法制史研究
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近世中後期幕府の上方支配
『御仕置例類集』の検討を中心に
小倉 宗
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2007 年 2007 巻 57 号 p. 85-122,en6

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抄録

本稿では、近世中後期の江戸幕府において、公事方御定書とともに最重要の法源であった御仕置例類集を主にとりあげ、仕置に関することがらを中心に、関東とならぶ幕府の拠点地域である上方の支配を検討した。その際、上方の内部や江戸との間において、幕府役人が行政・裁判を処理する過程や権限に注目した。
(1)幕府の上方役人は、伺とそれに対する指示という同じ過程のなかで、行政と裁判を一体的・連続的に処理し、すでに発生している問題を個別的に解決するとともに、今後発生する問題について一般的に対処するための規則や制度を設定・変更していた。
(2)上方役人の伺には、上方の奉行より京都の所司代や大坂城代への伺(上方奉行伺)、所司代や大坂城代より江戸の老中への伺(所司代伺・大坂城代伺)、上方奉行より老中への伺(江戸上り伺)、の三通りがあった。また、上方奉行と老中のやりとりは、伺とそれに対する指示との両面において、所司代や大坂城代による監督・仲介のもとになされた。
(3)所司代や大坂城代は、老中と同じ形式の文書を用いながら、上方奉行の伺に対して自ら決定・指示し、仕置をはじめとするさまざまな問題が上方の内部で処理されていた。延享元年(一七四四)に、仕置をめぐる所司代・大坂城代と上方奉行との関係が確立され、天明八年(一七八八)には、所司代や大坂城代が自ら指示しうる仕置の範囲は大幅に拡大された。
(4)京都・大坂町奉行は、所司代や大坂城代のもと、それらの監督・担当する業務の全般にわたって調査・答申するという特別な役割を果たしていた。そうしたあり方は、老中のもとにある評定所のあり方と同様であり、上方における、所司代・大坂城代と京都・大坂町奉行の関係は、江戸における老中と評定所の関係と相似であった。

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