企業家研究は多元的な概念の発展を通して興隆してきたが、シュンペーターが当初描いた、意志の力を伴って創造的破壊に突き進むという企業家像よりも,富やイノベーション創出のための道具的存在としての企業家像が敷衍している。これに対して、本論文は、フーコーのパレーシア概念を援用することで、「既存の体制と異なる真理を語り、勇気をもって、リスクを冒し挑戦するという企業家の生き方」を「パレーシアステースとしての企業家」と捉える。小倉昌男の事例研究を通して、企業家的真理ゲームとして展開される企業家活動の政治的・倫理的実践のあり方を明らかにする。