2024 年 40 巻 2 号 p. 172-181
Abstract: As times change, the skills required of human resources who can respond to the environments are also changing. Recognize how society is changing and confirm what kind of human resources are needed as a result. Next, we will introduce the current human resource development at National Institute of Technology (KOSEN), and the pioneering environmental education being carried out at Kumamoto KOSEN.
1.背景と目的
時代が変容する中で,環境に対応できる人材に求められる能力も変化している.社会がどのように変化しているのかを認識し,それに伴いどのような人材が必要とされているのかについて確認する.そのうえで,高等専門学校(高専)における現在の人材育成と,熊本高専で行われている先駆的な環境教育について紹介する.
本稿では,国立高等専門学校の概要と現状を記すとともに(第2章),現代社会が目指そうとしている次の時代の方向性と(第3章),それに対して高専が行っている人材育成への取り組み(第4章)について紹介し,現代社会の発展過程において人の活動に起因している環境問題に対する教育(第5章)と,これに対応できる人材育成の熊本高専における先駆的な環境教育の具体例(第6章)および「八代モデル」の紹介(第7章)を行い,まとめ(第8章)を記した.
2. 高等専門学校(高専)の現在
2-1 一般的な高専のイメージ
高専と聞けば「高専ロボコン」はNHKで全国放送されるため知名度が高い.そのため高専はロボットやプログラムを扱う学校という印象かもしれない.実際には,機械・電気電子・情報などの学科の他に土木・建築・化学・生物などといった分野に加えて商船系や経営系の学科も有している.そして,大学と同じように,学生は研究室に所属する形で研究活動を行うことができる高等教育機関である.学校名が高等学校や工業高校や専門学校と区別しにくいという声もある.紛らわしい日本語名のために,一般の人たちが高専の実態に対して誤解している事が多いという現状は,非常に残念なことである.高専という組織の知名度の向上は,今後の課題である.
2-2 どのような教育システムか
高専がどのような教育研究組織であるかについては,これまで様々に解説が繰り返されているのでここでは手短に概要を記した.
高専には本科と専攻科という課程が存在する.本科では高校1年〜大学2年相当学年の合計5年間を,専攻科では大学3〜4年相当学年の合計2年間を過ごす.本科では準学士を,専攻科では学士を取得できる.実験や実習を早期から取り入れた5年一貫の教育で,大学と同程度以上の知識や技術を身につけるカリキュラムである.その目的はものづくりや研究開発に従事する実践的技術者の養成を行うことである.本科5年生の卒業研究や専攻科2年生の特別研究では,学会等で大学生や大学院生と肩を並べて発表しても,受賞など高く評価されるほどの,量や質のある十分な研究活動が行われている.
2-3 卒後の進路
本科を卒業した学生のうち約6割は社会に出て活躍,約4割は大学または専攻科へ進学している.全国高専の就職希望者に対する平均求人倍率は20倍以上にのぼるなど,常に高い値を維持し,産業界から高く評価された状態を保っている.
進学においては,高専本科卒後の接続を意識した2つの技術科学大学や全国の国公立大学,高専の専攻科に進学する学生もいる.専攻科の卒業後は,約7割が就職し,約3割が大学院へ進学している.
2-4 在籍者数
全国の国立高専51校55キャンパスの在籍人数を見ると,学生は約5万人・教員は約3500人が在籍している.一方で,大学に属する人数は,学生は290万人・教員は19万人となっている.このことから,高等教育機関の在籍者数のうち,高専在籍者は学生も教員も2%弱を占めていることがわかる.
どのくらい高専が珍しいのかを数字から実感できたところであるが,高専全体としてみると,高専は毎年約1万人もの,未来をつくる技術人材を社会に輩出している巨大な機関でもある.そのため,産業界のあいだでは,高専の存在は一定の重みと価値を持って受け入れられている.
2-5 設置の経緯
高専は,産業界の要請をうけ,戦後の高度経済成長期を支え,科学技術の発展に対応できる技術者を養成する機関として,1960年代(昭和30年代)に設立が始まった. 1991年(平成3年)以降はそれ以外の専門学科や,本科卒後に進学できる専攻科が設定された. 2004年(平成16年)には,全国の高専を設置運営するために独立行政法人国立高等専門学校機構が設立された.これにより,それまで各々独立して存在していた全国55校の国立高専がひとつの組織となった.その後,2009年(平成21年)には国立高専の高度化再編を経て8校が再編され,仙台高専,富山高専,香川高専,熊本高専の4校がスーパー高専として設置されたことによって,全国の国立高専は51校55キャンパスとなった.
2-6 地理的分布;高専はどんなところにあるか
高専は各都道府県に必ず存在しているわけではない.5県(山梨県,埼玉県,神奈川県,滋賀県,佐賀県)には設置されておらず,北海道4校・三重県2校・広島県2校・山口県3校・愛媛県2校・福岡県3校のように都道府県内に複数校設置の場合もある.さらに特異なのは立地である.国立大学(工学部)の多くは各都道府県の県庁所在地に位置しているが,高専の多くは都道府県内の第2・第3の中核都市に立地している1).産業界の要請や地域の誘致といった複合的な要素が影響したためであるが,結果的にこの立地は,高専の存在価値を高める要因ともなっているとされる.
高専設立当時の1960年代(昭和30年代)は,日本における高等教育機関への進学率はおよそ10%程度と低い値であったが,このような時代に国立高専が設立されたことは,経済状況が厳しく進学を選択できなかった家庭の学生にとっても,高等教育を受ける機会を得ることに繋がったと考えられる.交通事情が飛躍的に向上したいまなお,高専の学生寮で生活を送る学生は多く,その理由は設立当初の意図とは変わっている部分を感じるところも多い.寮の存在意義や運営については,学生・保護者・地域・高専及び教職員をとりまく社会的背景の状況に合った形で柔軟に再考していく必要があるだろう.寮に入り親元を離れて自立して自律した生活を送った学生の経験や成長は,卒後の進路先でも活きている.
3. 超スマート社会の構想
高専は時代が進む中で社会的要請をうけて設立された機関だが,このことはすなわち,時代が変われば高専が満たすべき役割も変わっていくこと,産業界のニーズへ迅速に対応していく必要があることを意味している.そこで,現代社会がどのような方向に向かって動いているのかをここで確認する.
3-1 人間中心の社会(ソサイエティ/Society)
(1)社会構想の変遷の提唱
時代とともに変容する社会のありようについて,内閣府は,狩猟社会をSociety 1.0,農耕社会をSociety 2.0,工業社会をSociety 3.0,そして現在の情報社会をSociety 4.0,そのあとに続く超スマート社会をSociety 5.0と名付けている.Society 5.0は,2016年(平成28年)1月に閣議決定された第5期科学技術基本計画で,政府が掲げる日本が未来に目指すべき社会構想として提唱されたものである.サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより,経済発展と社会的課題の解決を両立する人間中心の社会(Society)の実現が掲げられている2).
(2)人間中心の社会とはどういう意味か
人間中心の社会という言葉だけを聞けば,自然界の原理原則の解明を研究対象としている科学者からすると,人間が万物の中心だとも読めることから,とても傲慢な言葉のような印象をうける.しかしここで主張されている意味はそういうことではない.社会の変容が進むなかで,技術先行で技術に人間が惑わされて支配・監視されるような未来へ向かうのではないと主張しているのである.AIやロボットといった技術と共に生きることで,人々が煩わしい作業から開放され,年齢・性別・言語等に関係なく多様な日々の暮らしを楽しく楽に,便利で安心・安全な質の高い生活を快適に過ごす,技術に凌駕されるのではない「人間中心の社会(Society)」を目指すと明示しているのである.その実現のためには,人間をよく観察し分析して,潜在的なニーズも含めた課題を発見していく必要がある.
3-2 Society 5.0の社会構想
(1)Society 5.0はどのような社会か
現在は情報化社会Society 4.0にあるが,ここでは人が生活する実空間(フィジカル空間)から情報が蓄積されたクラウド(サイバー空間)に,人がインターネットを介して能動的にアクセスすることで必要な情報を得てこれを利用している.超スマート社会Society 5.0では,この2空間をセンサーやIoT(Internet of Things)が結び,フィジカル空間の情報をサイバー空間にビッグデータとして集積するだけでなく,その情報をAIによって解析しフィジカル空間へフィードバックすることで,人と物やコトが繋がり,人だけではこれまで成し得なかった活動を推進していくことが可能となるような,サイバー空間とフィジカル空間が融合したデジタルツイン社会である.AI分析やロボット作業支援が人の活動の可能性を広げ,新たな価値やイノベーションを生み出し,課題を克服するような社会の実現が想像される.
(2)Society 5.0の実現には何が必要か
そのような時代や社会を作っていく中で,ロボット・センサー・バイオテクノロジー・ナノテクノロジー・光量子といった技術の強化が必要とされ,加えて,総合知(専門領域や所属組織を超えたあらゆる分野の知見を融合させるもの)を活用し,技術課題以外に考慮が必要なELSI(Ethical, Leagal and Social Implications/Issues; 倫理的・法的・社会的な課題)へ対応していくために,自然科学だけでなく人文・社会科学も含めた俯瞰的・横断的な視野で物事を捉える必要がある.とくに大学や高専といった高等教育機関では,読解力や数学的思考力といった基盤的な学力とともに情報活用能力を習得したうえで,リベラルアーツを学ぶ中でSTEAMやデザイン思考といった教育を取り入れて(後述4-2 (5)),新たな社会を牽引する人材を文理や学部等を超えて育成することが必要だとされている.
4. 高専における人材育成の現状
4-1 高専発Society5.0未来技術人財育成事業
社会変容の中で,高専では高等教育機関としての人材育成事業を進めている.高専発の「Society 5.0未来技術人財」育成事業では,Society 5.0で実現する「すべての人とモノがつながり,様々な知識や情報が共有され,今までにない新たな価値を生み出す」社会において,社会の課題に自律的・主体的に取り組める人材を育成するものである.
高専ではすでに,研究分野としてのGEAR5.0 3)と,教育分野としてのCOMPASS5.0 4)が動いている.全国51校の高専のスケールメリットを活かし,物理的・人的・専門的な資源と組織特性を繋いだ全国規模のネットワークを構築することで,未来技術の中核となる新たな人材育成モデルの構築を図る教育研究プロジェクトである.どちらも地域課題などへ対応していくことを目指しており,社会実装教育や特色カリキュラムを通して,主体的で生涯学び続ける学生を,継続的に育成していこうとするものである.
(1)GEAR5.0
GEAR 5.0は,研究分野として,「未来技術の社会実装教育の高度化」を目指すものである.現在は,5分野6拠点に渡る取り組みが進行しており,マテリアル分野/介護・医工分野/防災・減災(防疫)分野/防災・減災(エネルギー)分野/農林水産分野/エネルギー・環境分野が稼働している.さらにこれらの分野同士も連携した研究・開発が目指されている3).
(2)COMPASS5.0
社会で求められる人材像が変化していることに伴い,学びの内容や方法も変化している.特に,デジタル化(DX)が進むに伴い,IT技術を有する人材がより一層必要となっている.そこで高専では,AI(人工知能)・サイバーセキュリティ・ロボット・IoTといった専門分野と,それを支える数理データサイエンスを羅針盤(COMPASS)としながら,高度化する技術を高等教育に組み込み人材育成を行っている.COMPASS5.0では,高度化専門技術分野の社会実装を通して,時代をリードできる未来技術人材育成モデルを開発・展開すること,つまり「次世代基盤技術教育のカリキュラム化」による教育パッケージ開発を目指している4).
4-2 高専の教育実践
(1)カリキュラム
国立高専のすべての学生が身に着ける能力の基準は,モデルコアカリキュラム(MCC;Model Core Curriculum)に提示されている.最低限の能力水準や修得内容を示す「コア」と,専門分野横断能力の到達目標を示す「モデル」を併せたもので,これに各高専の地域性や特色を追加した教育プログラムとなっている.また,近年では社会のニーズに答え,教育内容を高度化した各高専の特色化の参照基準となる MCC plus が新設されている.高専では,実験・実習を頻繁に授業に取り入れ,繰り返して知識や技術の定着を図ろうとするスパイラル型の学習を行うところが特徴的である.
(2)アクティブラーニング
受動的な学修経験では主体的な人材は育成できないことから,2012年の中央教育審議会「審議まとめ」では,教育におけるアクティブラーニング(Active Learning)の導入が記された.アクティブラーニングは,学習者が能動的に学修をする授業形態の総称であり,学習者のレベルや授業の方法によって様々な種類が存在する.主体的な学修によって,どのような分野においても自立して活動するために必要な基盤力となる,協調性・計画性・コミュニケーション能力・チャレンジ力・俯瞰力・問題解決能力といった,能動的学習によって培われる汎用的能力の育成を図ろうとするものである.
高専でも効果的な教育方法として導入している.2010年代中盤以降に取り入れ始められてから,今日まで用いられている学修方法である.問題点を抽出改善しながら,アクティブラーニングを実施することにより,人生において学び続ける力や主体的に考える力を育て能動的な人材を育成する試みは,高専では積極的に行われている.
(3)PBL
PBLには2種類あり,課題解決型学習(Problem Based Learning)とプロジェクト型学習(Project Based Learning)である.高等教育機関の授業時間内に行うPBLとしては,初学者が限られた時間の中で問題解決のプロセスを学習することに視点をおいて,前者の意味の場合がほとんどである.アクティブラーニングのひとつの方法であるPBLは,能動的に課題を解決する過程を通して能力・知識を身に着けていく学修方法であり,経済産業省や文部科学省がその重要性を提唱した2006-2008年から,高等教育機関でも積極的に導入されている.この学修法では,答えにたどり着くまでの過程が大事で,どのように答えを出したのかという,課題解決の流れを実体験することを促すものである.PBL教育では,少人数のグループをつくり,グループごとに主体的に課題解決を行うものが多い.PBLにおけるグループ活動では,学生個人が自分で問題をみつけて考えながら他者とコミュニケーションをとる協働学習をすることで,新たな視点や考え方や価値を得るという行程を踏む.
(4)リベラルアーツ
現代の社会は,ブーカ(VUCA; Volatility/変動性,Uncertainty/不確実性,Complexity/複雑性,Ambiguity/曖昧性)と呼ばれる,予測困難な時代だと言われている.発生する課題は複雑で,突出したひとつの能力や技術があれば解決できるというようなものではなく,分野を超えた総合的な力を持って立ち向かう能力(VUCAスキル)が必要とされている.この時代において,リベラルアーツという言葉が指す意味は,以前と比べてより拡張深化している.いまでも,大学の一般教養(教養課程)や,心を豊かにするための教養といったものを指すという,以前からの意味も存在している.その一方で,Society5.0を目指す時代のリベラルアーツでは,専門の知識だけではなく複数の領域を学び,それらを融合させた総合知を使って,多角的な視点から考え実践できる力を育む学び方という意味を持つようになってきた.
高専では学生に対し,以前から技術者教育において専門性を身に着ける実践的な教育を行っているが,Society5.0へ向けた人材育成では,専門性だけではなく総合力を身に着けるリベラルアーツ教育を取り入れていく必要がある.高専のカリキュラムであるMCCにおける分野横断的能力にあたるアセスメント指標を取り入れて,リベラルアーツ教育が高専においても実践されている5),6).教育における効果や学習成果の測定と評価は難しいものではあるが,カリキュラム全体の設計では,学生の成長段階や学習プロセスを考慮して行うことが必要であるため,どのように教育効果と学習成果を測定するかについての有用な提案もなされている7).
(5)STEM・STEAM教育
現在日本の教育では,STEM/ステム(Science/科学+Technology/技術+Engineering/工学+Mathematics/数学)教育とその発展版であるSTEAM/スティーム(STEM+Arts/アーツ)教育の実施が推進されている.Arts/アーツには,STEMで明記されていないその他の分野(例えば芸術・経済・法律・政治・倫理・文化・生活・心理・リベラルアーツなどといったもの)を含めている.各教科単体での学習を目的とするだけではなく,文理の枠にとらわれない教科横断的学習を行うことで,実社会における問題の発見や解決につながる資質を養おうとするものである.従来型の教育からSTEAM教育へと教育の形が変わっていくことは,Society5.0の実現に向けた必要な変換でもあり,SDGsや脱炭素のような社会問題の解決に必要な多分野的で分野横断的な能力を身に着けるうえで有効である8).
高専では,地域の自治体や企業と連携し,高専におけるSTEAM教育の高度化を図っている9).地域の小学校・中学校・高校におけるSTEAM教育への支援を行い,地域の理工系人材の育成に貢献するとともに,高専の魅力を発信している(国立高等専門学校機構 理工系人材の早期発掘とダイバーシティ型STEAM教育の強化).
(6)デザイン思考
技術の発展に伴いこれまでは,提供者が良いと考えたモノやコト,例えば最新の技術を使い様々な機能を盛り込んだものを,ユーザーに一方的に提供するやり方が行われてきた.しかし,ユーザーが必要ではない技術や機能があったりするなど,ユーザーの体験を尊重しておらず,ユーザーの視点に立った理解が欠けていたことの反省から,デザイン思考(Design Thinking)に注目が集まった.デザイン思考では,提供者がユーザーの不満・不安・不思議などの感情(Pain Point)を理解し,ユーザーと一緒にユーザー自身が気づいていない本質的なニーズ(インサイト)を探り,ユーザーが抱いている問題を整理しながら,ユーザーが求める解決策となるモノやコトを提案しようとするものである.
デザイン思考のプロセスを表すフレームワークとして,ダブルダイヤモンドや5つのステップがよく知られている.詳細は各種の本や文献で紹介されている.
デザイン思考を行うには,様々な力が総合的に必要になる.グループメンバーそれぞれが専門的な知識や技能を持った状態で,他の分野と協働する力を使って,個人個人の能力をグループで活かしながら,ユーザーのインサイトを発見するために対象を分析する観察力と,インタビューにおける対話力,他者や社会を理解する共感力が必要である.そのうえで,失敗や間違えを恐れない楽観性や自由奔放な発想を出せる柔軟性を発揮するとともに,自分だけでは限界があることを認識して他人の考え方を受け入れる寛容性や合意形成力が必要である.例えば,物事の見方を変えて捉えるリフレーミングは,個人よりも多様なメンバーが居るグループで行ったほうがやりやすい10).そして,問題の全貌を俯瞰しながら新しい切り口で探索する力も必要になる.課題を設定したら,正答がないという状態のなかで思考プロセスを繰り返すことに耐える力をもって,新たな価値を生み出し意味づける能力や,解決策を実践していく問題解決力,そして自分たちの考えや活動を表現する力が必要である.
このように,現在注目されているデザイン思考ではあるが,教育現場にデザイン思考が広がり始めた2010年代後半頃にはすでに,デザイン思考の問題点が抽出されていた10).その時と同様の問題が今も存在しており,学生側のマインドセットがないためスキルセットを学んでも活かせない,予算や時間に制限がある,問題把握のために必要な情報を十分に調べていない,根拠のない情報を元にして考えてしまう,インタビューで安易なアンケート調査を実施し想像できる範囲内で終わってしまう,メンバー内の対立が起こり進まない,仕掛ける側としてのマネジメントを行える教員人材を確保する必要がある,教員やTAへの負担が大きい,グループワークへの貢献度や成果物に対する評価に明確な手法がない,デザイン思考を実践できるような環境が必要,アイデアの発想がうまく行かない,失敗を恐れてしまう,アイデア出しだけで終わって実装できない,方法論ばかりで成果が出ていない,結局どのような社会問題を解決したのかわからない,学生自身が今何をやっているのかを認識できなくなっている,といったものがある.
これらの問題はすぐに改善できないものも有るが,そもそも思考方法はすぐに学生の身につくものではなく,デザイン思考の活動を行っているうちに徐々に身についていくもので,繰り返すうちに改善が期待できる場合もある.例えば,試行錯誤していると自分たちがデザイン思考のどの段階を行っているのかわからなくなりがちである11).紆余曲折を経る場合,自分たちがデザイン思考のどの段階にいるのかを意識できれば,創造的活動における発散と収束を効果的に意識できるだろう.
これに対し,縦軸に5つのステップを横軸に時間をとった「思考試行プロセスフロー図」上に,各行程の成果物(ユーザーインタビュー, インサイト, POV/ポイント・オブ・ビュー, HMW/ハウ・マイト・ウィ・クエスチョンなど)を置いて,経時的な状況を視覚化する方法が有効であると提案されている12).
(7)アントレプレナーシップ
アントレプレナーとは,イノベーション創出人材のことで,デザイン思考と組み合わせ,新たな製品やサービスのアイデアを提案するテーマを扱う.

図1 環境用語ヒット数の推移
高専でも,社会実装を視野に入れたスタートアップ人材育成への取り組みとしてアントレプレナーシップ教育に取り組むべく,起業家工房(試作スペース)が整備された.この設備のもとで学生は自由な発想を形にする活動に集中して取り組むことが可能となり,地域の社会課題解決に向けた活動を地域をフィールドとして行うことができるようになった.
5 環境教育
社会が現代のかたちに発展してきた過程において,人の活動に起因する環境問題が明らかとなっている.この環境問題への対応は,次の社会を構築するうえで避けて通ることはできないことから,環境教育の必要性が共通認識となっている.
実際の環境教育ではどのようなテーマを扱うかという問題が有るが,世界的に重要でありながら身近で扱えるもの,スケールを様々に変えて考えることができ,切り口を変えることで見方が変わるもの,分野が限定されていなくて広いものなどが,様々な背景を持つ学生への教育で,テーマとするのに適した題材だと考えられる.
5-1 世界的に重要なテーマ
近年の世界的な環境問題に対する代表的なトピックスとして,SDGsや脱炭素(カーボンニュートラル)というキーワードが挙げられる.
(1)SDGs
2015年9月の国連サミットで採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」に記載された,SDGs(Sustainable Development Goals;持続可能な開発目標)は,2016年から2030年までの国際目標として,日本でも認知が広まっている.SDGsは,コロナ以前から社会活動や企業活動のみならず教育の現場にも浸透し,今では日本国内の多くの人が認識して用いている言葉である.
(2)脱炭素
脱炭素や地域脱炭素という言葉に対する認知度はまだまだ低く,脱炭素に対する取り組みは低迷している.そのため2023年7月には環境省によって,脱炭素につながる新しい豊かな暮らしを創る国民運動に対して「デコ活」という愛称が発表されたものの,国民による脱炭素な暮らしが進んでいるとは言い難い.
5-2 環境用語に関する検索ヒット数
では一体どのくらい,これらのテーマに対する取り組みが行われているのだろうか.その指標として,Google scholarを用いて用語の検索ヒット数を調べた(図1).(ただし,2024年は8月19日までの値)
「地球温暖化」に関する件数は2000年代後半をピークとして減少している一方で,「SDGs」が2010年代後半に急速に数を伸ばし,これに次いで2020年代には「脱炭素」「地域脱炭素」「カーボンニュートラル」の値が増加している.確かに,「SDGs」は日本国内でもほとんどの人が知っている身近に聞く用語になった.一方で,「脱炭素」という言葉は聞いたことがあっても具体的な内容はわからないという人も多い.このことは,脱炭素問題の解決に関わる人材も不足していることを意味しており,教育とともに人材育成が必要になると予想される.
5-3 環境教育及び人材育成の方法
上述した教育方法は,組み合わせて実践する事ができる.政府指針でも言及されているように,リベラルアーツとデザイン思考はSociety5.0の実現へ向けた人材育成として力を入れて取り組む教育方法であり,各種の学校でこれを実施し始めている.高校でもデザイン思考を教育に導入し,生徒の興味や価値観に従って自らが設定した地域の課題を解決するなどの取り組みを行うことで,大学における学問研究とは異なる高校生の等身大の探求を行っており,そのことが進路の選択にも影響している13).このことは,高校生と同じ学年を含む高専においても同様で,高専において学生の興味関心に基づく環境に関する地域課題に取り組むことは,学生が将来,環境問題に興味を持って取り組める人材として育つことに繋がる.
6 熊本高専八代キャンパスにおける環境人材育成への取り組み
6-1 環境人材育成の状況
政府指針でも言及されているように,リベラルアーツとデザイン思考はSociety5.0の実現へ向けた人材育成として力を入れて取り組む教育方法とされており,熊本高専では他の高専に先駆けて,これを取り入れたカリキュラムを設計し実施している5).
現行のカリキュラムでは全学生が必修科目としてリベラルアーツ教育を受講し,デザイン思考を経験する.学年が上がるにつれて,方法や思考を深める形で繰り返しレベルアップしながらデザイン思考を身に着けていくものである.
対象は,高専1年生から4年生まで(高校1年生から大学1年生相当学年)の各学年約120名,合計約480人である.このうち,1年生は入学して間もないことから,必要な手技を身に着け高専の生活や勉学に慣れていく期間としている.2〜3年生は,グループワークによる取り組みを開始し,4年生はより実践的なグループワークを行い,デザイン思考のプロセスを自己認識するものである.
高専5年と専攻科1〜2年(大学2年生から大学4年生相当学年)は,希望したものがTAとしてリベラルアーツ教育に参加し,各グループ活動で行われるデザイン思考への助言を行い進行をサポートした.下級生の活動は,TA自身もかつて経験したことの有る活動であるため,学生の気持ちを理解しやすく,教員では対応がしにくい部分への細やかな対応を行うことが可能であった.
グループは5-6名程度で構成し,グループ分けは仲の良い人同士ではなく,興味のある分野やテーマごとに行った.取り扱うテーマは,環境人材育成を目指し,SDGsと脱炭素を中心的なテーマとして,これに関連する問題を扱うことを提案した上で,地域課題や企業提案課題についても対象とし,グループごとに興味のあるテーマを設定する形とした.
6-2 出前授業
脱炭素問題について環境教育及び人材育成として取り扱っている教育機関はまだまだ少なく,熊本高専での取り組みは先駆的である.アンケートでは脱炭素という言葉を聞いたことがある学生は,全校学生の9割程度で,殆どの学生は最近5年以内に知ったと回答しており,マスコミ等による脱炭素関連の話題が学生の耳にも届いていることがわかった.脱炭素の取り組みに興味があると回答した学生は約60%,実際に取り組みを行っていると自覚している学生は75%以上もいることがわかった.
そこで脱炭素に関する環境教育を推進するため,脱炭素に関する出前授業を,異なる3つの階層にある国・県・市の視点からの知見を学生が学ぶ機会を設けた.環境省九州地方環境事務所地域脱炭素創生室,熊本県環境生活部環境立県推進課ゼロカーボン企画班,熊本県八代市市民環境部環境課(ゼロカーボン係)と協働し各課室から講師を招き,喫緊に取り組むべき環境問題として,SDGs,温暖化問題,脱炭素問題に関するテーマを扱った.
脱炭素に関する出前授業を実施した後に行ったアンケート調査であっても,脱炭素問題に対する取り組みや考えを記す自由記述欄の回答では,「脱炭素に関する知識がないことを認識(自覚)した」という記述が全文字数の約4分の1を占めるほど多かった.このことから,言葉の認知と内容の理解の間には,隔たりがあることが浮き彫りとなった.この隔たりを学校教育での受動的ではなく能動的で主体的な活動にて埋めることが必要だと考えられた.
6-3 最終成果発表会

図2 グループ活動のテーマが関係する分野
1年を通じて行ったグループワークによる成果は,年度末にすべての学生が参加する最終成果発表会にてプレゼンテーションによる口頭発表とポスター掲示形式による発表の両方を行った.グループごとにテーマに関係するキーワードを選択してもらい,回答を解析した(図2).その結果,課題解決テーマがSDGs・脱炭素・環境の分野に関係すると答えたグループ数が多かったことから,熊本高専における取り組みは,環境人材育成に対して一定の効果があることが示唆された.
7 地域脱炭素への取組み「八代モデル」
7-1 地域循環共生圏
環境省から「地域循環共生圏」という考え方が提唱されている.地域が多種多様な資源を活かし地域で資源や資本を繰り返し循環させることで経済的基盤を作って自立分散型の社会を形成するとともに,地方&都会・地方&地方といった異なる地域がそれぞれの特性に応じて相互に循環共生のもと持続可能な社会を作ろうとするものである14).
脱炭素に対する技術研究は取り組みが進んでいる一方で,地域脱炭素を推進する「人材の育成」は遅れている.何をすれば確実に答えが出るかが明確ではない点が,脱炭素問題への取り組みの障壁となっている.これに対応できる人材の育成は,地域社会に根ざした実践的な活動によってトライアンドエラーを繰り返しながら継続する事が必要である.
7-2 八代モデル
熊本高専では,「『正答』のない問題」である環境問題への対応力をもつ人材の育成を先駆的な方法で行い,「八代モデル」を提唱している.地域脱炭素の推進及びこれを担える人材の育成には,学校の授業だけで閉じるのではなく,官民学と地域社会とのつながりの中で,知識を得ることと,実際にデザイン思考を実践していくことの両輪で進める必要がある.
(1)デザイン思考を取り入れたリベラルアーツ教育による学生の能動的なグループワークを,年単位で数年間繰り返す長期的なカリキュラムを設定し実施する.(2)異なる3階層の行政組織(国・県・市)と協働し,一過性ではない継続的な教育活動(出前授業)を実現する.(3)環境問題の専門家を含み,継続的な教育活動を学外から支える支援機関を設立する.支援機関は,数値化しにくい教育の効果を検証するとともに,教育の一層の推進をはかる.例えば,学生のデザイン思考のグループ活動において,良い点を伸ばし不足している点を指摘するようなPDCAサイクル回す.これにより,学生グループが,デザイン思考の5つのステップを何度も回せるように後押しする取り組みである.(4)学生の活動は,「思考試行プロセスフロー図」により見える化し,試行錯誤をした形跡がわかるようにする.(5)また,脱炭素問題や環境問題に対する意識の変化を確認するため,定期的にアンケート調査を行い,興味や関心の状況を経時的に解析する.この人材育成手法をパッケージ化し「八代モデル」と名付けて試行している.
7-3 「八代モデル」の横展開
高専は,地域脱炭素といった環境問題に寄与するには最適な組織である.科学技術を専門的に学ぶ理工系の組織であるため環境問題に科学技術を使って対応することができる.しかも地域密着型の高等教育機関であるため地域の事情に精通している.そのような高専が全国に51校も存在しており,全体としてネットワークを構築し連携することもできる.
すなわち,八代モデルを他の高専や他組織・他地域へ横展開し実行することで,地域脱炭素を含めた環境問題に対応できる人材を効果的に育てることが可能になる.これにより,それぞれの地域に合った形での地域脱炭素の課題の創造的な解決への糸口を探す事が可能となる.
8 まとめ
高専は社会的要請によって設立された高等教育機関であり,「超スマート社会構想Society5.0」の実現が掲げられているなかで,未来技術人材の育成を行っている. SDGsと脱炭素は「『正答』のない問題」であり,必ず解決できるという決まった答えがあるわけではない.熊本高専では,「『正答』のない問題」へ立ち向かえるマインドや手法を駆使できる人材の育成を,デザイン思考を取り入れたリベラルアーツ教育を数年間繰り返すことで取り組んでいる.学生のデザイン思考を後押しする役割を持つ教育活動の支援機関を設立し,人材を育成する「八代モデル」を試行している.熊本高専で実施している「八代モデル」が確立すれば,全国の高専への横展開が見込め環境人材育成に貢献できる.
本研究は,環境省・(独)環境再生保全機構の環境研究総合推進費(JPMEERF20231M05)の助成を受けたものです.
著者連絡先
木原 久美子
〒866-8501 熊本県八代市平山新町2627
熊本高等専門学校生物化学システム工学科
E-mail: kihara@kumamoto-nct.ac.jp
2024年8月19日受付
本研究は,環境省・(独)環境再生保全機構の環境研究総合推進費(JPMEERF20231M05)の助成を受けたものです.