米国の病理学会にほぼ匹敵する百年を超える歴史をもつ。その中で病理医は長年にわたり過剰診断という用語を用いてきた歴史がある。現在百を超える日本医学会加盟団体中,日本病理学会は6番目加入であり,他方日本疫学会は92番目である。しかしながら,日本病理学会が日本疫学会に対し,過剰診断の用い方について意見表明したことはない。したがって,今までの経緯を振り返ると,双方それぞれに言い分のあることは明らかで,それを論じるのは有益とは思われない。今問われるのは,現状の不都合な点についての共通の認識を持つことと,それにも基づいた善後策の検討である。

現段階では日本病理学会・日本臨床細胞学会の両理事長・理事会の了解のもとに,それぞれの用語委員会・学術委員会が合同で協議を開始している。この様な流れの中で筆者らとしては,①従来疫学者らが用いてきた過剰診断を過剰検査といいかえること,②過剰診断は,病理診断(組織診・細胞診)の誤診に限って用いること,の2点を強く提起したい。

 

筆者らには,本論文に関して,開示すべきCOIはありません。

【文 献】
 

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