Journal of Computer Chemistry, Japan
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研究論文
ミュオン特性X線元素分析の電池への応用
梅垣 いづみ近藤 康仁樋口 雄紀
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2020 年 19 巻 3 号 p. 99-105

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Abstract

ミュオン特性X線の特性を利用して,ミュオン特性X線を用いた元素分析法をアルミラミネート型リチウムイオン電池に適用した.その結果,黒鉛負極に析出している金属リチウムの検出に成功した.深さ方向のプロファイルからは,析出位置の特定も可能であることを実証した.今後,電池の再利用やさらなる安全のため,開発現場で役立つものと期待される.

1 はじめに

ノーベル賞受賞も記憶に新しい,リチウムイオン電池(LIB) [1]は最近は私たちの身の回りで様々な形で利用されている.LIBは正極と負極が多孔質のセパレータ越しに向かい合っていて,充放電に伴いリチウム(Li+)イオンが電極間を往来する (Figure 1).

Figure 1.

 Schematic illustration of a Li-ion battery.

Li+イオンの電荷移動分を補償するように,外側の回路に電気が流れる.したがって,電池内部のLi+イオンの移動(量と速度)が,その電池の性能を決める.一般的な電気化学測定では,電極の平均的な特性は得られるが,局所的な情報を引き出すことはできない.例えば局所的にリチウムが多かったり,少なかったりすると,過充電または過放電状態が局所的に起こったり,負極ではLi+イオンが還元されて金属として析出したりすることがあっても [2, 3],検出は難しい.金属リチウム析出は,電極間の短絡や発熱を引き起こし,安全性低下の要因となりうるため,一定量以上の析出は好ましくないとされている [4].

今後,使用済みのLIBが増えることから,LIBの再利用や資源として回収する取り組みが必要となる.その際,回収された使用済みLIBから,金属リチウム析出量も含めた電池の状態を把握し,その状態に応じてLIBは仕分けされることになる.電極は大気中の水分と反応するため,グローブボックスの中で電池を開封し,破壊分析で調べることが一般的であるが,破壊分析によって電池内部にあった時とは状態が変わる可能性があるため,本来の状態を調べるには電池の状態でそのまま分析することが望ましい.こういった背景によって,LIBの電極を非破壊で調べる方法が求められている.

ミュオン特性X線を用いた元素分析は以下の4点で,LIBの非破壊分析に力を発揮する.この手法の原理や特徴については本書の他の記事に多く書かれているものと思うので,ここではLIBへの適応の観点から述べる;(1) 照射する負ミュオンの透過力が高いため,LIBの容器を透過して電極にアクセスできる.(2) 負ミュオンの運動量を調整することで,電極内の厚み方向に位置を制御しながら調べられる. (3) リチウムのミュオン特性X線のエネルギーが18.7 keVと蛍光X線よりも約200倍高いために電池の容器を透過して検出できる.(4) 水素以外のあらゆる元素が同時に検出可能である.これらの特徴を活かして,ミュオン特性X線を用いた元素分析をLIBに適応した研究 [5,6,7]のうち,金属リチウム析出検出について紹介する.

2 実験

2.1 ミュオン特性X線元素分析

日本最大のミュオン施設であるJ-PARC MLF MUSE (Japan Proton Accelerator Research Complex, Materials and Life Science Experimental Facility, MUon Science Establishment) [8]の崩壊ミュオンビームラインでは,低い運動量(Pμ)で運動量幅(ΔP)の小さい大強度の負ミュオンが利用できる.これは測定試料の表面から比較的浅い位置を深さ方向に細かく調べられることを意味し,数十ミクロンの構成元素の異なる層が重なる構造を有する,LIBへの適応には最適である.Figure 2に今回使用した代表的な試料の構成と,負ミュオンを照射したときのミュオン停止位置分布を示す.図の左から負ミュオンを照射したとき,Pμが大きくなって試料の奥へ行くほど,ミュオン停止位置分布は広がるが,試料内部を調べることができる.

Figure 2.

 Simulation of distribution of incident negative muons (μ) with Pμ=14-17.5 MeV/c in the sample B. Each result is shown in 0.5 MeV/c step. Reprinted in part with permission from [7].

実験は崩壊ビームラインのD2エリアで実施した.照射する負ミュオンの運動量減衰と得られるミュオン特性X線の減衰を防ぐために,測定環境はヘリウムガスで充填した.照射する負ミュオンの運動量PμはモンテカルロシミュレーションコードPHITS [9]を用いて計算し,実験的に得られたミュオン特性X線の強度をフィードバックして微調整した.検出器は高エネルギー加速器研究機構(KEK)より提供を受けた,低エネルギー用のGe半導体検出器(GL0110, Camberra)を用いた.観測に用いたエネルギー範囲は,5 keV〜200 keVだった.

2.2 測定試料

測定にはラミネートシートで包んだLIBの黒鉛電極を用いた.事前に対極に金属リチウムをセットした半電池で,試料の状態を(A) 満充電(C6Li)にしたのち,さらに充電することで,(B) 電池容量の16%金属リチウムを析出した試料,(C) 32%析出した試料を用意した.半電池で調整した黒鉛電極を取り出し,有機溶媒で洗浄したものを,ラミネートで覆い試料とした.試料Cと同条件で用意した電極の銅集電箔を外して,照射ビームに対する向きを変えた試料を試料Dとした.試料Dでは,試料Cと比べて,金属リチウム析出位置が113 μm下流になっていて,この電極を用いてラミネート型LIBを作成した場合の,電極表面の深さに相当する.試料Dはラミネート型LIBにおける金属リチウム析出検出を想定した試料である.金属リチウムの析出の有無は目視,SEM撮影,電子スピン共鳴(ESR)によって確かめた.

金色は満充電状態に特徴的な色であるが[Figure 3 (a)],金属リチウム析出があるとさらに表層に白みがかって見える[Figure 3 (b)].また,SEM像では,金属リチウム析出は電極の表側に樹状物質として観測された[Figure 3 (c)(d)].充電された負極である試料AのESRスペクトルでは,グラファイトでは見られなかったダイソン型の共鳴が観測された[Figure 3 (e)].さらに金属リチウム析出を有する試料Bでは振幅が増大した.これは金属状態のリチウムに特徴的な信号である [10, 11].析出量は流した電流の積分,つまり過充電容量であり,ミュオン特性X線測定後,ICP-OESにより試料に含まれる全リチウム量を調べ,試料Aと比較して,金属リチウム析出量を見積った.それらの結果をTable1にまとめる.リチウムを含む充電負極に析出させる金属リチウム量を変えた3つの試料,位置を変えた1つの試料の合計4試料を用意して,それぞれのミュオン特性X線元素分析を行った.

Figure 3.

 SEM and photo images for (a)(c) Sample A and (b)(d) Sample B, respectively. (e) The ESR spectrum for Sample A, B and Graphite anode. Reprinted in part with permission from [7].

Table1.  Conditions of samples.
Sample Li deposition Li amount
A None 0 (mg/cm2)
B 16% 0.18 (mg/cm2)
C 32% 0.44 (mg/cm2)
D 32% 0.44 (mg/cm2)

3 結果

3.1 ミュオンの捕獲率

まず,ミュオン特性X線では,金属リチウムと電極中のリチウムイオンの見え方が違うことを示す.ここではこの見え方の違いを活かして,電極に析出した金属リチウムを検出している.金属リチウムの場合は停止したミュオンがすべてリチウム原子に捕獲されるため,非常に高い効率でミュオン特性X線が放出される.一方で,電極中のリチウムイオンでは,リチウムの捕獲されやすさを考える必要がある.負ミュオンを2元素からなる物質XYに照射したとき,各元素に捕獲される比率は,X原子1個当たりにY原子に捕獲される比率,すなわちクーロン原子捕獲率A(X,Y)と呼ばれる.負極に挿入されたリチウムに捕獲される比率が最大になる,満充電状態のC6LiでA(Li, C)を調べた.同じ運動量の負ミュオンを十分な厚みのC6Liと金属リチウム板に照射し,得られたリチウムのミュオン特性X線の信号強度を比較した(Figure 4).

Figure 4.

 Comparison of intensity of muonic X-rays of Li with Li metal and C6Li. Reprinted in part with permission from [7].

Liのミュオン特性X線は,主たる,主量子数n=2のL軌道から主量子数n=1のK軌道への遷移[以降,(2-1)と記述する]の信号は18.7 keVに検出された.炭素(C)のミュオン特性X線の(4-2)遷移のエネルギーは18.83 keVで,実験に用いたGe半導体検出器のエネルギー分解能では区別することができなかった.そこで,リチウムが充填されていない未充電負極を参照試料として,その差分をリチウムの信号強度として見積った.その結果,信号強度は,C6Liに対して,金属リチウムが約50倍強度が高いことが分かった.すなわち,C6LiのLiの炭素一原子あたりのクーロン原子捕獲率は,A(Li, C)=0.12 ± 0.03と見積られた.

化学結合を考慮しない単純な混合系とした場合,その元素への捕獲されやすさはZ則によれば,元素の原子番号Zの比と原子数の比に比例し [12],C6LiではA(Li, C)=0.08程度となる.したがって,実際のC6Liではリチウムよりも炭素に,より捕獲されやすい傾向にある.

これは,負ミュオンが原子に捕獲される際に,軌道電子と入れ替わることでミュオン原子を形成するためで,相対的にミュオン捕獲に関与できる電子の存在確率が小さいプラス一価のリチウムイオンでは,金属のリチウムよりもミュオンを捕獲しにくいためと考えられる.同様に,一価のリチウム化合物であるフッ化リチウム(LiF)や塩化リチウム(LiCl)では,A(Li, F)=0.10 ± 0.08 [13],A(Li, Cl)=0.19 ± 0.08 [14]である.このことから,C6Liに対して得られたA(Li,C)が妥当な値であると考えられる.結果として,金属リチウムと充電負極では,圧倒的に前者の方がリチウムのミュオン特性X線の放出率がよい,すなわち,感度が高いと考えることができる.

3.2 金属リチウム析出検出

金属リチウム析出量の異なる3つの試料A,B,Cに負ミュオンを照射し,放出されるミュオン特性X線のスペクトルを得た(Figure 5).前節で述べた通り,ミュオン特性X線では,Li (2-1)の信号はC (4-2)と分離できないので,Liに由来する信号強度の変化を捉えるために,次のパラメータを導入する;   

ICLi=ILi(21)+IC(42)IC(21)
I Li (2-1), I C (4-2), I C (2-1)は各遷移の信号強度を表す.Liを含まないときは,I Li (2-1)=0で,炭素の信号強度比から   
ICLi=IC(42)IC(21) =0.09 (=RC)
である.したがって,I CLiが0.09以上の値を取るときは,リチウムの信号に由来し,負極を分析している限りにおいては0.09を下回ることはない.Figure 6 (a)にI CLiの深さ依存性を示す.

Figure 5.

 Energy spectrum for (a) Sample A, (b) B, and (c) C, respectively. (d)-(f) Enlarged spectrum in the range between 18 and 20 keV. Reprinted in part with permission from [7].

Figure 6.

 (a) Depth dependence of I CLi for the Samples A and C. (b) Schematic structures of these two samples.

金属リチウム析出のない試料Aでは,深さに依存せずI CLi=0.115で一定だった(Figure 6中点線).一方,金属リチウムを析出させた試料Cは,60 μmから100 μmの負極に相当する範囲では,I CLi=0.115 (Figure 6中点線)に等しいが,60 μm 以下でI CLiは増加した.

この増加分が,金属リチウム析出に由来すると考えられる.

Figure 7に充電がされていないグラファイト負極と試料A,B,Cの結果をプロットし,リチウムないし金属リチウム析出量と,金属リチウム析出位置に対応する運動量Pμ=14.75 MeV/cにおけるI CLiの関係をまとめる.ここで横軸は静電容量に対する割合を示しており,0〜100%は充電領域,100%以上は金属リチウム析出領域である.充電領域では,I CLi増加の傾きは小さく,それに比べて,金属リチウム析出領域ではI CLi増大の傾きが大きいことが分かった.つまり,金属リチウム析出領域において,ミュオン特性X線の放出確率が高い,すなわち感度が高いことを示すことができた.試料Bと試料Cとを比較すると,金属リチウム析出量の多い試料Cの方がI CLiは高い値を示し,定量的に金属リチウム析出をミュオン特性X線で捉えることができることを実証した.Figure 7から検出限界は,金属リチウム量0.020 mg/cm2と見積られた.

Figure 7.

 Relationship between I CLi at Pμ=14.75 MeV/c and the charge capacity. Li intercalates into anode in the region between 0 and 100%, while in the region above 100% metallic Li deposition grows. Reprinted in part with permission from [7].

3.3 析出位置の検出

試料Cと試料DのICLiの深さ依存性をFigure 8に示す.試料Dでは,電極の厚み相当の113 μmだけ試料Cよりも奥の位置にあるはずの金属リチウム析出に由来する,I CLiの増大が見られた.ミュオンの到達位置が深いほど,試料内のミュオンの分布が広がるため,試料Cと同量の金属リチウム析出に対して,深さ方向,100-170 μmに渡って広がり,ピークトップは少ないI CLiが観測されたと考えられる.113 μmの深さ方向の析出位置の差は優に検出できることを実証することができた.

Figure 8.

 (a) The depth dependence of I CLi and depth for Sample C and D and (b) schematic structures of the samples. Reprinted in part with permission from [7].

さらに,今回は金属リチウムを見やすくするために,析出した電極を取り出してラミネートで包み,最上流に金属析出部分が来るように試料をセットした試料Dでは,ラミネート型LIBのままでの測定が可能であることを示唆している.電池の内部で,金属リチウムは負極の正極と対峙している側に析出するため,分析すべき位置は表面から負極ひとつ分奥側(下流側)になる.つまり,試料Dにおける金属リチウム析出の位置は,ラミネート電池での金属リチウム析出位置を想定したものと言える.ただし,本来は負極の銅集電箔がついているため,その分10 μm深くなり,銅による自己吸収を考える必要がある.実際,同程度の厚みの電極を用いて作成したラミネート型LIBにおいて,高レートで充放電を繰り返し,サイクル劣化による金属リチウム析出を検出することに成功した [15].したがって,リチウム金属析出の検出は,取り出した電極のみならず,ラミネート型LIBで実現可能であると期待される.

4 結論

ミュオン特性X線元素分析の手法を用いて,LIBの負極に析出した金属リチウムの検出に適応できることを示した.また,深さ方向において,金属リチウム析出位置の数十 μmの違いを明瞭に観測できることを実証した.今後,電池の再利用やさらなる安全のため開発現場で役立つものと期待される.

謝辞

本研究の一部は,文部科学省 科学研究費助成事業 新学術領域研究「宇宙観測検出器と量子ビームの出会い.新しい応用への架け橋.」の助成を受けたものです. 検出器の提供,調整をはじめとして,J-PARC MLF MUSEの運営に携わるすべてのスタッフからは多大な支援を受けましたことに感謝致します.二宮和彦博士(大阪大学)にミュオン捕獲に関してご意見を頂きました.本原稿は,論文 [7]をもとに加筆修正したものです.

参考文献
 
© 2020 日本コンピュータ化学会
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