Journal of Computer Chemistry, Japan
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Molecular Science in Biology (1)–The Dawn of Biomolecular Science–
Takamitsu KOHZUMA
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2016 Volume 15 Issue 1 Pages A3-A6

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Abstract

20世紀は,生命現象をつかさどる物質の理解が進んだ時代である.量子力学の発展とともに,複雑な化合物の量子化学的理解が進んだ.そして,分子生物学,構造生物学,生物無機化学が誕生し,今や,生命現象を分子レベル,原子レベルで理解し,大規模な計算によって,その詳細を知る時代となっている.本稿では,19世紀後半から20世紀中期までの科学とともに成長してきた黎明期の生体分子科学について概観する.

1 はじめに

DNAの構造の発見から始まり,DNA情報がいつどのようなタイミングで制御を受け,発現し,細胞機能,ひいては,個体の行動につながるかについての研究が進められてきている.近年では,種々の生命現象に対して直接影響するタンパク質の構造と機能との関係に焦点を当てた研究が進められている.また,生命現象は,高次な化学現象の集積と相関によって達成されていることもあり,そこには数多くの魅力的な分子科学的課題が存在し,この半世紀あまり,多くの研究者の興味を引きつけ,生命現象の分子レベルでの本質的理解とともに,有用な知見が社会にスピンアウトしてきた.そのような研究においては,分光学,結晶学,計算機科学等の数々の分子科学的アプローチが取られてきていることは枚挙に暇がない.本稿では,ある意味科学技術にとって最もチャレンジングな課題となる「生命現象の分子科学」について,その歴史的背景を含めて社会との相関についても概観してみたいと思う.

2 生命と非生命

かつて,生命現象に関係する物質を取り扱うのが,有機化学であり,生命現象に関係しない物質を扱うのが無機化学であった.特に生命現象に関係する物質は,生物の力なくしては作り出すことができないと考えられていたが,ウェーラーによる尿素合成は,この概念を変えた.つまり,生命起源の物質であっても,生命の力を借りることなく,人工的に作り出すことができることを示したのであった.そのような時代において,遺伝という生命の持つ特有な現象に関与する物質について行われた議論は次のようであった.遺伝には,細胞内の特定の物質が関与すると考えられていたのだが,それがタンパク質なのかDNAなのかで大きく議論が分かれていた.当時の科学的知見から,DNAは分子量が高々1227のものであり,複雑な生命現象を説明するには,あまりにもシンプルであると考えられており,大方,タンパク質が遺伝の本体であろうと受け入れられていた.しかし,グリフィスは,肺炎双球菌に病原性という因子を伝えるものがあることを見つけ,エーブリーは,その因子がDNAであることを突き止めた.概念的に見ると,遺伝というよりは,微生物における形質の転換にDNAが主たる役割を果たしていることを証明したものである.このことは,広い意味で解釈すると,生命における情報伝達としての遺伝という現象にDNAが関与していることを示したと言っても過言ではない.しかし,このエーブリーの実験には,超遠心分離器,紫外吸収分光光度計等,今では普遍的に存在する装置であるが,当時としては,最新の装置(すごい価格であったと想像するに難くない)であり,それらの装置を駆使して,その証明を行ったことは興味深い.その後,有名なハーシー・チェイスの実験によりバクテリオファージの遺伝子がDNAであることが証明される.以上の,分子生物学の誕生とその発展については,T. A. Brownの「分子遺伝学」 [1]に詳細が記述してあるので参照されたい.これらの分子遺伝学は,ワトソン-クリック,ウィルキンス,そしてフランクリン (フランクリンは1952年にDNAのらせん構造を発見) によるDNAの二重らせん構造発見(1953年)によって [2,3,4,5,6],まさに分子科学の世界,ひいては量子力学的概念によって生命現象を説明するということへと発展して行った(参考文献[2,3,4] にあげたNature誌の論文が3つのグループの論文が連続された形で掲載されていることも興味深い.一読というよりも,ぜひ,論文にある図を見ていただきたい.きっと,意外なことに気がつかれるだろう).計算機科学的観点あるいは分子科学的観点からすると,参考文献[6]は珠玉の論文と言えるかもしれない.これらの論文は,http://www.nature.com/nature/dna50/archive.html からダウンロードできるようになっている.

分子遺伝学の発展と同時に,早くから研究が活発に行われていたタンパク質という極めて重要な機能性分子についても,生命と非生命の線引きをどのように考えるかという命題が存在していた.タンパク質は,アミノ酸から構成され,ペプチド結合で繋がっている高分子であり,一つの構造に折りたたまれていくという特性を持っている.DNAからmRNAへの情報伝達は,転写と呼ばれ,mRNAに写し取られた情報はリボソームにおける翻訳装置により,タンパク質へと変換される.(Figure 1)しかし,この段階においても,一次元のDNA情報は一次元のRNA情報へと,そして一次元のRNA情報はやはり一次元のポリペプチド情報へと伝達されているにすぎず,特定の立体構造になっていくための明確な三次元情報は存在しない.存在しないというよりは,そのポリペプチドの中に内包されているというのが現代の理解であり,ほぼ無限大の可能性のあるポリペプチドの折りたたまれ方の様式(フォールディングという)が一義的に特定の構造へとフォールドされていくかは大きな課題である.多元的情報を一次元のDNA情報に保管し,複製し,利用するということはまさに生命の妙である.現代のコンピューター技術の革新は,磁気テープ上にある一次元デジタル情報をもとに,3Dプリンタで構造を形成させるという点で生命現象の持つ特性をある程度できるようにしてきているとも言える.しかし,いくつもの機能性を持つ構造体を適切に空間配置し,さらに高次の機能を持たせるというところまでは来ていないと思われるが,いずれそのような日が来るのだろう.

Figure 1.

 The one-dimensional information of DNA is transferred to corresponding mRNA maintaining the one dimensional information of DNA. The information of mRNA is translated to protein at ribosome, and the protein is folded to the unique three dimensional structure with the specific 3D information.

タンパク質は,細胞の中において,電子伝達,低分子運搬,物質合成・分解,調整等等,実に多くの機能を有する.DNAを作るのもタンパク質の役割である.そのタンパク質の結晶化は難しく,その当時の理解では,「生命現象に関与する分子は結晶にはならない」であり,生体分子とその他の分子を区別する考え方の基礎であった.しかし,1926年に,コーネル大学のサムナーは,Jack Bean (日本では,漬物材料として知られているタチナタマメ)から,ウレアーゼを単離精製し,ついにその結晶化に成功した.ウレアーゼの結晶は,美しい八面体型であり,その写真が参考文献[7]に掲載されている.タンパク質の結晶化ということは,生命現象を司る物質でも結晶になるということを示し,生命現象をいたずらに神秘的に取り扱っていた当時の考え方の変更を余儀なくした.そのような意味において,ウェーラーの尿素合成と同等の哲学的意味を持つ.しかし,ウレアーゼの結晶化から,その分子構造の解明には,実に83年も要したのである.

3 量子線と生体分子

20世紀は,まさに量子の世紀であり,数々の物理学的発見とともに,化学,生物学への応用が進展した.奇しくも,サムナーがウレアーゼの結晶化に成功した1926年に,シュレーディンガーの波動力学とハイゼンベルクの行列力学の同等性が証明され,量子力学が一応完成されたと言われる.この時,生命と非生命をつなぐ実験的証明とともに,生命現象を量子力学の言葉で説明しようと機運が高まった.ボーアは,1932年に「Light and Life」という講演を行い,シュレディンガーは,1944年に「What is Life ?」を著し,いち早く生命現象を分子あるいは原子のレベルで理解し,物理学的に語ろうと試み始めていたのである.そのような時代よりもほんのわずか早くに,トムスンによって電子が発見された.電子は別名,陰極線粒子であり,この陰極線が陰極線管にぶつかると極めて透過力の高い放射線が出ていることがレントゲンによって,1895年に発見された.X線の発見である.そして,ラザフォード,ベクレル,キュリー夫妻らによって,放射線の研究が飛躍的に進歩したと同時に,原子核の理解が進んだ.1932年には,チャドウィックによって中性子が発見され,原子核を構成し,物質の構造と性質の理解に利用されている基本的粒子が揃った.これらの放射線と原子の理解は量子力学の発展と共にあった.また,近年は,種々の電磁波や粒子線が加速器によって生み出されるため,そのような放射線のことを量子線と呼ぶこともある.しかし,その性質は原子核の崩壊によって出てくる放射線とは本質的には異ならない.このように20世紀初頭は,原子核の時代であった.これらの量子線の発見に関することは,ワインバーグの「電子と原子核の発見」 [8]に詳述されている.20世紀初頭に発見された原子核を構成する粒子あるいは原子核の崩壊とともに現れる電磁波以外の粒子としてμ粒子等がやがて見つかり,現代ではその応用が考えられ始めているが,これは後に紹介する.

レントゲンが1895年にX線を発見した後,1913年にブラッグ親子は,結晶からのX線散乱とその法則性を発表し [9],X線による物質構造の決定が急速に進歩していく.1926年にサムナーが酵素ウレアーゼの結晶化に成功すると,多くの研究者がタンパク質を結晶化することを試み,その構造を知ろうとした.その中でも,ドロシー・ホジキンは,1935年に消化酵素であるペプシンの結晶化を行い,X線を照射し,回折パターンを得ることに成功している.しかし,タンパク質のように大きく複雑な構造を知るには,まだ少し時間を要した.先に述べたDNAの構造の発見も,正確にはDNA単結晶を用いての構造解析ではない.

4 生命の秘密

1954年,ペルツらは血液の中で酸素を運搬するヘモグロビンの結晶構造解析を行うために,初めて多重同型置換法を適用した [10].1958年には,ペルツの共同研究者であったケンドリューが,多重同型置換によって,ヘモグロビンと同じくヘムタンパク質であり酸素を貯蔵するミオグロビンの構造解析に成功した [11].これらのヘムタンパク質のX線による構造決定がタンパク質の構造を明らかにした最初の例である.レントゲンがX線を発見してから約60年,サムナーがタンパク質の結晶化を行ってから28年,ホジキンのペプシンのX線回折パターン取得から23年の歳月を要した.ペルツによるヘモグロンビンの構造解析は,単にタンパク質の構造が明らかになったのみならず,ヘモグロビンに酸素が結合するとダイナミックに構造が変化し,酸素結合の機構が極めて合目的的に行われていることを示したことも挙げられる.生命の秘密ということになると,ワトソンとクリック [2,5],ウィルキンス [3],フランクリン [4,6]によってもたらされたDNAの構造が第一の秘密といわれるが,ペルツによって示された,タンパク質のしなやかな構造特性は,モノー(大腸菌におけるガラクトース利用には複数の遺伝子のセットが関与し,オペロンを形成していること提唱した)によって第二の秘密と評されたことをペルツは自著 [12]の中で紹介し,生命現象の分子レベルでの妙なる仕組みを示している.

5 生命現象の分子科学

本稿では,生命現象の分子科学の黎明期について,周辺分野のサイエンスとの関係を紹介してきた.次稿以降では,20世紀後半において台頭してくるレーザーという新しい量子線やコンピューターの進展に関連しての生命現象の分子科学を順次ご紹介する予定である.

参考文献
 
© 2016 Society of Computer Chemistry, Japan
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