Journal of Computer Chemistry, Japan
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研究論文
計算としての化学反応によるゲルのロコモーション
吉田 彩乃櫻沢 繁
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2017 年 16 巻 1 号 p. 17-21

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Abstract

複雑な実世界に適応するロボットを開発するために,生物の階層性を模倣したシステムが開発されている.しかしそれらのシステム全体を制御するための同期機構は,コンピュータによる計算によって構成されている.そのアルゴリズムは設計者によってシステムの外部から与えられているため,フレーム問題を回避できない.フレーム問題を回避するためは,システムの内部から生ずる計算アルゴリズムによってシステムが動作する必要がある.そこで我々はBZ反応が計算として機能することに着目し,BZ反応による自励振動ゲルを用いて,アルゴリズムを与える事無く自発的に一方向の運動を示す化学ロボットの開発を目指した.その結果,BZ反応に寄与する物質の拡散速度とゲルの形やサイズのバランスをとることで,内生的に非対称性を作りだすことと,その化学反応によって実際にゲルが一方向に蠕動運動することを具体的に示すことに成功した.

1 はじめに

近年のロボットの開発においては,実世界における状況の複雑さに対して適切に対応するために生物の柔軟な性質が模倣されている.特に生物の階層性は,設計者の想定を超えた柔軟な適応動作を可能とするため,自律分散システムやニューラルネットワークなどを例として様々な場面において利用されている.しかし,それらのシステムの存在を維持するための,システム全体で統制のとれた動作を生み出す同期機構は,いずれもコンピュータによる計算によって構成されている.このコンピュータによる計算には,計算の手順を指示するアルゴリズムがコンピュータの外部から与えられる.この外部から与えられるアルゴリズムは,当の計算主体であるコンピュータの存在の維持とは無関係に設計者によって与えられることから,設計者にとってのシステムの利用目的から外れた想定外の状況が,フレーム問題の根源として残る.一方,生物における同期機構は,生体内の個々の分子が担う生理学的な化学反応によって成り立っている.化学反応に寄与する分子は,絶えずその分子にとっての安定な状態を選ぶために,周囲に存在する他の分子との関係で状態を変えている.その状態変化の結果は,事後においてはエネルギーの安定な状態へと変遷していることから,化学反応そのものは当の分子の存在に係わる計算と考えられる.この計算としての化学反応を利用することによって,ロボットの開発におけるフレーム問題を回避できる可能性がある.

近年,吉田らによってバイオミメティックな素材として自励振動ゲルが開発された[1,2,3,4,5].この自励振動ゲルでは,BZ反応と物理的な体積の変化がカップリングされており,化学反応が計算として機能し,外部からの制御がなくとも,BZ反応の触媒の酸化-還元に合わせて膨潤収縮を繰り返す.この自励振動ゲルを利用して,前田らはラチェット構造の床上で一方向の移動を見せる化学ロボット"Self-walking gel”を開発した[6].

しかし,この化学ロボットでは,自励振動ゲルの重心に対して対称的な体積の振動を,ラチェット構造の持つ非対称性と組み合わせることで,一方向の移動を実現している.すなわち,ラチェットの様に非対称性を持つ環境でなければ一方向の運動を作り出すことはできず,同じ場所を自由に往来するような運動をする事はできない.

一方,生物はこの非対称性を化学反応によって体内に作り出すことで運動を実現している.化学反応は時間的に非対称性を生み出すが,空間的には等方的で対称である.しかし,その化学反応の反応物と生成物が循環的な関係を持つ系においては,系の空間的サイズとの関係で空間的にも非対称性を生み出すことが知られている.BZ反応はその最もシンプルな系のうちの一つであり,元池はBZ反応にはその反応を起こす空間の形状によって,非対称性を作り出す能力があると明らかにした[7].すなわちBZ反応を計算として利用している化学ロボットには,そもそも空間的に非対称な運動を起こす能力が内在されており,環境の非対称性がなくとも自ずと一方向の運動を生ずる可能性を持っている可能性がある.

そこで本研究では,自励振動ゲルを用いて,BZ反応の時間スケールとゲル内を拡散するBZ反応の基質や生成物の空間スケールを調節することによって,ゲル内に非対称な化学反応の伝播が起きる可能性を探り,計算としての化学反応によって一方向の移動が発現するか検証した.

2 材料と方法

2.1 試薬

本研究で自励振動ゲルの作成に使用した試薬は以下の通りである.N-イソプロピルアクリルアミド (NIPAAm) には和光純薬工業社製の和光特級を用いた.2-アクリルアミド-2-メチルポロパンスルホン酸 (AMPS) には和光純薬工業社製の和光一級を用いた.N, N' -メチレンビスアクリルアミド (MBAA) とα, α'-アゾビスイソブチロニトリル (AIBN) には関東化学社製の鹿特級を用いた.ルテニウムモノマー (Ru (bpy)3) には藤本分子化学社製を用いた.メタノール (MtOH) には関東化学社製の特級を用いた.超純水には,水道水を超純水製造装置 (MILLIPORE, Elix10, Milli-Q gradient A10) で精製したものを使用した.0.3 [mm]のステンレスビーズには舟辺精工社製を用いた.

2.2 自励振動ゲル

主鎖NIPAAm (0.2076 [g]),副鎖AMPS (0.0067 [g]),架橋剤MBAA (0.0089 [g]),開始剤AIBN (0.0096 [g]),そして,金属触媒の Ru (bpy) 3 (0.0259 [g]) を水 (0.75 [ml]),エタノール (0.75 [ml])の混合溶液で溶かし,鋳型を用いてオーブンで20時間60 [°C]で静置しゲルを加熱合成した.鋳型は,中央が四角く切り抜かれた厚さ 1 [mm] のシリコーンシートを2枚のプラスチックで挟んでいる.鋳型の構造をFigure 1に示す.シリコーンシートとプラスチックプレートを密着させるため,シリコーンシートの表面にシリコーングリースを塗った.試薬を溶かした混合溶液を空気が入り込まないように鋳型に注入した.残留物質を洗浄するために,合成したゲルをメタノールに24時間浸した後,超純水に24時間浸した.

Figure 1.

 Schematic illustration of the structure of casting mold.

2.3 方法

上記の方法で重合したゲルを様々な大きさにカットした.ゲルが浮遊することなく床に接地するように直径0.3 [mm]のステンレス球を埋め込んだ.BZ反応基質溶液として,マロン酸 (0.0625 [M]) ,臭素酸ナトリウム (0.084 [M]) ,硝酸 (0.894 [M])を混合した.温度コントローラーを使用して溶液温度を18 [˚C]に保った.Figure 2に示すように,直径約9 [cm]のガラスシャーレに,先ほどのBZ反応基質溶液を注いだ.床面へのゲルの吸着を防ぐためすりガラスを静置し,そこにゲルを静置した.その後のゲルの運動の様子を上からビデオカメラで撮影し,PCに記録保存した.

Figure 2.

 Schematic illustration of the experimental environment.

3 結果

上記の実験の結果,適切なゲルのサイズや形状の時に重心移動が観察された.

まず,幅30 [mm],長さ40 [mm]にカットしたゲルの結果をFigure 3に示した.ゲルのサイズが大きく,且つ形状が正方形に近い場合は,ゲル内に2次元に伝播するパターンがランダムに発生した.そのため波の伝播方向もランダムに且つ非同期になってしまう事から,全体を統制する運動は見られなかった.また,ゲルのサイズが大きくなると中心部は溶液交換がしにくくなり,反応が滞る部分が発生した.その結果,一方向の化学反応の伝播は実現されなかった.次に,Figure 4に,幅2 [mm],長さ12 [mm]にカットしたときの結果を示した.長さを長くすると,ゲル内に化学反応の進行波が発生するが,2つ以上発生してしまうため伝播の方向性がランダムになってしまった.そこで,幅を2 [mm],長さ6 [mm]以下の長方形に調整すると,ゲル内で非対称な化学反応の伝播が発生した.更に,Ruが酸化状態となっている部分のゲルは膨潤して体積が膨らむため,BZ反応の一方向の伝播に伴ってゲルの膨潤波が生じ,ゲル全体で蠕動運動による重心移動が観察された.その,ゲルの長軸方向にとった座標軸上における重心の座標の変化をFigure 5に示す.40分でおよそ8 [mm]程度の非常にゆっくりとした移動であるが,確実に一方向の運動が生まれたことが分かる.また,一方向の移動を見せたときのゲルのタイムラプス写真をFigure 6に,また移動しているゲルの長軸方向の中心近くの1ラインを縦軸に,時間を横軸にとったスペース-タイム・プロット(キモグラフ)をFigure 7に示した.これらからわかる通り,Figure 7 においても,実験開始直後はFigure 4の様にBZ反応の酸化波(緑色の部位)が,ゲルの長軸方向の両端から発生し,中央に向かって伝播するものの中央付近で衝突して消滅していた.しかし時間の経過とともに,右端から発生した波が支配的となり,右から左へ一方向に伝播する膨潤波が発生した.

Figure 3.

 The propagation pattern of BZ reaction on the gel cut into 30 [mm] in width by 40[mm] in length.

Figure 4.

 The propagation pattern of BZ reaction on the gel cut into 2 [mm] in width by 12[mm] in length.

Figure 5.

 Movement of the center of mass on the longitudinal coordinate.

Figure 6.

 Time-lapse photography during gel locomotion.

Figure 7.

 Space-time plot (kymograph) of the locomotive gel. The vertical axis shows the center line of the gel along with the longitudinal direction. The horizontal line shows the time. The white line shows the position of the center of the mass of the gel.

4 考察

ゲルの大きさと形状を調節すると,ゲル内に一方向の化学反応の伝播が発生した.その結果として,非対称性のない環境でもゲルは自ら非対称性を生み出し一方向の移動を見せた.

BZ反応は自己触媒反応を含む循環反応であるため,反応による生成物が,拡散して行った先でその反応とは別に独立に進んでいる反応に影響を与える.そのため,化学反応が起きる空間のサイズや形が,その化学反応の反応物や生成物の拡散速度との間でバランスを取ると,複数個所から生まれた化学反応の波も一つに引き込まれ,結果的に単発の化学反応の伝播波が繰り返し周期的に発生することとなる.すなわち,この系では,多数の化学反応の波の発生の可能性の中から,一つの波に選択されるプロセスのアルゴリズムが,この系の外部から与えられることなく,系の内部で自発的に発生している.これらの結果より,このロボットでは化学反応を計算として利用することで,フレーム問題を持たない生物の同期機構と同様な同期機構を保有していると考えることができる.

この一方向の伝播波によるゲルの一方向の運動は,化学反応に寄与する分子集団全体の運動に向けた動作の同期機構を,それら分子自身が担う計算によって構成されていると言える.

本研究は,化学反応が計算として機能する条件を探り当てる事,及び,それによる系全体の自律的な運動の発現を具体的に示すことに成功した.

参考文献
 
© 2017 日本コンピュータ化学会
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