法制史研究
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論説
明治前期の監獄における規律の導入と展開
児玉 圭司
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2015 年 64 巻 p. 1-57,en3

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抄録

 本稿は、明治前期における監獄制度の展開を、受刑者に対する規律という観点から捉えようと試みるものである。
 本稿ではまず、日本における死刑の不可視化と、身体刑から自由刑への完全な切り替えが、いずれも一八八二年の旧刑法施行によって達成されたことを明らかにした。
 監獄の規律に関する最初の変化は、一八七三年以降にあらわれる。その内容は、以前と比べて、受刑者の生活や行動に関するルールが厳格化されるというものであった。これは、自由刑の採用によって受刑者が急増したこと、およびそれにともなって彼らを管理・統制する必要が生じたことによるものである。
 一八七六年以降、東京警視庁や内務省による主導のもと、各地の監獄において、受刑者をその習熟度に合わせて教育し、あるいは服役態度を評価するといった統治技術が新たに導入されている。その背景には、西洋の法制度に関する知識の流入と、これによって生じた改革機運があった。
 その後、一八八二年になると、監獄制度の設計者は、監獄の目的は受刑者を「良民」に作りかえることにあると理解するようになる。そして彼らは、規律への順応に応じた優遇措置など、受刑者の内面に働きかけるさまざまな統治技術を、法制度の中に組み込んだのである。
 しかし、少なくとも一八八七年にいたるまで、監獄行政の現場では、過酷な労働を科すなど、肉体的苦痛を与えて懲ら しめることによってこそ受刑者の改善がもたらされるとの主張が根強く、先に記した統治技術は十分に活用されるにはいたらなかった。その背景には、国家が受刑者の労働力を求めていたという実情や、当時流行していた、刑罰に対する復古的な思潮が影響を与えていたものと考えられる。

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