Journal of Computer Chemistry, Japan
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追悼寄稿
下沢隆先生とコンピュータ化学黎明期
大澤 映二
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2017 年 16 巻 1 号 p. A6

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下沢先生は,日本コンピュータ化学会の前身である化学ソフトウエア学会,更にその前身で,1982年に設立された化学PC研究会の,いずれも初代会長を務められた大先輩である.良く知られているように,コンピュータ化学には,大きく分けて2つの流れがあり,一つはコンピュータを化学教育に役立てることを目的とし,もう一つはコンピュータを研究道具として利用する.下沢先生は前者,私は後者に属したので,お互いに仕事の上で接触する機会はなく,むしろ学会の懇親会で良くお目に掛かった.そのような時は,先生はいつも快活で,ご自分の周囲に元気エネルギーをまき散らしてくださる印象を受けていたので,長い間お目に掛からないでいて,突然訃報を頂き,驚くばかりである.

折角日本コンピュータ化学会誌から寄稿を勧めて頂いたので,ここでは研究型コンピュータ化学の黎明期の思い出話を少しさせて頂こう.私がいわゆる大型電子計算機に初めて触れたのは,1967年に博士研究員としてプリンストン大学化学科のSchleyer研究室に滞在した時だった.まず,大学が主催した町民のための夜間講座で,数学科の先生からFortranプログラミングの手ほどきを受けた.それから工学部の計算センターに登録し,当時Schleyerが始めていたポテンシャル計算法による,立体歪エネルギーの評価を行った.実験では得られない情報が簡単に得られることに驚いて,忽ちのめり込んだ.日本に帰ってすぐに,シクロヘキサンのメチル,エチル,i-プロピル,t-ブチル置換体の最適化構造を基にした3次元立体配座解析の論文を,Tetrahedron誌に掲載したが,これは「実験の部」のない有機化学論文として,歴史上2番目の論文である.まだ量子化学計算では,構造最適化が出来なかった時代の話である.

このころはMM2を使っていたが,これはQuantum Chemistry Program Exchangeというボランティア団体から貰うことができたので,おおいに活用したが,世話をしていた人が,引退するときにQCPEが消滅する危険があったので,急遽JCPE (JはJapan)という似た会を作って,活動を引き継いだのが1990年代のことである.

しかし,この時には既に,化学計算プログラムはコンピュータ創薬という商業的な流れに押されて,コンピュータグラフィックスを武器とするプロの道具の一つとなり,高価な商品となって,非公開が普通になった.量子化学研究者コミュニティーが育て上げた唯一の総合計算化学プログラムGaussianも有償となり,この動きに逆らったSchleyerなどは,自ら開発したGaussianプログラムの使用を差し止められたことがあった.

当然JCPEも自然解消となったが,この時期には私のコンピュー熱も醒めていた.というのは,計算化学で一番面白くて意味があるのはタンパク質やDNAの計算であるが,私が始めた頃には,既に出来ることは終わっていた.現在のスーパーコンピュータの時代に入っても,これらの大きな生体分子の計算で出来ることは限られているので,今出来ることを誰よりも早く済ませて,それからはコンピュータの発達を待つしかない.ところが私が初めた頃には,すでにハーバード大学化学科を中心とする才人達が仕事を終えていた!2013年ノーベル化学賞が,M. Karplus, M. Levitt, A. Warshelに与えられたが,彼らは当時の先駆者達の代表であり,40年経ってから,その先見性が認められたと解釈すべきであろう.こう考えると,研究志向コンピュータ化学は難しいことを,いまさらながら痛感する.

 
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