抄録
本発表ではチベットのアムド・レプコン地域すなわち、中国青海省同仁県保安(ボウナン)鎮ワォッコル村のトゥ族の形成とその文化変容について考察する。保安地域はかつて唐と吐蕃の国境地帯であり、それ以来の多民族の交流と融合の痕跡が見られる。ワォッコル村の人々は自らチベット族というアイデンティティが強く、日常生活様式も周辺のチベット族と変わらないが、周辺のチベット族から「ドルド」と呼ばれ、区別されている。彼らの母語は中世モンゴル語に由来するといわれる言語で、現在はトゥ(土)語と分類されている。 チベット族、トゥ族と保安族などに関する中国語及びチベット語文献などの先行研究を整理しながら、チベット族とトゥ族の生業と山神崇拝、収穫祭、言語などフィールド調査のデータを分析し、歴史的にチベット族・トゥ族・保安族・漢族・モンゴル族などの接触及び雑居の歴史、文化の変容などについて考察する。