2018 Volume 17 Issue 4 Pages 172-179
ドラッグ・デリバリー・システムにおけるナノ微粒子設計の効率化のために,分子シミュレーションによる物性予測や原子分解能のメカニズム解明が望まれている.本研究では,散逸粒子動力学 (DPD) 法とX線小角散乱を用いて,脂質二重膜および混合脂質のベシクル形成の分子メカニズムを明らかにすることを目的として検討を行った.DPDシミュレーションに用いる相互作用パラメータは,フラグメント分子軌道 (FMO) 法を用いて高精度に算定した(FMO-DPD法).脂質二重膜形成の結果から,飽和結合のみをもつリン脂質 (DPPC) よりも不飽和結合をもつリン脂質 (DOPC) の方が,膜流動性が高いことが分かった.さらに,リン脂質と正電荷脂質を混合したベシクルの形成では,正電荷脂質の比率が増えるにつれて膜の流動性が高くなり,球から扁平球へと形状が変化することが明らかとなった.
体内の薬物動態をコントロールし,薬物を疾患部位に能率的に送達する技術はDrug Delivery System (DDS) とよばれ,近年ではナノテクノロジーを利用としたDDS製剤の開発が盛んである.薬剤を内包したナノ微粒子の代表的なものにベシクル等の脂質微粒子が挙げられる [1, 2].一般的な脂質微粒子製剤の設計は,複数の合成された脂質を様々な比率で混合し微粒子の作製を行っている.作製された脂質微粒子に対し,ゼータサイザーにより粒子径やゼータ電位を測定し,小角X線散乱 (SAXS) や低温透過型電子顕微鏡(Cryo-TEM)により物性の評価を行う.その後,in vitroでは,実際に脂質微粒子を薬物のベクターとして使用し,薬物の封入率や細胞への取り込み率の測定等の物性評価を行う.さらにin vivoでは,脂質微粒子を動物に投与し薬物動態の評価を行っている.これらすべてのプロセスを実験のみで行うには,膨大な時間と費用がかかることが問題となっており,in silico シミュレーションによる効率化が望まれている.
さらに,脂質微粒子製剤において,脂質の組成比を変化させた際にベシクルの形状がどのように変化するか等の原子レベルの挙動については,未だに詳細がわかっておらず,分子シミュレーションによるメカニズムの解明が必要である.しかしながら,直径20∼200 nmに及ぶ脂質微粒子全体を全原子シミュレーションで扱うことは現在の技術では不可能であるため,粗視化近似が有効である.例えば,Goarse-Grained 分子動力学 (CG-MD) 法を用いた粗視化シミュレーションでは,篠田らによるベシクルの融合シミュレーション [3,4,5,6]や,越山らによる脂質ナノバブルの崩壊とベシクル形成のシミュレーションなどが行われている [7].粗視化手法を用いることでサイズの問題は改善されるが,一方でこれらCG-MD計算で用いられているパラメータは古典力場に基づいており,パラメータの試行錯誤的な探索の難しさは彼ら自身が指摘しているところである [6].
本研究では,粗視化シミュレーションの一種である散逸粒子動力学 (DPD) 法 [8]を用いて,脂質微粒子の形成メカニズムを検討している.DPD法では,分子集団を一つの粒子として近似し,簡略化することで,大規模なシミュレーションが可能となる.しかしここでも,パラメータの精度が不均一であること,さらには分子間相互作用を扱う上で十分な精度が保証されていないことが課題であった.例えばDPD法によるベシクル形成シミュレーションが兵頭らによって行われているが [9],用いられた相互作用パラメータは疎水性・親水性程度の性質を表しているに過ぎなかった.最近,望月らは,生体分子の分子間相互作用解析に適したフラグメント分子軌道(FMO)法 [9,11,12] を用いて,DPDシミュレーションにおける相互作用パラメータ(χパラメータ)を量子化学計算によって算定し,精度問題を解消することを試みている [13, 14].量子化学計算であれば分子の化学構造に基づく分子間相互作用や官能基の性質を十分に取り込むことができる.既に,脂質膜構造の再現 [15] や,シリカ基盤の吸着シミュレーション [16]に成功している.
本研究では,先行研究 [15]と同様に決めたFMOパラメータを用いて,脂質膜およびベシクルの形成のFMO-DPDシミュレーションを行い,実験値との整合性について検討を行った.まず初めにリン脂質であるDPPC (Figure 1a) と不飽和結合をもつリン脂質であるDOPC (Figure 1b) を使用し,単成分におけるFMO-DPD法により得られた物性値が実験値 [17, 18]を再現できるかについて検証を行った.続いて正電荷脂質のDOTAP (Figure 1c) と中性リン脂質であるDPPCを用いて,2成分混合系において脂質の組成比(モル比)を変化させてSAXS測定及びFMO-DPDシミュレーションを行った.
The lipid molecules used in this study; (a) DPPC, (b) DOPC, (c) DOTAP. The gray lines represent the segmentation boundary of the beads.
まず中性リン脂質の単一成分に対して,膜生成およびベシクル形成のFMO-DPDシミュレーションを行った.次に中性リン脂質と正電荷脂質の2成分混合系に対して,SAXSを用いた実験とFMO-DPDシミュレーションを用いて,ベシクルの形状や構造上の特徴を調べた.
2.1 試料試料としては,2種類の中性リン脂質と1種類の正電荷脂質を用いた (Figure 1).中性リン脂質であるDPPCは炭化水素鎖部分が飽和結合のみからなり,他方のDOPCは不飽和結合をもつ.正電荷脂質であるDOTAPは,DNAやsiRNAなどの核酸医薬品のベクターとして広く使用されている.これらの脂質のうち,主に電荷を帯びたリン酸やコリンからなる部分が脂質の親水性基(頭部)であり,炭化水素鎖部分が疎水性基(尾部)となる.
2成分混合系では,中性リン脂質 (DPPC) と正電荷脂質 (DOTAP) の組成比(モル比)を変化させて測定および計算を行った.組成比はDOTAP:DPPC = 0:1, 1:3, 1:1, 3:1, 1:0とした.実験では薄膜法でベシクルを作製し,50 nmのフィルターでベシクルの粒子径を調整し,SAXSで測定を行った.計算でも同様の混合成分に対してFMO-DPDシミュレーションを行った.
2.2 実験による評価法SAXSの測定は,各混合比率で作製したベシクルについて,高エネルギー加速器研究機構・PFのBL10Cで行った.X 線の波長およびカメラ長は2つの条件を用いた.波長1.7 Å,カメラ長300 cmでは,ベシクル粒子の大きさや形状を評価した.より広角側の波長 0.9Å,カメラ長 50 cmでは,微細な脂質間の距離情報が得られた.検出器は,PILATUS3 2Mを用いた.
SAXSから得られたカメラ長300 cmのデータから,楕円の理論式にcurve fittingを行いベシクル形状の評価を行った.式(1)が示す r_polar と r_equatrial (Figure 2) の比率によってX_shapeを定義し,X_shape = 1ならばベシクルの形状は球であり,X_shape < 1ならば扁球,X_shape > 1ならば楕円であるとしてベシクルの形状を評価した. X_shape = r_polar/r_equatrial (1)
Relationship between r_polar and r_equatrial in elipticalshape
Figure 1 に示すように脂質分子をいくつかのセグメントに分割した後,各セグメントを1つの粗視化粒子としてモデル化し,DPDシミュレーション [8]を行った.水分子については4分子を1粒子として扱った.
シミュレーションの際にはセグメント粒子間に生じる相互作用パラメータ(χパラメータ)が必要となるが,本報告ではフラグメント分子軌道(FMO)法 [9, 11, 12]を用い,セグメント分子間の接触における相互作用エネルギー(フラグメント間相互作用エネルギー; IFIE)計算からパラメータを算定した.この手法は,Flory-Huggins理論 [19, 20]を元にしたパラメータ算定を提唱したFanの手法 [21] を我々が改良したものであり [13],FCEWSという名称でプログラムの公開を行っている [14].手法の詳細は文献 [13, 14]を参照されたい.水のパラメータは,水素結合が環状の水四量体の構造を基準として,二量体で水素結合が直線型,環型,分岐型となる3種の構造,さらには単量体まで考慮してパラメータを決めた [15].加えて,全体の電荷を中和するために,OH−イオンを含む負電荷水粒子 (OH) − (H2O)5 のパラメータを作成した.さらに,不飽和脂質であるDOPCおよびDOTAPに対しては,二重結合の箇所で脂質の尾部がcis型に折れ曲がっていると仮定し,Figure 1 (b)(c) に示す ∠ACB のアングルパラメータをDPDシミュレーション中は120°に固定した.
FMO計算には,ABINIT-MP [12] プログラムを用い,分散力に基づく疎水的な相互作用を評価できるMP2法を用いた [22,23,24].基底関数には6-31G†を用いた.さらに,今回の対象分子は過去の報告 [14, 15]と同様にイオン性のセグメントを含むため,Poisson-Boltzmann (PB) による 溶媒効果を取り入れた計算を行っている [25, 26].すなわち,χパラメータの算定に用いた計算手法はFMO2-MP2-PB/6-31G† となる.
これまでに,同様に決めたパラメータを用いて,脂質膜構造の再現 [15] や,シリカ基盤の吸着シミュレーション [16] に成功している.ここでは接触させるセグメント分子間の距離情報,PBの誘電体モデルの設定が異なるため,実際に使用したパラメータは過去の報告 [15, 16] とは若干異なる値を用いている.
DPDシミュレーションの条件としては,温度は300 K,セルサイズ21.3 nm,粒子数81,000,密度3,DPDアルゴリズムパラメータ λは0.65とした [9].時間刻み幅Δtは0.05,総ステップ数は100,000 (実時間の0.7マイクロ秒に相当)とした.DPDシミュレーションのためのソフトウェアにはJ-OCTA (http://www.j-octa.com) のCOGNAC モジュールを用いた.
まず,単一脂質成分(DPPCまたはDOPC)に対する二重膜生成シミュレーションを行った.初期配置として,セル中央の面にランダムに粗視化ビーズ配置した(Figure 3a).初期構造は疎水基尾部(黄色)が外側,親水基頭部(青色)が内側に配置されていたが,ごく初期のステップで反転して,親水基が外側,疎水基が内側の脂質二重膜を構成した(Figure 3b).次に圧力バランスから膜面積を算定した.膜面積とは,脂質二重膜を形成する脂質1分子が占める面積のことを指すが,単成分で作製されたDPPC及びDOPCの二重膜に対して水平なXY方向と垂直なZ方向の圧力が釣り合った点の分子数から膜面積を算出した(Figure 3cd). 交点での体積分率はDPPCでは19.9%,DOPCでは19.4% であったため,膜面積はDPPCでは67.8 Å2,DOPCの膜面積は69.5 Å2と算出され,不飽和結合をもつDOPCの膜面積はDPPCよりも大きかった.文献値 [17, 18] から得られたDPPCの膜面積は63.0 Å2,DOPCは72.5 Å2であり同様の傾向になった.分子内に不飽和結合をもつDOPCの膜面積はDPPCよりも大きいことから,DOPCの脂質二重膜はDPPCの脂質二重膜より流動性が高いことが示唆された.
Formation of lipid bilayer membrane by the FMO-DPD simulation. (a) initial structure, (b) final structure. Blue and yellow beads represent hydrophilic groups (lipid heads) and hydrophobic groups (lipid tails), respectively. Relation between pressure and volume fraction in (c) DPPC and (d) DOPC.
次に,DPPCもしくはDOPCの単一脂質成分について,体積分率を5%∼15%の範囲で変化させたシミュレーションを行い,ベシクル形成過程を検討した (Figure 4).Figure 3と同様に,図中の青色の粒子は脂質分子の親水基,黄色の粒子は脂質分子の疎水基を示している.
Vesicle formation in various lipid volume fractions.
DPPCでは,5% の体積分率においてベシクルの形成を確認することはできなかったが,7.5% でベシクルが形成され,12.5% までは球状のベシクル構造を保持していた.一方,DOPCでは体積分率5% でも球状のベシクルが形成され,体積分率が12.5% になると扁球状に変化した.このことは,DOPCからなるベシクルが「柔らかい」膜であることを示唆しており,先に示した膜面積の傾向とも一致する.つまり,DOPCはDPPCよりも膜面積が大きく流動性が高いと考えられる.そのために,低い体積分率でも曲率の高いベシクルを形成することができ,また,高い体積分率では形状が扁球のベシクルを形成したと考えられる.
3.3 2成分混合脂質からなるベシクルの形状中性リン脂質と正電荷脂質の2成分混合系に対して,SAXS測定とFMO-DPDシミュレーションを用いて,ベシクルの形状や構造上の特徴を調べた.SAXS測定のカメラ長50 cmの結果(Figure 5)では,散乱ベクトルq = 1.5Å−1 付近に,脂質の頭部間距離を表すピークが出現した.ピークの位置は,DPPC単独の場合にはq = 1.50Å−1であったが,DPPCのモル比が減少しDOTAPが増加するにしたがって,次第に左側にシフトした.DOTAP単独になるとピーク位置はq = 1.37Å−1であった.脂質頭部間の距離が長いほどピークの位置が左側にシフトすると考えられるため,この結果からは不飽和炭素鎖を含むDOTAPの組成比が多いほど頭部間の距離が離れる,つまり流動性の高い脂質膜であることが示唆された.
SAXS measurements at the camera length of 50 cm.
次に,カメラ長300 cm のSAXS結果から,DOTAPとDPPCの混合比率を変化させたときのベシクルの形状を検討した (Figure 6).縦軸がX_shape,横軸がDOTAPの組成比率 (DOTAPのモル百分率) を示す.DOTAPの比率が高くなるにつれX_shapeが減少する傾向がみられた.式(1) および Figure 2 の定義から,DOTAPの比率が高くなるにつれてベシクルの形状が扁球状に近づいていていくことが明らかとなった.FMO-DPDシミュレーション結果でも同様にX_shapeを算出したところ,SAXSと同様の傾向が得られた.FMO-DPDの結果はX_shapeの減少が遅く,球に近い形状を保つ傾向にあるが,これはパラメータ精度の問題あるいはベシクルの粒子径が実験よりも小さいことが影響していると考えられる.Figure 6の粒子の図は,各脂質組成比率でのFMO-DPDシミュレーションの結果から,生成したベシクル構造を抜きだしたものである.青の粒子はDPPC,赤の粒子はDOTAPである.DPPCに対するDOTAPの割合が高くなるにつれ,扁球状に近づく様子が可視化できている.
Shapes of vesicles according to the mixing percentage of DOTAP.
これらの混合脂質における脂質分布の詳細を理解するために,ベシクル生成と同じ比率での混合脂質二重膜の生成シミュレーションを行った.二重膜の上半分を上から見た図をFigure 7a, 横から見た図をFigure 7b に示す.Figure 7aでは,DOTAP成分のみを表示しており,親水基が青,疎水基が黄色のビーズである.DOTAP 25%や50% の図をみると,DOTAPとDPPCの分布は均一ではなくクラスター構造を形成していることがわかる.さらに脂質の親水基頭部と疎水基尾部の分布もクラスター構造を形成しており,DOTAPの比率が増えるにしたがって,クラスターサイズが大きくなる様子がわかる.次に脂質二重膜を横から見ることで(Figure 7b),混合脂質の膜の厚み方向の分布を評価した.赤がDOTAP分子,青がDPPC分子を表している.右のグラフは脂質分子の重心の数密度を膜中心からの距離に応じてプロットしたものであるが,DOTAP 0%(DPPCのみ)の場合には膜表面付近にシャープなピークが得られ,表面の高さが揃っていることがわかった.一方で,DOTAPおよびDPPCがともに50%の混合脂質では,DOTAPのピークはDPPCよりも内側に位置すること,また全体的にピークが広がっていることがわかった.即ち,混合脂質では表面の高さが均一ではなく,凹凸した状態になっていることがわかった.
Surface structure and lipid distribution of lipid bilayer according to the mixing percentage of DOTAP. (a) Top view of lipid bilayer, where only the DOTAP particles in a upper layer were shown. (b) Side view of lipid bilayer. See text for details
脂質二重膜で見られたクラスター構造は,Figure 6のベシクルの形成においても観察することができる.ベシクルでは,DOTAPの比率が上がるにつれて形状が扁平上になるとともにクラスター構造が大きくなっている様子がわかる.即ち,ベシクルの形状と表面のクラスター構造との間に関連があることが示唆される.
以上のように,FMO-DPD法によるベシクルの形成シミュレーションによって,実験結果を定性的に再現しつつ,脂質ベシクルの詳細な構造解析が可能となった.
量子論に基づくFMO法によって相互作用パラメータを算定したFMO-DPDシミュレーションを用いることで,脂質二重膜やベシクルに対して膜の流動性や形状などの実験データを反映できるシミュレーションが可能となった.飽和炭化水素からなる脂質二重膜よりも不飽和炭化水素からなる脂質二重膜の方が,膜流動性が高いことがわかった.また,中性リン脂質と正電荷脂質を混合した脂質ベシクルにおいては,正電荷脂質の比率が高くなるにつれて膜の流動性が増し,形状も球状から扁平状に変化することが明らかとなった.今回は3種類の脂質分子のみを扱ったが,今後は様々な脂質分子やコレステロールなどの膜構成分子,PEGなどの修飾分子,内包RNA,膜タンパク質などに拡張する予定である.ごく最近になって,DPDシミュレーション専用の独自プログラムであるCAMUSの開発により大幅な高速化が可能となっており [27],今後,本手法の拡張により実験に先駆けて膜の流動性や形状などのベシクル物性を予測することが実用化すれば,脂質微粒子製剤の設計の大幅な効率化が期待できる.
本研究の一部は,高エネルギー加速器研究機構の大学共同利用実験課題(2017G652)として行われた.また,本研究の一部は文部科学省のポスト「京」プロジェクト(重点課題6)からの支援を受けた.最後に,J-OCTAのライセンスを貸与いただいた(株) JSOLに感謝する.