におい・かおり環境学会誌
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特集(においを表現する言葉)
においを表現する言葉
綾部 早穂
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2013 年 44 巻 6 号 p. 345

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抄録

色や形,大きさを表現する言葉,音色や声色や動物の鳴き声を表現する言葉,触り心地や固さを表現する言葉,味を表現する言葉といったように,視覚・聴覚・触覚・味覚にはそれぞれの感覚モダリティを人間が感じた時の刺激対象の表現方法が存在し,それゆえに,その刺激対象の特徴を他者に伝達することができる.しかし,嗅覚に関しては,嗅覚モダリティ特有の表現方法が存在しないことがその特徴とすらなっている.

しかし,香りは私たちの日常生活で食べるものや使用するものには欠かせない存在であり,食品や香粧品業界では商品の香りを社内で検討する必要があり,またそれを消費者に伝える必要もある.悪臭が発生している場合にも,どのような悪臭が発生しているのか報告する必要性も生じる.調香師には調香師仲間で用いる共通言語があり,ワインのソムリエにもそのような言語体系があるが,調香師やソムリエは自分のオリジナルの言語をこの共通言語に通訳して用いているとも言われている.

また,あるにおいを「何のにおい」と一旦表現してしまうことで,その「何」に対する一般的な知識や価値からそのにおいに対する好き嫌いや快不快までもが左右されてしまうことがある.反対に,「バラの香り」と言われ,期待して嗅いでみたら,自分のイメージとはまったく異なっていてがっかりするようなこともある.においを言葉で表現することは上述のように必要である一方,様々な問題を生じさせることにもなる.

少し話題がそれるが,最近,訳書として出版された「アノスミア」(勁草書房)には,感受性豊かで聡明な著者がシェフを目指すべく,有名レストランで修業を積み,様々なにおいを覚えていくが,ある日交通事故に遭い,頭部を強打することで,嗅覚を失ってしまう「物語」が描かれている.完全なノンフィクションであるが,劇的にストーリー(状況)が展開し,興味深い記述が次々と出現する.彼女は頭部外傷により嗅覚神経系がばっさりと切断されてしまったと思われる.通常,このような状態に陥った後に嗅覚を回復することは滅多にないのだが、様々な奇跡が重なり,彼女は次第ににおいの感覚を取り戻していく.しかし,嗅覚を失う前までは,様々なにおいを自分の体験に結び付けて生き生きと記述しながら覚えることができたのに,嗅覚が回復し,「においがする(においが知覚できる)」ようになっても,なかなかそのにおいが何のにおいであるのか表現することができないという状況に陥る.思い余って,フランスのグラースに出かけ2週間の調香教室に通うのだが,ひたすら努力をすることで少しずつにおいを言葉で表現できるようになっていく.においを言葉で表現するということはここまで難しいことなのかと,人間の嗅覚システムの神秘について改めて考えさせられる著者の経験談である.

今回の特集では,広く様々な観点から「においを表現する言葉」について執筆をお願いした.

鈴木氏(高砂香料(株))には,経験を積まれた調香師の目線からにおいの言葉に関する様々な問題点を幅広い観点でとらえていただいた.これこそがこの特集の巻頭言と言っても過言ではない.調香師ゆえの,においを表現する言葉へのこだわりが強く伝わり,言葉の重要性を再認識させられる.喜多氏((株)島津製作所)には,におい分析のお立場から,何百種類も存在するにおいを網羅的に表現するのではなく,「相対的」に表現するユニークな発想をご提案いただいた.斉藤氏(斉藤幸子味嗅覚研究所)には,悪臭を表現する言葉について,ご自身の2つの研究をご紹介いただいた.古い研究であるとお断りされているが,このような詳細を積み重ねた研究は時代を経ても色褪せることなく,私たちに貴重な示唆を与えてくれる.「悪臭」であっても,一言では片付けられないほど多様であることは日常的にも経験することではあるが,データとして見せていただけることは興味深い.中野・綾部(筑波大)は,ここ数年取り組んできた,一般の人向けににおいの質を伝える際に,より感覚的な表現であるオノマトペの適用可能性について,その限界とともに紹介した.そして,後藤氏(酒類総合研究所)には,「生き物」であり,さまざまな要因をうけるワインの香りを評価する言葉についてご紹介いただいた.ワインを楽しみながら自分自身で香りを表現するのはかなり難しいことではあるが,ご紹介いただいた「香り」を,次回ワインの香りから探し出してみたいと思う.

最後に,本特集を企画するにあたり,ご多用の中にもかかわらず執筆をご快諾いただいた著者の方々に,本紙面をお借りして,深く感謝申し上げます.

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© 2013 (社)におい・かおり環境協会
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