Journal of Computer Chemistry, Japan
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巻頭言
特集号「酸化物系材料物質の計算科学」に寄せて
澤口 直哉
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2015 年 14 巻 4 号 p. A23-A24

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筆者は今日までの量子化学計算や分子シミュレーションの適用対象を有機物と無機物に二分すると,有機物への適用が圧倒的に多いのではと推しはかり,その理由を考えることがままある.もし有機物が“数”で無機物を凌駕しているならば,それぞれに計算科学を適用した研究数は単に母数の差に由来するかもしれない.研究者数にも差があるならば,それも係数として掛け合わせると,一層説明的な解析になるのでは,と考える.その一方で,単に人気の差の現われではないかという気もしなくはない.その検証は保留し,何をもって無機物の“数”とするかを契機に,少し無機物について考えてみたい.

凝集系の無機物について考えてみる.無機物は元素の組み合わせの自由度が高く,様々な物質あるいは元素を基本組成にし,それらの混合系を形成できる.筆者の研究対象を例にひくと,化学式(組成式)xNa2O-(1−x)SiO2と表わされる物質は,xが0から約0.4の範囲でガラスとなる.これをx値に関係なく一つの物質と捉えるのは,物性がxによって変化することを知ってしまうと,無理がある.結晶であればAxB1−xO2 (0 ≤ x ≤ 1)のような固溶体も置換量xで物性が変わる.固溶体を形成せずに,xによって異なる結晶を形成するため相図上に複数の相が存在する系もあり,金属材料やセラミックス材料の多くがこれらのいずれかに該当している.加えて,金属やセラミックスの材料特性は組織構造の影響も受けるので,結晶の物性だけからでは捉えきれない.このように組成と組織の自由度を併せもつ無機固体は,見かけの系の数からでは計り知れない多様性を有しているといえるだろう.

酸化物に絞ると,さらに研究例は減ってしまう.しかし,藍色細菌が吐き出した酸素により原始地球を構成していた太陽系始原物質由来の元素が徐々に酸化され,現在の大気中の酸素分圧に至る過程で酸化されうるものはすっかり酸化物となり地殻やマントルを形成していることを思えば,酸化物の重要性を侮るわけにはいかない.実際,我々は採掘した多様な酸化物を組み合わせて建築に利用し,便利な日用品を造り,新たな電子デバイスを開発してきた.けれども,我々が酸化物を充分に掌握しているかといえば,そうは思えない.例えば,酸化物や金属を焼結させる工場の中には熟練工が欠かせない現場があると聞く.機械化・自動化に必要な形式化に成功していない技術要素が残っているからであろう.国内の人口が減少し続けるならば,現場であまねく熟練工が活躍している未来像を描くのは無理がある.とすれば,熟練工の技術や知識を理学・工学を学んだ者が理解し使えるものへ移換していかなければならないのではないか.研究者がこの作業に積極的に携ることが重要となるだろう.そして,この移換を支援するツールの一つとして計算科学を有意義なものに発展させる,そのような仕事があって良いはずだ.

そもそも,酸化物の結晶構造や基本的な物性については,未解明なことが多く残っており,その理由として思い当たることがある.酸化物材料の製造は,液相反応を利用するため,あるいは固相中の原子の拡散能を高めるために,1000 K,2000 Kなどの高温状態を経ることが多い.しかし,高温状態の直接観察は容易ではなく,揺らぎも大きい.また,酸化物が含有する不純物原子や高温で増加する点欠陥などが,酸化物材料の特性に無視できない影響を及すと判っていても,これらの同定が常に可能な状況は希である.データおよび知見の蓄積がままならないのである.

酸化物の特性に影響する不純物や点欠陥の存在は計算科学にとってもやっかいである.不純物の濃度を現実に合わせようとすると数百万の原子からなるモデル系が必要となったり,分子動力学シミュレーションで酸化物中の原子の拡散を扱おうとすると,拡散が遅いために多大なステップ数が必要となったりする.酸化物ガラスの構造を調べるには,高温状態からの冷却過程を辿る分子動力学シミュレーションが必要となり,計算資源の制約内でいかにして有意義な情報を引き出すかに腐心することになる.結果としてこのような系には,古典的分子動力学法が適切であることが多々ある.一方で,酸化物の電子状態を知ることも,酸化物の構造や物性を理解する上で重要となっている.典型元素の酸化物ならば電子は概ね化学結合部分に局在していると考えられるため分子軌道法が適しているが,酸化物結晶の周期性に着目すれば,密度汎関数法の適用も考えられる.どちらを選び,どのソフトウェアを利用するかをその都度検討している現状は,研究分野として未熟である故とも捉えうるだろう.この分野に関わる研究者が増え,情報交換が活発になることを期待したい.

本特集号には酸化物に携っておられる材料化学や鉱物学の専門家に寄稿していただいた.その内訳は,まず各々に個性的な酸化物を取り上げた分子動力学シミュレーションおよび量子化学計算による研究報告である.酸化物の結晶構造そのものについて,あるいは結晶中のイオンの拡散などが扱われている.そして,酸化物に適用できる可視化ソフトウェアの開発報告と並列計算に関わる技術解説も寄稿いただいた.紹介されているソフトウェアや技術は適用を酸化物に限ってはいない.しかし,酸化物の計算科学に必要となる多大な原子数や,凝集連続体を扱うための周期境界条件などがこれらの必要性を派生していることをお伝えしておきたい.個々の内容紹介は割愛させていただくが,是非目を通し,取り上げられている物質・材料の“出所”を含め,酸化物の多様性を感じていただければ幸いである.

最後に,本特集号へ快くご寄稿下さった著者の皆様,そして著者が編集業務の何たるかを仰ぎ,多大なご協力を賜った編集室の皆様に,あらためて厚くお礼を申し上げる.

 
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