抄録
様々なゲームが日々、人々にプレイされている。従来のゲームは、日常とは明確に「敷居」によって切り離された時間空間でプレイされていると考えられる。つまり、「ゲームの時間空間」と「日常の時間空間」とは「敷居」で区切られ、そこに「場のシステム」における「境界の場」が生じる。しかし、そこに「触媒」となる「仕組み」を持ち込むことや、二つの時間空間が重なる「融合領域」を設けることで、「ゲームの時間空間」と「日常の時間空間」との間の行き来が容易になるか、そもそも地続きになる。それによりプレイヤは、日常の自身の行動の延長線上、若しくは日常の行動の中にゲームを取り込むことになり、結果として「敷居」は消失しているか若しくは希薄なものになっていると思われる。