2019 年 28 巻 p. 43-53
海洋研究開発機構(JAMSTEC)は2007年に策定した「データ・サンプルの取り扱いに関する基本方針」に基づき,JAMSTECに帰属するデータ・サンプルを管理,公開し,その幅広い利用を推進している.調査航海で採取された生物サンプルについては,その情報をJAMSTECの情報管理部署がデータベースに登録し一元的に管理しつつも,サンプル自体は採取した研究者らがJAMSTEC内外の各機関に持ち帰って利用しており分散的に管理されている.つまり,生物サンプルは情報管理部署とJAMSTEC内外の研究者らによる共同管理体制をとっている.この生物サンプルの共同管理体制は一見特殊にも見えるが,自機関に帰属するサンプルについて,その所在を把握し,管理していくためには必然的な仕組みだとも言える.また,データベースを公開しており,登録されたサンプルに対して他者が利用申請をする機会を提供している.JAMSTECのサンプルには,これまで博物館やバイオリソースセンター等に保存され提供されてきたサンプルのように永続的に保存されるサンプルも含まれるが,研究者らが日々利用し消費されていくサンプルが多い.このため,JAMSTECの生物サンプル管理と利用の仕組みは,これまで他機関が実施してきた仕組みよりも広範なサンプルの利用機会を拡大しているものであり,サンプルから最大限の科学的成果を生み出し,社会に役立てていくことを目指すものである.
海洋研究開発機構(JAMSTEC)は調査船をはじめとして多くの先端的な海洋調査設備を有し,深海,遠洋,極域など他の研究機関ではアクセス困難な場所からも様々なデータ・サンプルを取得している.これらのデータ・サンプルはその採取に関わった研究者や関係者だけで利用されてきた時期もあったが,海洋地球研究船「みらい」の共同利用運航の開始を機に,これらを人類共有の財産と捉え,長期に渡って保管し,幅広い目的のために利用しやすい形で提供することがJAMSTECに課せられた最も重要な使命の1つと捉えた.そして,2007年に「データ・サンプルの取り扱いに関する基本方針」(海洋研究開発機構,2018a)としてまとめ,データ・サンプル取り扱いルールの整備を開始した.また,2008年度より順次各種データ・サンプルのメタデータの公開,二次利用への提供を開始した(佐藤ほか,2011;伊勢戸ほか,2018).
このような背景の下,本稿では特にJAMSTECの調査航海で取得された生物サンプルに焦点を当て,その管理体制の特徴について論じ,サンプルの利用機会を拡大する取り組みの実践によって得られた見解について考察する.
データ・サンプルの統一的な管理と提供を進めるためには,それらに関わる研究者や担当部署が基準とするルールを整備する必要がある.このため,JAMSTECではデータ・サンプルの管理を担う主たる部署として情報管理部署を定め,上記の「データ・サンプルの取り扱いに関する基本方針」に基づいた組織内規定の整備を行った.
2.1.1 データ・サンプルに共通のルールJAMSTECが取得するデータ(調査観測データ,映像など)およびサンプル(生物,岩石,堆積物コアなど)に共通する主なルールとして,特に本稿に関連する内容としては以下がある.なお,サンプルのメタデータ(サンプル名,数量,採取位置,採取日時,処理や保存の方法など)はここではデータに含まれる.
(1) データ・サンプルの帰属JAMSTECの船舶や設備を利用して取得されたデータ・サンプルは個別に取決め(採取国,地域の法令や採取許可,共同研究者等と交わす契約等)がある場合を除き,JAMSTECの帰属となる.
(2) JAMSTECと研究者らの義務JAMSTECの船舶や設備を利用して取得されたデータ・サンプルについて,JAMSTECはそれらを適切に管理し,利用しやすい形で公開する.JAMSTECの船舶による調査航海の場合,参加する研究課題のメンバーはJAMSTECのルールに従ってデータ・サンプルを利用し,首席研究者(調査航海を統括する責任者)はメタデータ(何を実施し,どのようなデータ・サンプルを取得したのか等の情報)を取りまとめJAMSTECに提出する.
(3) メタデータの公開と優先的な利用期間JAMSTECの船舶による調査航海の場合,データ・サンプルのメタデータは航海終了後2ヶ月を目処に各種データベースで公開する.ただし,データ・サンプル自体はそれを取得した研究課題のメンバーに2年間の優先的な利用期間(公開猶予期間)が与えられる.
(4) データ・サンプルの二次利用公開猶予期間が過ぎたデータ・サンプルは,取得した当初の研究課題の範囲を超えた利用申請を広く受け付ける.これを二次利用と称する.公開猶予期間内のデータ・サンプルであっても首席研究者等の許可が得られた場合に限って二次利用の対象となる.
(5) 成果と権利JAMSTECに帰属するデータ・サンプルを利用して得られた研究成果はそれを得た研究者らのものとなる.ただし,商業化,知的財産権利化の手続きの際は,JAMSTECに事前連絡の上で協議が必要となる.商業目的での利用に制限があることから,JAMSTECではデータ,サンプルともに,クリエイティブ・コモンズ・ライセンスのCC-BY-NC 相当の利用条件で公開していると言える.
2.1.2 生物サンプル固有のルールJAMSTECの調査航海で得られた生物サンプルに固有のルールは2009年度から適用した.その内容は主に以下である.
(1) 生物サンプルの定義生物サンプルとはあらゆる生物試料のことであり,分離抽出物,増殖物,および生きた個体なども含まれる.
(2) 生物サンプルの保管生物サンプル自体はそれを採取した航海の研究課題のメンバーが保管する.生物サンプルには情報管理部署によって統一的な管理番号(ID)が付与される.保管期間は10年とし,その後は継続保管,譲渡,破棄等について見直す.
(3) 生物サンプルの二次利用生物サンプルでは,二次利用申請時に利用の可否についてJAMSTEC内で審査を行う.なお,2018年2月現在,生物サンプルの海外への二次利用提供は不可となっているが,これを一定条件の下に可能とする運用の改定を進めているところである.
2.2 生物サンプルの採取からメタデータ公開まで調査航海が終了すると生物サンプルを採取した研究者らはそれらを各々に持ち帰る.JAMSTECに所属する研究者らはJAMSTECにおいて,他機関に所属する研究者らはそれぞれの所属機関において保管し,利用する(Fig.1). サンプル採取者は,採取した生物サンプルのメタデータのリストを,航海終了後2ヶ月以内にJAMSTECに提出する.情報管理部署は提出されたメタデータを「海洋生物サンプルデータベース」(Fig.1;Fig.2;海洋研究開発機構,2018b)に登録し,全てのサンプルにIDを付与する.その際,情報管理部署は採取時の様々な取決めに対して齟齬がないことを確認する(Fig.1).情報管理部署は,個々のサンプルの保管を担当する研究者ら個人を保管管理者として明確にし,サンプルの管理を保管管理者と共同で行う.データベースでの登録,公開が完了すると,情報管理部署は登録票(サンプルIDが加えられたサンプルのメタデータリスト)を保管管理者に送付する.登録票は,以降の保管管理者と情報管理部署とのサンプル情報の交換のためにも利用される.
Outline of management and use of biological samples belong to JAMSTEC.
図1. JAMSTECにおける生物サンプルの管理と利用の概要.
A page of a biological sample on the Marine Biological Sample Database.
図2. 海洋生物サンプルデータベースにおけるサンプル情報画面の一例.
「海洋生物サンプルデータベース」は,JAMSTECに帰属する生物サンプルのデータを一元的に登録し,管理するためのデータベースであり,情報管理部署ではメタデータに加え画像や文献等の関連情報も登録,公開し,さらに管理上必要となる非公開情報(保管管理者の氏名,連絡先,サンプルの保管場所,貸出履歴等)も記録している.
「海洋生物サンプルデータベース」で公開しているサンプルは45,441点である(2018年2月28日現在).この中で,動物が約31,000点,円石藻や有孔虫等の真核性の単細胞生物が約580点,細菌が約2,800点,アーキアが約20点となっている.生物を単離する目的で採取された堆積物や海水も登録しており,それぞれ約2,000点,および約2,500点ある.その他,沈木,沈降粒子,岩石なども生物採取が目的で採られた場合はデータベースに登録している.
動物サンプルについては,2.1で述べたルール構築以前にJAMSTECの研究者が収集,保管してきた生物サンプル約15,000点を含み,これらには1980年代からのものが含まれる.
微生物として単離された菌株サンプルの登録も徐々に増加している.微生物採取を目的とする場合,菌株の分離源として生物が使用される他,岩石や堆積物,海水等が採取されて目的に沿った保存処理が施され,分離源としてデータベースに登録される.微生物の単離やその他の処理(DNA抽出等)は分離源の登録後に行われるため,それらの菌株に関するデータは,菌株保存や遺伝子配列等のデータ発生後に速やかに分離源との紐付けを行うと同時にデータベースに登録されることが望ましい.ただし,現時点では保管管理者とのシームレスな連携まではとれておらず,まとまった菌株群のデータが蓄積された後にその情報を情報管理部署が入手し,登録している状況である.
また,分類学にとって重要なタイプ標本も224点登録されている.タイプ標本は外部機関に寄託,寄贈したものを含み,その場合には寄託,寄贈先の標本番号等を記録することで,データベースの情報が引き続き活用できるようにしている.
登録サンプルの多くは486航海にまたがる1,674潜航によって採取されたものである.これ以外にも潜水船を使わず,プランクトンネットや採泥器等で採取したものなど様々である.水深別でみると,200mより浅い浅海が約4,100点,200m以深の深海が約35,400点(200m以上~2000m未満が約27,300点,2000m以上~6000m未満が約4,400点,6000m以深が約3,700点)であり深海が圧倒的に多い.他にも,採取水深が一点に定まらないサンプル(プランクトンネットを垂直に引き上げたサンプリング等による)も約2,800点ある.
JAMSTECの生物サンプルが利用された論文が出版された場合には研究者からの成果報告などに基づき,各サンプルに文献情報を登録している.文献登録が少なくとも1つあるサンプルは4,766点におよび,これらは332件の論文中で利用されている.これ以外にもJAMSTECの生物サンプルを利用した論文が多数あると思われるので継続して利用者に成果の報告を求めていく.
2.4 保管管理者との連携前述の通り,JAMSTECの生物サンプルはJAMSTEC内外の各機関に持ち帰られ,それぞれの保管管理者によって分散管理されている.JAMSTEC内においても,各保管管理者がそれぞれの研究室等で生物サンプルを管理し,各自が情報管理部署との連携のもとでサンプル管理を行っており,外部の保管管理者の場合と変わりがない.一方,サンプルは日々利用されており,消費による消滅,飼育中の増殖,保存方法の変更などにより,サンプルの状態は刻々と変化している.よって,JAMSTECの情報管理部署が一元的に生物サンプルの状態を把握するためにはJAMSTEC内外の全ての保管管理者との連携が不可欠となる(Fig.1).このため保管管理者には以下の2つの協力を依頼している.
1)サンプルの状態に変化があった場合,保管管理者が情報管理部署に適宜連絡し,情報管理部署はデータベースの情報を更新する.サンプルが消費されて消滅した場合には管理終了の登録を行う(公開されている画面では“利用不可”と表示される).なお,データベースの編集権限をもった管理者として登録しているJAMSTEC内の一部の保管管理者は直接データベースにログインし,自身が管理するサンプルの数量,保存方法,保存場所等の情報を自ら更新する.
2)サンプルに二次利用の申請があった場合,情報管理部署から保管管理者に連絡を行うので,保管管理者はサンプルが提供できる状態にあるか確認する.その上で,審査を経て利用承諾となった場合,保管管理者が梱包,発送する(Fig.1).
2.5 二次利用の流れと利用例二次利用の仕組みを導入することによって,直接的にJAMSTEC船舶による調査観測と関わりがなかった第三者にとっては初めてJAMSTEC生物サンプルの利用機会が開かれたことになる.なお,サンプルを採取した研究課題のメンバーであっても課題採択時の研究課題とは異なる目的で生物サンプルを利用する場合は二次利用としての手続きが必要となる.
二次利用にあたっては,利用希望者がデータベースでサンプルを検索し利用したいサンプルを選定した上で「サンプル利用申請書」と「生物サンプルに関する同意書」を情報管理部署に提出する(Fig.1).情報管理部署は申請を受理後,JAMSTEC内で提供可否の審査を行う.審査では,研究計画の具体性や実現性,JAMSTECの生物サンプルを利用する必要性等が考慮される.承諾となった場合,該当するサンプルの保管管理者から利用者へサンプルが送付される(Fig.1).利用者は,二次利用によって成果が得られた場合には情報管理部署に成果を報告する.
二次利用としてサンプルの提供に至った事例は,2009年度から2017年度までに111件ある(2018年3月14日現在).これらには,研究利用のみならず,教育,アウトリーチ,商業と幅広い目的での利用が含まれている(Fig.1;Fig.3).研究利用では,分類学に関わる利用が多く,二次利用サンプルから新種が記載された例(Kobayashi et al., 2015;Tanaka and Yasuhara, 2016;Uyeno et al., 2018)もある.他にも,代謝や光受容などの生化学的特性に関する浅海性種との比較研究,生体サンプルを用いた呼吸量や心拍数等の生理活性測定,深海生物の飼育法の確立,無脊椎動物の共生細菌の探索,ゲノム構成の研究,プランクトンや微生物の群集構造解析,海底堆積物からの有用物質の探索など様々である.教育利用では博物館や教育イベントでの企画展示が多いが,大学院の授業での利用例もある.また,近年は特に微生物の分離源を対象とした商業利用への提供も増加している.
Purposes of secondary use of biological samples. The numbers indicate the proportion of the purposes of 111 secondary uses from FY2009 to FY2018.
図3. 二次利用された生物サンプルの利用目的.数字は2009年度から2017年度までに提供した111件の中での割合を示す.
このような二次利用の仕組みについてより多くの方々に知ってもらうため,学会,JAMSTECの施設一般公開等でJAMSTECがどのようなサンプルを保管しているか,またそれらの多くが利用可能であることを紹介している(Fig.4;Ichiyanagi et al., 2016).
Introducing JAMSTEC's biological samples and open-use operations of the samples to taxonomists at 53rd annual meeting of Japanese Society of Systematic Zoology.
図4. 日本動物分類学会第53回大会において大会に参加した分類学者にJAMSTECの生物サンプルとその二次利用の仕組みを紹介.
これまで,生物サンプルのメタデータは,サンプルの管理,利用のためにデータベース登録および公開を行うものとして論じてきた.一方で,生物サンプルのメタデータに含まれる採取日時や位置情報は,その生物がいつどこにいたかという分布を示す基礎的データとしても利用できる(Nakajima et al., 2014).このような利用機会を一層増加させるため,「海洋生物サンプルデータベース」に登録されたサンプルのメタデータのうち,同定情報があるものは,JAMSTECが運用する「Biological Information System for Marine Life (BISMaL)」(JAMSTEC, 2009 onwards)に学名,採取日時,採取位置等のデータを登録している(2018年2月28日現在で,28,703件のサンプルデータを登録)(Fig.1).BISMaLは日本の海洋研究で得られたデータを中心に海洋生物の分布データを集約するデータベースであり,そのデータは国際的なデータベースである「Ocean Biogeographic Information System(OBIS)」(OBIS, 2018)にも提供されている(Fig.1;田中ほか,2014).OBISは,海域以外の生物の分布データも扱う「Global Biodiversity Information Facility(GBIF)」(GBIF, 2018)とデータ交換を進めている(2018年2月現在,「海洋生物サンプルデータベース」のデータはOBISからGBIFに未提供).このため,「海洋生物サンプルデータベース」のサンプルデータが国内外のデータベースを通して生物分布に関する基礎情報として国際的にも利用される仕組みになっている(Fig.1).
また,「海洋生物サンプルデータベース」はJAMSTECが運用する「JAMSTEC航海・潜航データ・サンプル探索システム(DARWIN)」(海洋研究開発機構,2018c)にもデータを提供している(Fig.1).DARWINはJAMSTECの航海や潜航に関わる情報を集約したデータベース(佐藤ほか,2014)であるため,生物サンプルの情報とともに,同じ航海や潜航で採られた環境データ,映像,生物以外のサンプル情報(岩石,堆積物コア等),航海のレポート等をまとめて探すことができる.
JAMSTECの生物サンプル管理とその利用の仕組みは「データ・サンプルの取り扱いに関する基本方針」に則ったものである.サンプル情報の公開と,その利用機会の拡大を目指すとどのような運用形態となるのかを追求した結果,たどり着いた形式と言っていいだろう.それは,従来からの博物館,バイオリソースセンター等の機関や個人での生物サンプルの管理・利用の仕組みと何が異なるのであろうか.
3.1 サンプルの権利と取り扱いJAMSTECの調査等で取得されたデータ・サンプルは,特に個別の取決めがない限りJAMSTECが所有権を持つ.これは,JAMSTECがデータ・サンプルを管理する責任を負い,利用機会の拡大を円滑に進めるためである.所有権を曖昧にしてしまうと管理責任も曖昧となり,広範で長期的な利用対応は困難になることが予想される.なお,本稿ではJAMSTECの調査航海で採取された生物サンプルを対象に述べたが,他の経緯でJAMSTECの帰属となった生物サンプルも可能な範囲で同様に管理,提供している.
近年では特に生物サンプルにおいて産業利用時の契約の明確化や名古屋議定書(2014年発効,日本は2017年8月に批准)によるアクセスと利益配分(環境省,2018)等の関係から,生物サンプルの提供には権利を明確化した上で機関間の契約を行う必要性がこれまで以上に強く認識されるようになってきている.よって,特に生物サンプルは所有権を明確化し機関レベルで管理されることが必要になっていると思われる.このことからも,JAMSTECの生物サンプル管理の仕組みは決して特殊なものでなく,むしろ考慮すべき原則に即したものであると言えるだろう.しかし,実際には研究者等が使用中のサンプルの所在を機関として統合的に把握し管理している例は少ないようである.自機関で所有権を有するサンプルを明確にし,それらを統合的に管理するJAMSTECの運用経験は,今後の他機関におけるサンプル管理,利用の仕組みの整備のためにも参考になるのではないだろうか.
3.2 サンプル情報一元管理の目的なぜ生物サンプルのメタデータおよび関連情報を一元的にデータベースで管理するのか,その目的は主に4つある.
第一の目的はサンプルのよりよい管理に資するためである.「データ・サンプルの取り扱いに関する基本方針」に基づいた運用が整備される前に採られたJAMSTECの生物サンプルはそのメタデータとともに散逸してしまったものも多く,もはやいつ,どこで,何が採られたのか,それが現在どこに保管されているのか知ることは難しい.一方で,データベースに登録されるとサンプルのメタデータ,その他登録された情報は失われにくい.さらにサンプルにサンプルIDが記されてさえいれば,誰もがそのサンプルとデータベース上の情報を関連付けられる.結果としてサンプルの利用価値が損なわれず,より良い状況下で管理されることが期待できる.
第二の目的はリスク管理である.生物サンプル採取時の採取地域や共同研究者等との取決めがある場合,それらはサンプルを利用する上で考慮すべき必須の情報となる.生物サンプルは漁業や有用物質の開発など商業的な事案とも関わりが生じやすく,その利害関係からトラブルの元となるリスクがある.名古屋議定書では生物サンプルを遺伝資源として国際的な枠組みの中で利用を管理することとなったため,原産国の法令や採取時の契約を破ると機関や利用者が原産国から法令違反の申立てを受ける可能性がある.法令や契約を遵守した利用を行うためにも,採取時の取決め等の情報は機関として把握し,機関としてサンプルを管理することが重要となる.JAMSTECでは,情報管理部署がサンプル採取時の取決めに関する情報を集めており,採取後には提出されたメタデータ等からサンプルが適切に採取されたものであるかを確認した上でデータベースでの登録と公開を行い,また二次利用申請があった際にも,その利用目的が採取時の取決めに反するものでないかを必ず確認した上で提供している.このように,サンプル情報をデータベースで一元管理することは,サンプル利用のリスク回避のためにも重要になる.
第三の目的は二次利用のためのカタログとなることである.データベースに登録したサンプル情報を公開すると,他者が利用するきっかけを与える.二次利用は,限りあるサンプルの中からより多くの科学的知見を得ていくために重要である.また,利用されることによって新たな知見がフィードバックされ,更なる利用に向けて提供できるサンプル情報が追加,修正されていくという視点も重要である.実際に,サンプル利用後の同定の修正は多く,新種記載によって新たな学名の登録がされたこともある.さらに,個体数の修正,他の生物が混在していたことによる分取サンプルの登録,写真の追加などが生じている.また,二次利用は教育やアウトリーチ等を通してサンプルをより社会に役立てていくためにも大きな役割を担う.
第四の目的は生物の分布情報を取りまとめる場として役立つことである.2.6でも述べた通り,サンプルのメタデータは生物の分布情報として利用できるため,外部データベースに提供するとデータをさらに有効活用できる.なお,この時にサンプル情報を取扱うデータベースであることがより重要な意味を持つ.前項で述べた二次利用の際に限らず,サンプルを利用することでサンプル情報に修正が生じることは多いが,中でも同定情報の修正は元の生物の分布点が他の生物の分布点に置き換わるため,分布情報の正確さに大きく影響する.「海洋生物サンプルデータベース」はサンプルのデータベースであるが故に同定情報が再検討され修正されることがあり,外部データベースに提供されるデータにも適宜修正をかけることができるため,分布情報を取りまとめるための有効な場となっている.なお,同データベースでは変更前の同定情報もその同定者,同定日付とともに記録が残されており,再度検討が必要になった場合には過去の同定情報も参照可能である.
3.3 JAMSTEC生物サンプル管理と利用の特性JAMSTECの生物サンプルの管理や利用の仕組みを特徴づける主な要素は3点あると思われる.
3.3.1 サンプルの分散管理サンプルのメタデータおよび関連情報を一つのデータベースで一元管理しているにもかかわらず,サンプルが個々の研究者の手元に保管されている(分散的に管理されている)点が一つの特徴であろう.もっとも,様々な機関で管理されるサンプルの情報がまとめて閲覧できるデータベースは珍しくない.国内にも全国の博物館の標本情報を集約する「サイエンスミュージアムネット(S-Net)」がある(国立科学博物館,2018).しかし,一つの組織が所有するサンプルに対して所有権を明確に保持しながら分散管理を行っている例は珍しいだろう.一般には,調査実施機関は調査で得られたサンプルの帰属を曖昧にしているようである.このため,各自がサンプルを持ち帰っても調査実施機関のサンプルを分散管理しているようには認識されない.JAMSTECがユニークであるのは,調査実施機関として採取した全サンプルの管理を担う姿勢がある点なのだと言える.
データの管理に比べて,サンプルは保管のための空間的な制約が大きいため,サンプルの分散管理に基づく共同管理体制は保管場所の問題を解決していくためにも意義がある.また,分散管理は災害時にサンプルへの被害を軽減させる役割も果たすことになる.サンプルの忘失を限定的なものに抑えられ,またその情報が別に管理されていることによって,被災時の被害状況の確認や復旧作業にも貢献するであろう.
3.3.2 公開対象サンプルの拡大原則として採取した全てのサンプルをデータベースに登録・公開している点も大きな特徴であろう.これまで,博物館やバイオリソースセンターから公開され利用可能となっているサンプルは主に永続的に保存され利用されるものであり,実験等で消費されていく研究現場の大半のサンプルの情報を公開する場はなく,他者が利用可能な状態にはなっていない.そのため,JAMSTECが公開対象にしているサンプルはこれまで他機関の活動で公開されてきたサンプルに比べて拡大していると言える.
3.3.3 早い段階でのデータベース登録一般的にはデータベースにサンプル情報が登録されるのは,何らかの利用や分析を経た後であろう.JAMSTECではサンプルは採取後,あるいは微生物単離後,速やかにデータベースに登録し,公開する点も大きな特徴だと言える.
時間を経てからでは,サンプルのメタデータや付随データ(野帳に記録したメモ,実験の記録,遺伝子配列データなど),またはそれらの関連性が不明確になりかねない.サンプル保管管理者の異動や退職を機にサンプルの情報整理を行おうとしても,もはや関連情報が散逸していたり記憶が薄れていたりして取りまとめに時間と労力を要する.最初にデータベース登録をしておくと作業はスムーズであるし,情報を失うリスクも大幅に減る.
なお,早期のデータベース登録が求められなくてもサンプルリストの作成や付随データの管理は研究者にとって必須の作業である.これらの作業を負担と感じないためには,データベースへの登録が,サンプルを管理する研究者本人にとっても利用しやすい環境を提供するものであるよう努めることが重要になる.JAMSTECでは一部の研究者や研究グループが「海洋生物サンプルデータベース」の管理画面に直接アクセスし,彼らが保管するサンプルの管理のためにデータベースの情報を追記,更新している.この際,公開できない情報は非公開のまま残せるようになっており,サンプル管理現場のノート代わりとしても機能している.早い段階で登録する作業フローが習慣化すると,データベースは研究現場の作業プロセスに組み込まれ,最も楽で確実なサンプル管理の手段となっていくのではないだろうか.
3.4 サンプルのよりオープンな利用近年,オープンサイエンスという概念が広がっている.JAMSTECの生物サンプル利用の仕組みは,可能な限りその情報を公開し利用機会を広げるという意味において,オープンサイエンスの潮流に呼応する.より多くの方々から利用できるようになった点にとどまらず,採取後の早い段階でサンプル情報を公開していること,その際に対象となるサンプルを限定せず原則的に全サンプルの情報(永続的に保管し提供を行うサンプルに加え,消費されていくサンプルを含む情報)を公開していることなど,他機関と比べてもより“オープン”な姿勢になったと言えるであろう.
また,JAMSTECでは利用機会の公平性を重視している.データ・サンプル取得のためには研究船を利用する研究課題を公募しており,また二次利用の際には利用申請を必要としている.ともに実施,利用には審査を必要とし,ここで可能な限り公平な審査が行われる.
一方,より“オープン”であることを目指した仕組みにより,全ての立場の利用者にとって自由度が増すとは限らないことを感じている.例えば,これまで手続きなく研究者間でデータやサンプルを提供し合っていた研究者らにとっては,提供の度に利用者からの手続を求めるJAMSTECの仕組みは,これまでよりも手間が増したと感じられるようである.研究過程で頻繁に移動するサンプル利用の実態を考え,利用手続きは行いながらもその手間を軽減していく取り組みは今後も重要な課題となるだろう.
オープンサイエンスの中核をなすオープンデータの概念では,データを「誰もが自由に利用,再利用,配布」が可能であることがオープンであることの要件とされている(大澤ほか,2014).しかし,そもそもデータと違い,サンプルは原則として複製できないため,利用の管理や,分配の制限は避けられず,オープンという言葉をデータと同様の意味で用いることはできない.その中でも,可能な限り幅広いサンプルについて利用機会を拡大し,できるだけ公平に利用してもらうにはどうすればよいか,その実践例として,本稿で紹介したJAMSTECの生物サンプル利用の仕組みが位置付けられるだろう.オープンサイエンスの時代に向けて,データのみならず,サンプル利用にとっての“オープン”のあり方や具体的な利用の仕組みについても議論を深め,一般化していくことが重要ではないだろうか.
博物館やバイオリソースセンターを中心に生物サンプル情報を公開しているデータベースは国内外を問わず多く存在するが,JAMSTECのように採取されて間がなく研究者らの手元で日々消費されているものを含め,全ての生物サンプルを登録,公開しているデータベースは他に例を知らない.しかし,この運用は特殊なものでなく,サンプルの帰属を明確にして機関として管理すること,および利用機会をより拡大するために導かれた運用形態であり,さらに発展させていく価値があると思われる.
一方,この運用をより円滑なものにしていくためにはまだ課題もある.保管管理者とのよりスムーズな連携,サンプル利用から生じる成果のより着実な把握,新たな目的にサンプルが利用される場合により確実に手続きがなされるように周知することなどである.また,保管管理者による10年の保管期間が終了した後の生物サンプルの取り扱いを決めていく必要もある.同じ保管管理者が継続保管できない場合,基本的には新たな保管管理者を選定することになるが,博物館への寄託,寄贈などの選択肢もあるであろう.一方で,永久的な保管をする必要のないサンプルもあると思われる.今後は,長期的な管理,利用のノウハウも蓄積し円滑化させていく必要がある.
他機関においても同様に研究現場にあるより広範なサンプルが公開され他者から利用できるようになれば,広い研究者コミュニティーの中でより多くのサンプルを流通させることが可能となる.同様の仕組みを運用するには,自機関が所有するサンプルを把握する仕組み,担当部署の明確化,採取時の取決め情報の管理,データベースの運用など,対応すべき課題も多いが,運用のノウハウや技術を機関間で共有し実務の負担軽減ができれば,このような仕組みを広げて行くことも可能ではないだろうか.そして,多くの生物サンプルが公開され利用できるようになれば.生物サンプルから最大限の科学的,社会的価値を生み出していくことができるようになるであろう.
JAMSTECの生物サンプルのメタデータや関連情報を提出していただいている航海の首席研究者,研究課題の代表者,全ての保管管理者のご協力がなければ,本稿で紹介した生物サンプルの管理と利用の仕組みの運用は実現できません.日頃のご協力に深く感謝いたします.二次利用申請の際に,JAMSTEC内で提供可否の審査を行う生物サンプル取扱ワーキンググループの初代リーダーを務めていただいた三輪哲也氏,および全てのワーキンググループメンバーに感謝いたします.また,情報管理部署と日頃から連携をとり「海洋生物サンプルデータベース」のサンプル情報の更新に深く関わっていただき,また二次利用の際に多くのサンプルの発送を手がけていただいてきたJAMSTEC海洋生物多様性研究分野の畠山あさ子氏,内田裕子氏,宮田毅子氏,佐野聖子氏,今野由美氏に感謝いたします.