2020 Volume 19 Issue 2 Pages A3
前世紀,製本された数冊の専門学術誌の論文に毎号目を通せば世界の先端を十分に把握できたように感じられた.論文は当然印刷したものを郵送で投稿し,印刷したものに黒や赤のペンでコメントが付されたものが返ってきたりしたものだ.21世紀に入り,電子ジャーナルが中心となり,投稿も電子投稿が当たり前になった.著者が博士後期課程に進学した直後に固体酸化物形燃料電池の論文を調べたとき,それまでに出版された総数がおよそ千件であったが,今や1年間で同数の論文が出版されている.分野の全体を把握することはもはや不可能で,さらには,機関のアクセスの制約などでダウンロードできない論文は読まれない時代と言えよう.ググってWikiって理解する時代だ.論文の投稿・採択に半年以上,時には数年かかった時代における学会発表の役割と,投稿後4週間以上返事がないとそろそろ問い合わせる時期かと感じる現在における学会発表の役割はまったく異なるだろう.Peer同志が真剣に意見を戦わせる「討論」はめったに目にすることはなく,代わりに,質疑の時間の間を埋めるための質問をしたりプレゼンテーション賞の審査者が質問のための質問をしたりする姿が目立つセッションも珍しくない.また,論文・特許の競争をすればするほど発表は控えざるを得ない.コロナ禍で学会のオンライン開催が当たり前となる潮流はafterコロナの時代も形を変えて残るだろう.画面をキャプチャされたとしてもそのことを知りえない場でまったく新規の内容を発表する意義は教育の観点以外で何があるだろうか,とふと考えてしまう.
著者が今世紀初頭に計算化学の分野に入って以降を振り返れば,回路の集積度とクロック数を上げることで高速化を実現してきた時代からマルチコアの時代に入り,並列計算の時代に入った.京コンピュータから富岳へと時代が変わり,演算速度のみをひたすらに追求する時代ではなくなった.この間著者はJST-CREST事業にて電気化学三相界面のマルチスケール連成解析を実現し,スーパーコンピュータによる超並列計算により4.2 nmの遷移金属ナノ粒子の全電子計算も公表してきた.こういうことができたらいいなと夢想したことが計算機科学やソフトウェアの発展と計算インフラの整備によって具現化してきたのだ.4.2 nmのナノ粒子と言えば,実際に汎用される触媒ナノ粒子の初期粒径より大きい.分子系のみならず凝縮系の材料分野においても実在系の計算科学の時代が来ようとしていると言ってよい.10年後,20年後にはどのような時代に入っているだろうか.機械学習により電子状態が導出され,最後のファインチューニングにのみ全電子計算を実施する日はそう遠くないだろうし,その後には量子コンピュータが主戦場となることだろう.現在の社会はデジタルトランスフォーメーション(DX)一色で,サイバー技術を活用した急速な変化が日々進んでいる.研究・教育の両面においてコンピュータ化学の役割は増えることはありこそすれ減ることはあるまい.学術の文脈に限定されず組織や個人などあらゆる存在は,従来のあり方のままあり続けるだけでは存在感が相対的に衰退する.この20年間に深化し幅を広げてきた学会の活動がさらに広がっていくためには,変化を奨励し,受容し続けることが重要だろうし,そうありたいものである.