Journal of Computer Chemistry, Japan
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Original Article
Study of the Electronic State of Hydrogen by a Combination of the Muon as Pseudo Hydrogen and First-Principles Calculation
M. HIRAISHIK. M. KOJIMAH. OKABEA. KODAR. KADONOK. IDES. MATSUISHIH. KUMOMIT. KAMIYAH. HOSONO
Author information
Keywords: Muon, Kubo-Toyabe, Hydrogen, DFT, IGZO
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2020 Volume 19 Issue 3 Pages 106-114

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Abstract

水素の軽い同位体である素粒子ミュオン (Mu) を用いて透明酸化物半導体InGaZnO4 (IGZO) 中における水素の電子状態を調べた.ミュオンスピン回転法で観測された久保-鳥谷部関数における緩和率Δと,第一原理計算による水素のシミュレーションの組み合わせから,結晶IGZOやアモルファスの薄膜a-IGZO中でのミュオンはZn-Oの結合中心位置で安定化することを明らかにした.ZnOとの類推から,対応する水素はドナーとして働くことを示唆している.高濃度に水素チャージした薄膜a-IGZOでは,スペクトル形状の変化から,一部のミュオンが酸素欠損位置でMuHとして存在していることを示唆する結果を得た.

1 はじめに

水素は材料中に普遍的に存在する不純物であり,特に半導体や太陽電池・誘電体などの機能性物質において,その特性を左右する要員の1つとして議論されている.半導体を例にとると,水素自身がドナーとなり,意図しないキャリアドープの一因となっている,とする研究例が実験・理論の両面から数多く報告されており,水素の電子状態を理解することは応用上非常に重要である.

今回ミュオンによる研究例として紹介するInGaZnO4は,モバイルデバイスや50インチを超える大型ディスプレイに薄膜トランジスタ (TFT) として応用されている物質である.一般にIGZOとして知られる物質であるが,実は製品寿命に関わる課題があり,その背景に水素との関連が指摘されている.水素を調べる手段はいくつかあるが,半導体などで問題になるppmオーダーの水素濃度では信号強度の問題で,測定自体が困難である.本稿で紹介するミュオンスピン回転法 (μSR) は,水素を検知するのではなく,物質中で擬似水素として振る舞うミュオンの電子状態を調べる手法であるため,対象物質の水素濃度によらずその電子状態を推定することができる.本稿では,μSR法と第一原理計算の組み合わせによって明らかにしたIGZO中の水素の電子状態について述べる.

2 透明酸化物半導体InGaZnO4

結晶InGaZnO4は,InO2とGa/Zn-O2の2つの層構造が積層した物質である [1, 2].バンドギャップがおよそ3.7 eVの透明物質で,TFTの電流の流れやすさを示す電界効果移動度はおよそ10 cm2/V·sと報告されている.これはアモルファスシリコンのおよそ10-20倍である.比較的低温のプロセスで,大面積かつ高品質なアモルファスの膜生成が可能であるため,低コストでの生産が可能である (バンドギャップはおよそ3.2 eVになる).現在,ディスプレイやタッチパネルに応用されており,ユーザー側のメリットとして,移動度が高いために大型有機ELTVの駆動が可能,オフ状態でのリーク電流が非常に低く,画面のリフレッシュ時間を長くとれることから,静止画では非常に省電力であること,かつ,長いオフ状態では低ノイズでタッチパネル動作を検出できるために感度が高い,といったことが挙げられる.他にも低電圧駆動 (オンとオフの切り替えが小さな電圧で行える),低いオフ電流 (ゲートに負電圧を印加した際に流れる電流が低く,低消費電力に貢献する) といった特徴がある.

一方で克服すべき課題もいくつか存在する.そのうちの1つが,負のゲート電圧をかけて光照射を行い続けると,スイッチング電圧が徐々にマイナス側にシフトしてしまう現象 (Negative Bias Illumination Stress, NBIS) である.スイッチングTFTとして動作させる場合,ほとんどの時間がこの状態であるので,NBISは製品寿命に関わる極めて重要な問題である.なお,これはIGZO特有の現象ではなく,他の酸化物半導体でも生じている問題であり [3],その本質的な理解と対策が急務となっている.IGZOにおいては,水素とNBISの関連性が報告されている [4].すなわち,水素量をコントロールしたTFT用のアモルファスIGZOにおいて,NBISの程度 (電圧の負シフトと時定数) を比較した場合,水素量が多い試料で顕著に現れることが報告されている.IGZOでは,価電子帯の頂上からおよそ1 eV程度上にブロードなピークを有する,いわゆるサブギャップの状態密度 (DOS) がXPS測定によって観測されており [5],NBISがバンドギャップ3.2 eVよりも低い∼2.3 eV以上の波長の光照射で生じていることから,このサブギャップ状態がNBISの本質的な原因と考えられている.このサブギャップ状態の起源はいまだにはっきりしていないが,その候補の1つとして不純物水素が関与していることが最近の理論/実験の両面から明らかになりつつある [6, 7].では,水素量を減らせば安定に稼働するのでは,というと必ずしもそうではなく,水素量を減らしたデバイスでは,スイッチング性能が低くなる,TFTの電界効果移動度が下がる,などといったことも報告されている [8, 9].

3 ミュオン実験

IGZO中での水素の電子状態を明らかにすることを目的として,我々はミュオンスピン回転 (μSR) 実験を行なってきた [10].実験結果を述べる前に,以下ではμSR法でどのように水素の電子状態を調べるのかについて述べるが,誌面の都合上省略した部分が多々あるので,μSRについてより詳細に知りたい場合は文献 [11]などを参照していただきたい.

ミュオンとは,電子と同じ大きさの電荷を有する素粒子の一つで,質量は電子のおよそ200倍,または水素のおよそ1/9である.物質中に静止したミュオンはミクロな磁石として振る舞い,静止位置での局所的な磁場を感じてスピンが歳差運動を示す.正の電荷を持つ正ミュオンの場合,2.2 μsの平均寿命で崩壊し,2つのニュートリノと陽電子を放出する.この時放出される陽電子の角度分布は,ミュオンのスピン方向に対して空間異方性を示すので,スピン偏極の揃ったミュオンビームを測定対象に入射し,崩壊陽電子の空間分布 (ある軸での非対称度),およびその時間発展を調べることで,物質内部におけるミュオン近傍の磁場の情報を知ることができる.これがμSR法である.茨城県那珂郡東海村にある大強度陽子加速器施設J-PARCの物質・生命科学実験施設では,高速の陽子をグラファイト標的に照射した際の核反応で得られるπ粒子の崩壊によってスピン偏極したミュオンビームを得ている.

μSR法は,超高感度の磁気プローブとして磁性体や超伝導体の研究に用いられることが多いが,正ミュオン (一般にμと表記) 自身が水素の軽い同位体 (原子量0.1126相当) とみなせることを利用し,物質中における水素の電子状態を調べる研究にも用いられる.物質中で静止した正ミュオンは,局所的な電子状態を反映して様々な荷電状態をとりうる.その際ミュオンに束縛される1s軌道の電子の換算質量は,水素のそれと比較して0.4%程度の違いしかないので,局所的な電子状態は,水素とほぼ同一とみなせる.よって,物質中にあるミュオンは基本的に電子と同一の安定状態をとり,水素の電子状態を模倣すると考えられる.なお,我々のグループでは擬似水素としてのミュオンの呼称として,Muogen (Mu): ミュオジェンという言葉を提唱している [12].Mu0は常磁性水素 (H0),Mu+とMuは反磁性状態 (H+,H)に対応する.Mu0の磁気回転比は反磁性状態のそれに対しておよそ100倍となるため,Mu0は磁場中での実験によって容易に検出可能である.また,Mu0ではミュオンと電子の超微細相互作用の大小や異方性を調べることでミュオン静止位置での対称性を絞りこむことが可能であり,これまでたくさんの研究が半導体材料を中心に行われてきた (例えば [13, 14]).一方反磁性状態では,Mu+とMuの実験的な区別は容易ではないが,高磁場下でのミュオン周波数シフト測定 (H-NMRと同等の手法) による同定例がある [15].なお,質量の軽さ故に無視できない同位体効果が存在するため,動的な性質 (低温で生じる量子拡散など) については注意を払う必要がある [16, 17].

μSR法ではスピン偏極したミュオンビームを用いるため,ゼロ磁場での実験が可能であり,測定対象の磁気基底状態に応じてスペクトルは様々な形を取る.以下では,IGZOでの観測例を念頭に,反磁性状態での磁気双極子相互作用の相手としてミュオン近傍にある原子核の核磁気モーメントを考えた場合にどのようなスペクトルが得られるかを記す.

ある単位格子中で一定の格子間位置に静止したミュオンを考える.単一の核磁気モーメントがミュオン位置に作る磁場は,2.2 μsの平均寿命を持つミュオンから見ると静的であり,ミュオン位置における磁場分布は一様分布で近似できる.N個の核磁気モーメントがある場合は,この一様分布のN個の足しあわせとなるが,Nが3∼4以上では中心極限定理によってガウス分布で近似される磁場分布で表され,ゼロ磁場でのミュオンスピンの時間発展 (時間スペクトル) が以下の久保-鳥谷部関数で記述できることが知られている.   

G KT ( Δ , t ) = 1 3 + 2 3 ( 1 Δ 2 t 2 ) exp  ( 1 2 Δ 2 t 2 ) (1)

t = 0近傍はガウス型の曲線で, t = 3 / Δ で極小値をとったのち,t → ∞で1/3に漸近する特徴的な関数である.1/3項は,t = 0のミュオンスピンと平行な磁場を感じてスピンの向きが変化しない成分と解釈できる.Δ ≡ γμσBは時間スペクトルの緩和率に対応する物理量で,ガウス分布の幅σBとMu±の磁気回転比γμ/2π = 135.535 MHz/Tの積である.上式と,t = 0でのミュオンスピン方向と平行な外部磁場Bext (縦磁場:LF) を印加した場合の様子をFigure 1に示した.

Figure 1.

 Kubo-Toyabe function under a zero field (ZF) and an external longitudinal field (LF) bBext/B parallel to the initial muon spin direction. The solid and dashed lines represent the case that the internal magnetic field is static and dynamic (fluctuation rate ν = 0.2Δ [MHz]), respectively.

磁気双極子による磁場は距離の3乗で減衰するので,σBはミュオン最近接の核磁気モーメントの幾何学的配置に大きく依存する.特に多結晶や粉末試料の場合,σBは   

σ B 2 = Δ 2 / γ μ 2 = i ( f i μ N i r i 3 ) 2 (2)
で与えられる.ここでriはミュオンと核磁気モーメント μ N i 間の距離である.fiは核スピンの値Iiによって変わる係数で,I = 1/2で2/3,I ≥ 1では電気四重極モーメントの影響で4/9となる.得られた計算値のΔと実験値を比較することでミュオン (すなわち水素) の静止位置を推測できる.

実際の測定ではゼロ磁場だけでなく,σB程度の縦磁場を印加した状態での測定も行い,内部磁場の揺らぎの効果などを考慮しΔを精度良く求めている (Figure 1参照).これまでの計算値の導出は不純物水素を考慮しない静電ポテンシャル計算に基づくサイトでの推測が多かったが,本研究ではIGZO中の水素の第一原理計算を行い,より高精度にΔを評価した.

4 実験結果と考察

実験に用いた試料はバルク結晶 (c-IGZO) と,SiO2基板上に成膜した200 nmのアモルファス薄膜試料 (a-IGZO) の2種類である.c-IGZOの実験はJ-PARCのS1エリアに設置されたARTEMIS分光器にて,a-IGZOの実験はスイスPSI研究所の低エネルギーミュオン (LEM) 実験装置にて実験を行った (なお,100 nm程度の薄膜にミュオンを止めるには,入射エネルギーを数十keV程度まで落とす必要があるが,現在これを実現·供用利用しているのはLEMのみである.J-PARCのUラインでも研究開発が進んでいる).アモルファス試料については,通常の薄膜試料 (キャリア密度∼1014 cm−3) に加え,膜中に多量の水素が存在する場合のミュオンの電子状態を調べる目的で,水素プラズマ処理によって水素チャージした試料 (a-IGZO:H,キャリア密度∼1019 cm−3) も用意した.低エネルギーミュオンの入射エネルギーは主に11keVである.なお,シミュレーションで得られた入射エネルギーに対する静止位置プロファイルをFigure 2 (d)に示した.11keVでは表面からおよそ60 nm付近に止まるミュオンがもっとも多い.

Figure 2.

 ZF-μSR time spectra in (a) c-IGZO measured at J-PARC and (b) a-IGZO measured at LEM. (c) Temperature dependence of Δ in the Kubo-Toyabe function. (d) Muon stopping position profiles (density 5.97 g/cm3) with respect to the muon incident energy.

Figure 2 (a)に零磁場 (ZF) でのバルク結晶の時間スペクトルを示した.縦軸Pμ(t)はミュオンスピンの偏極度である.t = 0近傍はガウス型であり,t ∼10 μs以降で久保-鳥谷部関数に特徴的な1/3への漸近も見られる.縦磁場 (LF) 2 mTの印加でこの緩和がほぼリカバリーすることから,ミュオンが感じる内部磁場はほぼ静的であることもわかる (Figure 1参照).また,室温から5 Kまで時刻t = 0における信号強度に変化はほぼなく,弱い外部横磁場への応答などから,ミュオンは反磁性状態 (Mu+,またはMu) であることが示唆される.試料ホルダー (Ag) に止まったミュオンからの緩和を示さない信号も考慮して,解析は次式で行った.   

A 0 P μ ( t ) = A s G KT ( Δ , t ) + A BG (3)

ここで,A0As + ABGは時刻t = 0における信号強度,AsABGはそれぞれ試料と試料ホルダー由来の信号強度である.式(3)による最小二乗法による曲線フィットの結果をFigure 2の(a)の実線,得られたΔの温度依存性をFigure 2 (c)に示した.Δの温度依存性についてはのちに触れる.

Figure 2の(b)に薄膜試料a-IGZO (as-deposited) のZFでの時間スペクトルを示した.c-IGZOと同様,ガウス型の緩和を示していることがわかる.なお,LEM実験では低速のミュオンを使用するため,一部のミュオン (およそ10%) が試料表面で後方散乱されることに伴う指数関数的な速い緩和成分が現れる.この成分は式 (1)に指数関数の成分を加えて対処している.解析で得られたa-IGZOのΔは,Figure 2 (c)に示すように,30 K以下でc-IGZOとほぼ同程度であるが,温度依存性はa-IGZOの方が緩やかである.

Δはミュオン近傍の核磁気モーメントを有する原子の幾何学的配置で定まる物理量であるが,核磁気モーメントの大きさ自体は基本的に温度によらない.ではΔの温度依存性の起源はなんであろうか.可能性の1つとして,IGZO内に安定なミュオンサイトが2つ以上あり,入射ミュオンのサイト分布が熱平衡から若干ずれていることが挙げられる.つまり,エネルギー的に最も安定なサイトと,わずかにエネルギーの異なる準安定なサイトがあり,その占有率が温度変化していることによって平均的なΔの値が温度変化を示す,と推定される.

それでは,IGZO中でミュオンは一体どこに静止するのだろうか.まずは簡単な計算を行い,大雑把な傾向を調べてみた.Figure 3は,IGZOの単位格子内で50万点のランダム位置でΔを計算し,実験値の範囲±0.01 μs−1,つまり0.10-0.17 μs−1となる位置を抽出しc軸内での分布を見たものである (a, b軸での位置は不問).見てわかる通り,全ての点がGa/Zn-O層に集中している.つまりIn-O層にミュオンは止まらないと推定される.

Figure 3.

 A histogram of simulated Δ calculated at 5×105 random positions in the unit cell of IGZO, where positions corresponding to the experimental value of 0.10-0.17 μs-1 is projected on the c-axis.

より詳細な検討を行うため,第一原理計算によるシミュレーションを行った.本研究では密度汎関数理論に基づくVASP [18]を用い,2×1×1構造 (84原子) のIGZOに水素を1つ加え,電子状態計算を行った.交換相関汎関数にGGA-PBE型を用い,カットオフエネルギー500 eV,3×4×1のK点メッシュとし,各原子に働く力の最大値が 1×10−3 eV/Å以下となることを収束条件に構造最適化計算を行った.IGZOはGaとZnが1:1の割合でGa/Zn-O層でランダムになっているので,初期構造での水素近傍のZnとGaの幾何学的配置は数パターン計算している.また,酸化物半導体で常に問題になる酸素欠損サイト (VO) に水素を置いた計算も (数は少ないが) 行った.終構造の全エネルギーをEtot(IGZO+H),水素のない構造での全エネルギーをEtot(IGZO),水素原子の全エネルギーをμHとし,形成エネルギーEfEfEtot(IGZO+H) − Etot(IGZO) − μHと定義し,得られたEfを横軸に,対応する終構造の水素位置で計算されたΔを縦軸にプロットしたものをFigure 4 (a)に示す.図内のラベルは水素位置から0.3 nm以内にある原子とその数を示している.大雑把な傾向として,EfとΔに正の相関があるのが見て取れる.また,グラフの右側に行くほど水素近傍にはInやGaが多くなり,左側 (=エネルギー的に安定) ではZnやOが多いこともわかる.Δの増大は,核磁気モーメントの大きいInとGaがミュオンの近くに多くなったことに起因する (核磁気モーメントはInで最も大きく5.5 μN,ついで71Gaと69Gaが存在比40%と60%でそれぞれ2.55, 2.01 μN,Znは存在比4%で0.88 μN,Oでは0 μNである).室温での実験値 [c-IGZO: 0.108 (1) μs−1,a-IGZO: 0.139 (2) μs-­1] と矛盾ない局所構造がGa1Zn3O5とGa2Zn2O4であり,(結晶とアモルファスでわずかな違いはあるにしろ) ミュオン/水素はZn-richな局所構造で安定となると考えられる.Figure 4 (b,c)は計算で得られた構造の水素近傍を拡大して表示した一例 [(b): Zn4O4, (c): Ga3Zn1O6] である.VOサイトを除けば最安定である(b)の構造は,c軸にほぼ平行なZnとOの結合中心 (BC) に水素が位置していることがわかる.局所構造が似ているZnOでも,ミュオン/水素はBCサイトにいると報告されているが [13, 19],その電子状態も似ていると仮定すると,IGZO中での当該水素のエネルギーレベルはおそらく伝導帯にかかっているために,水素は常にイオン化して電子を供給 (H → H+ + e),すなわちドナーとして働く.これは,水素プラズマ処理したa-IGZOでn型伝導が現れることとよく一致している.

Figure 4.

 (a) The calculated value of the formation energy Ef and Δ for the candidate sites. The label AiBjCk indicates the element name and number of atoms within 0.3 nm from the hydrogen position. The shaded areas represent the experimental value of Δ in c-IGZO (blue) and a-IGZO (red) shown in Fig. 2(c). Local structures near hydrogen corresponding to Zn4O4 (b) and Ga3Zn1O6 (c), respectively. The large gray spheres represent the area of 0.3 nm from the central hydrogen.

実験で観測された温度増大に伴うΔの減少は,一部のミュオンが,熱エネルギーによって,エネルギー的に近い (かつΔの小さいZn-richな) 別のサイトで安定化する傾向にあると考えれば理解できる.a-IGZOでの緩やかな温度変化から,ミュオンの移動に関わるポテンシャルがアモルファス構造ではc-IGZOよりも高くなっているのだと想像される.こういったわずかな違いはあるものの,ミュオンでプローブした水素の電子状態は本質的には同等で,基本的にはドナーとして働くようである.

一方で,水素プラズマ処理したアモルファスIGZO試料 (a-IGZO:H) での状況はかなり異なっている.Figure 5 (a)にZFでの時間スペクトルを示した.低温では信号の一部が消失している上に,残った成分は指数関数的な緩和を示している.後者の成分はFigure 5 (b)に示すように,横磁場 (TF) 2.5 mTで0.34 MHzの回転を示しており,磁気回転比との対応から反磁性状態 (Mu+,Mu)であることがわかる.5 mTの弱い縦磁場で緩和がほぼ抑制されているので,内部磁場は静的であり,緩和の起源は核スピン由来と考えられる.指数関数型の緩和は,ミュオンと核磁気モーメントをもつ原子までの距離が一様でなく,磁場分布がガウス型からローレンツ型に変化したためと推測される.水素チャージによって引き起こされることから,おそらく水素 (核磁気モーメント2.8 μN)とミュオン間の距離に分布があると考えられる.DFT計算によって報告されている,2つの水素(2H)が酸素欠損サイトを占有しているモデル [7]から類推すると,ミュオン(Mu)とHがペアで酸素欠損サイトにトラップされている可能性を示唆する (なお,2Hが酸素欠損サイトにトラップされた場合,NBISに関わるサブギャップの状態密度に寄与することが報告されている [6, 7]).式(1)の久保-鳥谷部関数をローレンツ分布由来の式 G KT ( Δ , t ) = 1 3 + 2 3 ( 1 Δ t ) exp  ( Δ t ) に置き換えて解析を行うと,Δの値は0.148 (17) μs−1となる.仮にミュオンが単独で酸素欠損サイト [Figure 4 (a)のZn4O6] を占有したとする場合のΔの計算値は0.088 μs−1であり,やはり,ある程度は水素の寄与を考慮しないと実験値を説明できない.

Figure 5.

 (a) Temperature dependence of ZF-μSR time spectra of the hydrogen-charged a-IGZO sample. (b) TF, ZF, LF spectra measured at 5 K. (c) Longitudinal magnetic field dependence of the initial muon spin polarization Pμ(t = 0) at 5 K. Dashed line represents the fit by Eq. (4). Zero field data is displayed at 0.2 mT for visibility.

一方で,時刻t = 0で消失したスピン偏極は,Figure 5 (c)に示すような縦磁場依存性で回復していく.図中の破線は常磁性状態Mu0を仮定した磁場依存性で,次式による等方的な超微細相互作用Aμを仮定した場合のフィットの結果である.   

P μ ( 0 ) = P 0 + P 1 ( a + 1 2 x 2 x 2 + 1 ) (4)
  
x B / B 0

ここで,P0は常磁性状態以外の状態やその他コンスタント項からの寄与,P1が常磁性状態の成分比である.aは時間依存しないスピン偏極を示す三重項状態|++〉に由来する項で,通常は1/2であるが,今回はGa核と|++〉の核超微細相互作用 [nuclear hyperfine (NHF) interaction] によってa < 1/2となったモデルを仮定した [20].Bが外部縦磁場,B0Aμで決まる磁場 (真空では0.158 T) である.破線が示すように,単一のステップ,かつ10 mT程度の縦磁場でスピン偏極は回復している.これはAμがNHF相互作用よりも小さいことを意味している.さらに,300 KではPμ(t = 0)がほぼ1となっていることから,この常磁性状態の活性化エネルギーが小さく,低温でのみ安定に存在することを意味している.

以上の結果から,水素チャージしたa-IGZOでは,MuとHのペアで酸素欠損サイトにいるミュオンと,室温では電子を放出する浅いドナー準位を形成する成分の少なくとも2種類の状態を取ることが明らかになった.前者は,酸素欠損に2つの水素 (H) が捕獲されて2Hの状態を作る,という最近の理論研究 [7]での予想 (2H@VOモデル) から推測される状態であるが,水素が1つだけ存在する酸素欠損位置にミュオンが捕獲されやすく,MuHの対となる傾向にあることを示唆している.2H@VOは,NBISの本質的な原因であるサブギャップ状態の起源となっている可能性が指摘されており [6, 7],今回の実験結果はその2H@VO状態が実際に起こり得ることを示唆している.

5 まとめ

本研究は,水素シミュレーターとしてのミュオンと,第一原理計算による予想を組み合わせた研究である.特に,希薄極限にある水素の情報を得る手段としては他に類を見ない,非常に強力な手段となることを紹介した.筆者のような計算科学を専門としない人間にも,第一原理計算が身近なツールとなりつつある今日,ミュオンと第一原理計算を組み合わせた不純物水素の研究は,今後ますます発展していくのではないかと考えている.

最後に,今後の課題について述べる.今回のVASPによるシミュレーションは計算コストを考慮して2×1×1の構造 (84原子+水素) で行ったが,希薄極限にある水素を再現するには,必ずしも十分でない可能性があり,より大きな超格子での計算が望ましい.また,水素に対する計算であり,ミュオンの質量が軽いゆえに起こりうる量子効果の検討は十分になされていない.ドナーとなる水素を模擬したIGZO中のミュオンはOH結合に相当するかなり安定な状態であり,量子効果などが現れにくい局所構造であると推測されるが,ゼロ点エネルギーの違いによるサイトの違いを見出した例 [17, 21]もあるので,今後確認すべき事項である.

謝辞&ノート

結晶試料の酸素アニールなどはCROSS東海の装置を利用して行いました.PSIでの超低速ミュオン実験は課題番号20161023で行われました.T. Prokscha教授から多大なサポートを賜りましたこと,この場を借りて感謝申し上げます.本研究は文部科学省元素戦略プロジェクト<研究拠点形成型>電子材料領域の助成によって行われました (課題番号 JPMXP0112101001).

参考文献
 
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