抄録
本稿は、第一次世界大戦直後のこのオーバーシュレージエンにおいて展開された独立国家構想の実態を明らかにすることを目的とする。シュレージエンをはじめとするドイツ帝国の東部領土に関する近現代史叙述は、従来の歴史学においては「国民史」テーゼに基づいて行われてきた傾向が強く、その中で主にドイツ史学とポーランド史学による歴史叙述の分断状況が継続されてきた。これに対して本稿は、第一次世界大戦後の中東欧における 民族的・政治的境界の未確定状況を意味する「未完の戦争」というテーゼを用いてオーバーシュレージエン近現代史を批判的に検討しようするものである。
ここでは、オーバーシュレージエン分離主義運動の提唱した独立国家構想である「オーバーシュレージエン自由国」に焦点を当てた。この独立国家構想は1918年12月にプロイセン=ドイツからの分離を念頭に提唱されたものであるが、とりわけ1920年1月以降の「住民投票キャンペーン」の時期に、当該運動は南部のチェシンをも含む形での独立国家の創設を主張した。その憲法草案には、国家官庁や大学の設置など、具体的な国家構想が現れるようになる。しかしこれは当時のチェシンをめぐるポーランド・チェコスロヴァキア間の緊張状態を前提としたものであり、その前提条件が崩れるとこの構想も瓦解するのである。